闘病日記        

その1

このお部屋は、色々な事を、思いつくまま気の向くままに何でも書き綴って行きたいと思います。

(誤字・脱字は言うに及ばず、間違い・勘違いがあれば、メールでお知らせ下さいませませ! m(_"_)mペコ )  


2004年12月27日 (自覚症状から自分では食道ガンを疑う)

いよいよ、何を食べても、飲んでも、物が食道から胃まで行かなくなった。最初に引っかかったらもうダメ。
30分くらい悪戦苦闘。通りだしたら何とか食べれるのだが・・・  本当にどうしたんだろう?
このまま、何も食べられなくなったらどうしよう?  やはり食道癌なのだろうか?  症状はどうも間違いない。

インターネットで「食道ガン」を検索して、大学病院のHPで色々調べた。九州大学・岡山大学・広島大学・
国立がんセンター・川崎医科大学付属病院・名古屋市立病院・・・・  まず、間違いないと思う。それも、
ガンの進行は、ステージで2か3くらいか??? 物が詰まり嚥下困難になるとまず初期ではない。

正月明けの1月4日には、金田病院に胃カメラを予約してあるので行かなくては・・・    だけど心配・・
焼肉・ラーメン・うどん・蕎麦・鮨・など等・・・  大好物が食べられなくなる???  これが一番つらい・・

だけど、まあ、もしも癌でも今は医学も進んでいるし何とかなるだろう!
自分は、自分だけは必ず直って、また、美味しいものがお腹一杯食べられるだろう〜〜 
お気楽に考えよう! 悩んでも心配しても仕方がない。  そうだ  今はとりあえず、目先の食事をどうするかだ! 
 何を食べようか? 正月餅を毎食食べようか?  好きだけど餅ばっかじゃつらいなあ〜〜
くよくよしても仕方ない。 今夜は思い切り飲みに行こう! あけびだ! ラウンジだ! 焼肉だ〜〜(^^ゞ 


2004年12月30日

餅ばっかりだけど、余程気をつけないと詰まる。ぐるじぃ〜〜〜となる。小さく小さくお口の中で柔らかくして飲み込む。
でも詰まる。鰤なんか絶対に食べられない。モコモコして喉に引っかかる。
餅だけをお汁で飲み込む。 コツを掴んで30分くらいかけてやっと1個のお餅を食べる。  

去年までは正月餅なら、4〜5個は食べていた。しかも10分も掛からない。  
それが今では1個の餅に30分とは・・・・情けない!
早く悪い所は切って元通りにして貰おう!  1月4日が待ち遠しい。


2005年1月4日 (地元の総合病院で)

3が日も終わり、待ちに待った胃カメラの日。  昨夜は9時から絶食・絶飲で準備万端!   
金田病院であの苦しい胃カメラを飲む。   先生はスムーズにカメラを挿入され、10分位で済みますから・・と
しかし、胃も、十二指腸も何ともなく、最後に食道。   これがヨウ素液を吹いて一部染まらないらしい・・・
念のため組織を4〜5箇所取りますから。   と・・・・
結局30分以上胃カメラを飲んだまま・・   大変苦しかった。
後で先生の説明が・・・

99%食道癌でしょう。 でも念のため組織を検査に出します。結果が出次第連絡します。  と・・・

まさに目がテン!  予想していたとは言え、何だか死を宣告されたような・・・・
仕事や職場のこと・家族のこと・余命のこと・   頭の中がパニックで何をどうしたら良いのか???

でもとりあえず、昼食は何を食べようか?   安楽食堂で、もつ入りの焼きそばにしよう! 
 食べることはすぐ決定!(*^ー^*) エヘッ  旨いけど塩辛い。  こんなに辛かったかな?  
ビールが欲しいが、車だ。 やめておこう。

午後からCTだ。明日もCTだ。  川崎医大に紹介状と一緒にCT写真も持っていくらしい。
骨でも、裸でも何でも撮ってくれ。  早く早く・・・

ついでに? 下の娘の成人の振袖姿を久世のフタバ写真館で撮る。 ついでに僕と母親と3人で撮る。
74歳になる母親は、嫌がったが、無理やり撮る。  CTやMRIよりずっとええで!  バリウムも飲まんでええし・・・


2005年1月6日

夕方、嫌な電話が入る。  金田病院の○○医師です。残念ながらやはり食道癌でした。
至急病院にお越しください。   と・・・・
会社の上司の佐田常務さまに経過説明ととりあえずのお休みの許可を頂く。

家族に説明する。  しかし詳しいことは自分も分からない。  万が一の時には、権利書・実印・
その他重要書類はここにこうしてある・・・今からそんな説明をしなくてもと思うが、他に何を話して良いやら分からない。

手術や方法については川崎医大に行かなくては、検査しなくては分からない。 分からない事だらけだ・・・
でも、今一番重要かつ大問題は食べること。 何を食べるかだ!
アルコールなら何とか飲める。湯豆腐に熱燗で・・・    ┐('〜`;)┌


2005年1月9日

父親の3回忌を1月23日に予定していたが、急遽本日執り行なう。  善福寺ご住職にご無理をお願いする。
親戚など約30名集まるが、もっぱら話題は故人の事より僕の病状について・・・・あまり詳しく説明出来ないのが、
歯痒い。  しかも、母親にはリアルに知らせたくない。 おいおいには知らせなければならないが・・・
一度に知らせてショックで倒れでもしたらそれこそ大事になる。   今はそっとしておこう。


2005年1月11日

上の娘に車で1時間の川崎医大付属病院まで(岡山県倉敷市)乗せてもらう。
午後2時からの予約である。  が10時には着いた。  受付を済ませ近くの本屋で「ガン最新治療法」を買う。

昼は、後楽中華そばで久しぶりのラーメンを・・   やはり喉で引っかかる。   時間を掛けて何とか完食。
娘は遠慮もなく、から揚げ・むすびもつけて、平らげる。  少しは遠慮せえ!  じゃけぇ太るんじゃがな!

午後1時に再度川崎医大へ・・・     受付で待っていると従兄弟の道満清志さんが・・・
わざわざ心配で、仕事を休んで様子を見に来てくれたのだ。  有り難いやら、気の毒やらで・・・

紹介状には、山下先生の名前が・・・     しかし本当は、平井先生の間違いであった。 金田病院のミス?
平井先生は消化器外科医長!  2年前に広島大学付属病院から・・・・   名医で権威ある大御所だ!!!

HPでいろいろ調べた。   ラッキーである。  こんな偉い先生に任せたら間違いない!
しかも、先生は人間味あふれる、親しみやすいお人柄であった。「必ず生きて帰してあげる!」と
太鼓判! 頂く。  嘘でも嬉しい。  「全てお任せします!」 と・・・
採血・採尿・心電図・・・・・・・出来る検査を片っ端から済ませ5時すぎに一旦、自宅へ・・・
明後日、入院する。

      旧国道2号線沿い 倉敷市松島577  川崎医科大学付属病院全景

消化器外科医長:平井敏弘先生 副医長:松本英男先生   部長は角田 司病院長が兼務


2005年1月13日 (入院)

またも、上の娘に運転させて川崎医大付属病院へ。  大きな病院なのでまごつく。  
入退院室で手続きを済ませ、14階西病棟へ。   日航ジャンボ機が墜落した日に足を骨折して入院した。
 以来の病院へ入院である。20年??ぶりか。  それにしても、綺麗でデカイ病院である。 
中に銀行や高島屋もある。美容院や理髪店も。

14西ー102号室。4人部屋である。  し、しかし差額ベット代が1日に3150円也〜〜〜
個人スペースが広くて綺麗だが、落合・金田ならこの金額なら個室が・・・・・

まあ、頑張ろう!  早く良くなって退院すれば問題ない!
手術日が1月24日に決定。   それまでガンが何処まで転移しているか検査ばっか・・・・

息子には、「心配ない。帰ってこなくても良い。」と電話する。  ランデス且R口営業所から帰ってきても仕方ない。

          中銀が、支店で病院の中に・・・

        高島屋(百貨店)のコンビニ見たいな店 (24時間じゃないけど・・・)

     8階の理髪店・美容院・ 倉敷国際ホテルのレストラン・右が書店。あと、でかい食堂がある・・・


2005年1月15日

今日の検査も無事終了。  さて夕食にしよう〜〜〜
お茶を頂いて、食べかけていたら、携帯が鳴る!   下の娘だ。  おかしい。  メールはさっき30分前に
着たけど、電話を掛けるなんて・・・   病室で4人部屋じゃけえ、電話したらいけん。 メールはOK!
とあれだけ言ってあるのに・・・
出てみると、「煙があぁ〜     煙があぁ〜〜  」  と、断末魔?の声・・・
寝ぼけてないか確認しても、返事がない。これは火事じゃ!と気がつく。

すぐにこちらから手配して救急車・消防車を要請。  間一髪で娘も助かる。  家は台所を燃やしたのみ。
先生に、「自宅が火災らしいので、帰らせて下さい」と 許可を戴きすぐに帰る準備・・・
病院から、タクシーを高速経由で、ぶっ飛ばして急いで自宅へ・・・
まだ、消防署・警察署・消防団の人・ご近所・友人・会社関係・親戚・などなど・・・大変な事に・・・
あと2〜3分遅れたら全焼になっていたと消防署の意見。  良かった〜〜〜

ご近所の皆様を始め、消防関係の皆様、会社の関係、友人、親族など大勢の皆様には大変ご迷惑やらご心配頂き、
有難うございました。   家はともかく、娘が無事で翌日には退院出来て本当に良かったです。

悪いことは重なる!  と良く言われるが、たまたま時期が重なっただけ。
因果応報   原因があるから結果が出る。  
自分も「タバコは百害あって一利なし」知っていても、発癌物質があると言われても頑固に32年間毎日吸って
(ガンになった)と言っても仕方ない。身から出た錆である。

火事にしても、家具調コタツのヒーターから加熱で出火。  毎年コタツを出す時と仕舞う時は必ずブローで
掃除していた。 今年は出す時掃除をしていない。 ホコリがたまって火を噴いたのだろう。
これが、たまたま重なっただけ。  悲劇のヒロイン的な考えは捨てよう。
常に前向きに考えて、冷静に対処していこう。  皆様にご迷惑やらご心配頂いたご恩に報いる為にも!


2005年1月24日 (手術当日)

とうとう今日が来た。手術である。 昨日、主治医の松本英男消化器外科副医長よりインフォームドコンセントがあった。
病名:胸部食道癌   ガンステージ:3  右開胸・開腹、食道亜全摘出術 胃管後縦隔再建
合併症:呼吸器合併症 縫合不全 心、肝、腎、脳、各臓器、反回神経麻痺など
手術の死亡率10%   

輸血施行承諾書・手術計画書・麻酔同意書・病理検査、組織の研究使用同意書・治療、手術同意書・・・・・
いっぱい聞いていっぱい書いた。署名欄に氏名記入し捺印・・・
かなり侵襲(ダメージ)が大きいらしい。  手術時間も8〜9時間かかる。 術後もHCU・ICUで1週間・・・
人工呼吸器で2〜3日。  これ以上聞いても訳が分からない。  やってみなくちゃ!

それにしても、平井医長は?  不安になり聞いてみた。  すると主治医は松本先生だが執刀医はお二人で
されるらしい。  少し安心した。  松本先生には少し失礼なこと言ったかな?  反省  m(_"_)mペコ  
し、しかし 〜〜〜〜  この松本英男副医長は岡山大学医学部第二外科から平井先生と時期を同じくここに
来られたのだ。  お二人の前の病院のHPや実績を確認した。  お二人とも凄い実績を持っておられる。

松本先生は一言で言えば、「真面目」を絵で書いたようなお人柄。  安心して何でも聞く。
理解できるまで丁寧に教えてくださる。 また担当医である今泉先生は女医さんである。 (*^o^*)
可愛いくて綺麗で優しい。   これだけスタッフの優れた人達が揃っている病院は、中国五県では知らない。
安心して任せよう。 

9時から執刀予定だが、7時50分にはストレッチャーでお迎えが・・・
分かっていても緊張する。  無理やり笑顔で家族に「行ってくるわ」と・・・・
6階の中央手術室に・・・   中はテレビで見たことのある「救命救急24時」とかで・・・あの光景が・・・

もう一度、目が覚めますように!  と何度もお祈りして、いよいよ麻酔を・・・ 硬膜外麻酔
「背中を丸めて下さい」とMEGUMI看護婦さんから言われ、何度もやり直されてやっと針が入る。
次はあの例のマスクのようなあれを口元で・・・・   Z Z Z

     中央手術室だ。当日は何人手術が有ったのか分からないが、かなり混雑していた。凄い病院だ!

筒状の食道を、縦に開いた状態。
これが、48年間使い続けた、僕の食道・脾臓だそうだ。食道の真ん中辺りが、ヨウ素液(ルゴール)に染まっていない。
この部分が、ガンであるそうだ。右が首側で左側が胃。スカートを広げた様に成っているのは胃の一部。
上のが脾臓。

(先生にご無理をお願いして、摘出した臓器の写真を頂いた。)

胸部食道がんでは、腹部や頸部のリンパ節にも転移をおこすことが多いので、腹部や頸部のリンパ節も郭清する。
手当たり次第に、取れる所のリンパ節は全て取る。 明らかに変形・腫れがあるリンパ節を18個病理検査へ。
内3個にガンの転移が見られた・・・  放射線と抗がん剤でやっつけるしかない。


2005年1月27日 (手術後3日)

此処はどこだ? この世か?  あの世か?  あの世ならこんなに痛くはないだろう!  凄い熱だ。
人がいる。  だれだ?   MEGUMI看護婦さんだ。 そうか、まだICUなんかあ〜
やれやれ  どうやら生きているらしい。  (^^ゞ 

人工呼吸器は3日間で外されたらしい。 ホースが口の中に入っていたため声が出にくい。
鼻のチューブも面倒くさい。  意思表示が出来にくい。 くそっ!
何か書くものを下さい!  って 大きな紙とマジックで・・・・  「痛い!何とかして!」  と・・・

それにしても痛い。   今泉先生にお願いして痛み止めを・・・・
看護婦さんと喧嘩に・・・    「あの痛み止めはきついのでそんなには打てません」
先生がええ言うたんじゃ!  あんたは医者より偉いんか!  
早よう打ってえや〜〜〜     ふて腐れてあっちに行ってしもた
どうしよう?  早く先生が来ないかなあ〜〜〜〜   : :・。・゜゜・(≧◯≦)・゜゜・。・え〜〜〜〜〜〜〜〜ん!!!


2005年2月1日 (手術後1週間)

この3〜4日は、生涯忘れないぞ!   こんなに痛い目に逢ったことは今までにない。
ICUの看護婦さんまで、鬼に見えて来た。  だから?か余計に今泉先生が可愛く綺麗に優しく見える。

大丈夫ですか?   って聞かれたらついつい  「はい」 って・・・・ 手を握って貰って・・・ (*^o^*)
松本先生が、「今日から一般病棟に帰りますか?」って・・・    うっ   涙が出てきた。 嬉しい!

これで優しい看護婦さんがいる14階に帰れる   と思うと少々痛くても、「はい!帰ります」って返事して。
午後から、ICUを出て1週間ぶりに14階西に帰りました。
ただし、前の102号室じゃなくて、122室の個室!   7350円/日  の個室〜〜〜
大奮発した!  術後すぐに大部屋では他の人に迷惑を掛けるし・・・
快適快適〜〜〜  ナースステーションに近いし〜〜〜(^^ゞ 

と、ところが、、、、良い事は続かない。
「室川さん〜〜 容態の急変された方が出たので部屋を替わってください」  非情な看護婦さんの声・・・
たった3時間の快適な個室でした。   また元の102号室  4人部屋

顔見知りの加藤のじっちゃん・大塚さんが、お帰り〜〜〜〜って暖かかくお迎え〜〜〜
まあ良いかぁ  (*^o^*)
24時間点滴・ドレン管・導尿管・その他・・・・   管だらけでがんじがらめ。
チンチンが痛い。早く自分でトイレに行きたい。   喉が渇いた。水が欲しいよ〜〜〜〜


2005年2月2日

松本先生さま!  お願ぇでございますだ〜〜〜   水を飲ませてけろ
先生曰く「氷くらいなら1個口に入れても良いですよ!」  って・・・   (^^ゞ 
急に松本先生の後に後光が差してきた!  お代官様〜〜〜ありがとうごぜぇますだ〜〜

ところが、氷がない  8階の売店まで車椅子でまだ行けない。  どうしよう?
氷=OK  なら  少しの水=OK?  少しの水=OKなら   キリンレモン=少しならOK
と、非常に自分勝手な論理で深夜自販機まで買いに・・・

飲んだ瞬間、「やばい」と思った。  炭酸飲料だと気がついた。  縫合部が痛い。   飲むのをやめた
次の朝、主任さんにバレた。    「信じられん!炭酸飲料を飲むなんて!」 とどやされた。  普段は優しい
主任さんじゃけど・・・    (念のため)
「じゃけえ、もう飲んでないが!」  って   捨てときゃ良かった。  見つからなんだねえな!


2005年2月9日 (手術後2週間)

チンチンの管も取れ、毎日少しづつ管が取れて、身軽になる。点滴はまだ3〜4本あるが、それでも大分楽になった。
困るのは、夜咳が出て・・・   4人部屋だから、他の人が眠れない・・・
婦長さんにお願いする。   また個室が空いたら入れて下さい!  って

15日から119号室が空くのでそこに入れるように手配してもらった。トイレ(ウオシュレット)付き個室
シャワールームは付いていないがもちろんOK牧場!   7350円/日  米の飯である。
先生が「良くなってから、個室は勿体無いね。」  って   でも良いのだ。  これでいくら夜中に咳き込んでも
誰にも気兼ねない。眠れなくて、本を見ても良い。  とにかく嬉しい。

      従兄弟の草地さんが、特別にご祈念していただいた御神符。特別のおかげが有りそうだ!

                           このお魚マークは何だろ???


2005年2月18日 (手術後3週間)

かなり体調も良くなってきたが、依然咳が出る。 話をしようと声を出すとゴボゴボ・・・
寝たらゴボゴボ・・・    起きてもゴボゴボ・・・
肋骨の手術跡が響いて痛い!   息をしても痛い。 寝ても当たるので痛い。
何とかならないかなあ〜〜〜   (/_;。) ウッウッウッ.... 


2005年2月21日

松本先生から・・・「良くなったら一度退院して、体調を戻して下さい。そして再度入院して頂き、放射線療法と
化学療法(抗がん剤)治療をしましょう」
「出来れば続けて回復したら治療をしてください」 ・・・と僕。

私はまだ若い?  家族も現役。  家に帰っても誰かの手を取る。 続けて治療してから帰りたいとお願いする。
松本先生も「分かりました」と快諾して頂く。   有りがたい事である。 先生のためにも自分のためにも
必ず気力で「治すのだ!」で乗り切ろう!   人によるが、抗癌治療は副作用がきついらしい
途中で白血球が下がり、やむなく中止するケースもあるとか・・・

でも、今から心配しても仕方がない。取り合えず食べて体力を戻そう!  出来るだけ歩いて筋力も戻そう!
体重も84KGあった健康体?  が今は74KG  1ヶ月半で10KG減量?  ダイエットには食道癌を!!!
生活習慣病予防には今の体重が理想かも知れないが、181CM ある長身の僕はやはり80KGはないと・・・
頑張って食べよう!

な、なんと大事じゃ!  今泉女医先生が担当医じゃなくなるらしい。。。。  ・。・゚゚・(≧◯≦)・゚゚・。・
郡山出身の若くて綺麗で可愛くて優しい理想の女医先生が・・・・    研修医のためローテーションのため
他の医局に変るとかって、言うじゃない〜〜〜・・・・   残念〜〜〜  斬りっ!

替わりに、江尻女医先生???  えっ?  本当??  嬉しいな!
こちらも、美しい・若い・優しい・素敵な女医先生なのだ!   (誰でもええんかぁ?おぬしは?)  (-。-) ボソッ
いいえ! 私は見る目があるのです! (そうかなぁ〜〜???)   まあ良いか!
救命救急24時のあの「菜々子女医先生」みたいな綺麗な先生じゃ! (*^o^*)


2005年2月25日  (手術後1ヶ月)

この14階西病棟には約50〜60人の消化器外科を中心に入院患者がいる。
その多くは、男性で約7〜80%を占める。  女性は2〜30%までである。

一応完全看護体制で付き添いは原則いらないのだが、男性患者の多くは奥さんを付き添いに来て貰っている。
なぜだろう?  女性患者にご主人が付き添っているケースは殆ど見ない。この階で最近Tさんが1件あるのみ。

男性の依存度が(甘え?)高いのか?  それとも女性の寿命が延びてご主人が亡くなっているからか?
それにしても、おばあさんの患者の場合付き添いは見当たらない。   おじいさんの患者の場合殆どが
奥さんで付き添い。  不思議である。  僕は痛い時や、しんどいときは、割り切って、他人である看護婦さん
の方がいろいろとお願いし易い。遠慮なく頼めるし安心である。相手はプロだから・・・
それに惨めな姿を身内の近い人に見られるより、他人の方が気楽である。僕が変っているのかなあ???

         いっつも、ひょうきんな、三上女医先生だ! (*^o^*)


2005年2月26日

僕の受け持ち看護婦さんの川崎さんが3月一杯で故郷に帰られるそうだ!     残念である。
最後まで受け持ちでお願いしたかったが、やむを得ない。
この方も、若くて綺麗で優しい。この階の看護婦さんはみんな若い! (^^ゞ 
しかも綺麗だ。  他の階や他病棟より揃っている。  珍しいと思う。 それぞれに可愛くて
この階のナースステーションには、嫌味な看護婦さんはいない。  みんな優しくて若くて・・・

しかも、元気だ!  昼間顔を見て日勤していた看護婦さんが、夜中に見回り・・・   えっ??
日勤+夜勤(深夜)  ???   元気でなければ出来ない。
しかも、週に2回くらいそんな事が・・・    すごいなぁ〜〜    本当に尊敬します。

                       僕の受持ち看護婦さん


2005年2月28日

来月3月3日から、放射線治療と科学療法(抗がん剤)が始まる。
3週継続1週休み(1クール)を2クール
ドセタキセル(Docetaxel)40mg/body TS−1 90mg/body
RT(放射線) 1.8Gy/day   T字照射 最終日4月20日

副作用として、下痢・嘔吐・悪心・白血球減少・貧血・放射線性肺炎・などなど・・・
人により症状の出具合や程度が全然違うらしい。頭髪の脱毛も・・・
これ程フサフサしている頭髪が無くなったら・・・・残念だぁ〜〜  (/_;。) ウッウッウッ.... 

いずれにせよ、これもやってみなくちゃ分からない。
頑張るのみ!!!
「食道癌の手術マニュアル」と言う専門書を買って読んでいるし、各国立大学病院のHPで食道癌治療方法など
勉強しているのだ!


2005年3月2日

松本先生よりインフォームドコンセントあり
えへへ・・・  最近では事前に調べてあるので、説明されても何とか理解できる。
(学習院付属)岡山県立津山工業高等学校を何とか卒業の僕の頭でも・・・
またまた治療承諾書・癌化学療法予定表などに氏名記入し捺印する。

何だか、嫌な世の中になったものだ。
医療ミスも確かにあるかもしれないが、わざにミスする人はいないだろう!
人間は不完全なのだ!  ミスもあるだろう。  要は精一杯頑張っていただいたら、結果はしょうがない。
命を預ける。信頼してお願いすると言う事はそう言う事じゃないかな?

それが,今の世の中は、権利意識が過剰になり、何でもかんでも裁判・慰謝料請求・・・・
お医者様もたまったもんじゃない。  だから、こんなに同意書や説明書を用意して・・・・
僕的には何だかさびしい。  自分も一生懸命努力して病気のことを勉強し、先生に質問したり
分からないことを具体的に説明していただいたり・・
それなりに理解し、 よし!  これなら命を預けよう!   と信頼したら、病院側にも信頼して欲しい。
どんな結果が出ても、少なくても僕は裁判したり非難したりしませんよ。

松本先生は本当に真面目なお人柄だ。    尊敬に値する人だ。
話をすればするほど、誠実さが伝わってくる。42歳。外科医として脂の乗りきった最高の状態!。
でも、少しも偉そうにぶらない。 それどころか、頭が低いのである。
実るほど頭を垂らす稲穂かな・・・     自分を反省!


もしも、僕の身に万が一の事が有ったら、遺体は献体しよう!
松本先生のような立派な外科医がこの川崎医大からも続くように願って喜んで献体登録して退院しよう!


2005年3月3日  (手術後40日  抗がん治療開始)

点滴開始。抗がん剤を初めて飲む。放射線も・・・    午前中とお願いしたので11時に行く
最初だから位置をマークしたり、説明があったり・・・  時間が掛かったが、照射時間は数分で終わり・・・
こんなものかぁ〜〜    が正直な所。   夕方5時に点滴終了。。。。???  ん?
おかしい。。  お腹がピピピーーーーー    下痢か?
と思ったらきたきた〜〜    トイレじゃ!  トイレじゃ! トイレじゃ!

朝まで大騒ぎ!   恥ずかしいけど少しパンツにお漏らし・・・   下利便なんでシーツを交換して貰った。
川崎さんに!  恥ずかしかったけど仕方ない。  トホホ・・
お願い!  神様!先生様!  誰でも良いからこの下痢を止めてくらはい!  m(_"_)mペコ  


2005年3月4日

今日は点滴は無し。TS-1のみ(飲む抗がん剤)  放射線照射
下痢が続く。 むかむかする。  悪阻の気持ちが分かるような・・・
食事が欲しくないが無理して食べる。  むかつく。  下痢する。


2005年3月5日

今日は放射線は無し。  TS-1だけ   しかし今日も下痢が続く。  正露丸でも飲んでみようか?と
真剣に思う。  しかし市販の下痢止めで止まるくらいなら、先生がとっくに止めている。
それほどキツイ薬なのだ。抗がん剤は・・・  副作用だからある程度は仕方ない。
早く下痢が止まりますように!  
看護婦さんに「下痢は止まりました?」 と聞かれるのが辛くなる。  また違う下痢止めを出して頂く。
明日は止まるかなあ???


2005年3月6日

やっと下痢が止まった。  (^^ゞ    やったね!  おめでとう!   嬉しいな!
食欲も出て来た。   お昼が少なくてラーメンを食べた。カレーヌードル・・・・  旨かった!
このまま、この調子なら良いのにな!
でも、世の中そんなに甘くないぞ!  毎日何が起きるか分からないので、気を緩めるな!

看護婦さんの福原さんは、まさか名前まで愛ちゃんじゃないだろうね??
可愛くて少しだけふくよかで・・・ (失礼しました m(_"_)mペコ  )  卓球が得意かなあ??  (^^ゞ 
ぼ、ぼくは、愛ちゃんのファンなのです!  (決してロリコンではありません。念のため)

ノートPCを持って来たのだ!  何とかネットに繋ぎたい。
LANケーブルを小西さんにお願いした。ネットに繋げてここの病室から世界に出かけよう!


2005年3月9日

髪の毛に白いものが急に増えたような気がする。抗がん剤の副作用か?
髪の毛も抜けずに頑張って伸びている。何だか不思議だなあ・・・
そうだ! 散髪に行こう!

理髪店 or 美容院   う〜〜〜ん    美容院だ!
カットしてから白髪染め!

「お客様、明るくされたらどうですか?」  と店の女性
「う〜ん。 歳だし、明るいのは・・・」   と僕。
「えっ? お若いですよ!」      また店の女性
そうか。若いんだ。まだ。  当分の間入院だし。  まいっか
「じゃあ、任せますから良いようにして下さい」   と僕

生まれて初めての経験。
臭い、頭皮にしみる。     まだかなぁ〜〜   時間が結構掛かるんじゃなあ〜
女性は毎回こんなことしてるんかぁ〜〜   大変じゃなあ〜
そうこうしていると、シャンプーに・・・
も一度セットする椅子に・・・

「おっ! あ、明るい、 明るすぎ?」    と 僕
「大丈夫ですよ。 とても似合ってます」  と店の女性・・・
そうか〜 似合っているのかあ〜   えへへ・・・  (*^o^*)

僕は、マックが嫌いだ。
「今なら、何とかセットがお得です〜〜」とか、「ジャンボセットがお安くなっています!」と
若いお姉ちゃんにマニュアル通り薦められたら、必ず断れなくなる気の弱い僕。
後から、食べきれず後悔する事、毎回・・・・
今回の、「美容院明るい白髪染め事件」も、そうならない事を、祈ろう

午後、お見舞い客が・・・
「抗癌治療は副作用が大変ですね。  でも髪の毛が残っていますね。赤くなってるけど・・・」
おいおい。 5800円掛けて、染めたんだぞ!   とも言えず、黙っていた気の弱い僕・・・

鏡に映った自分の新しい髪の色を映したが・・・  自動フラッシュで・・・見えない


2005年3月10日

今日から2週目に入る。 点滴の抗がん剤が今日はある日だ!  3点セットだ! 頑張ろう!
お蔭様で最近は、下痢も止まり、食欲もある。  咳だけが酷いが、まあまあ順調?かな?
今日の点滴は9時間掛かった・・・  (/_;。) ウッウッウッ....   

看護婦の角南さんは、お名前は、まりちゃんかな?  うちの会社に角南真理って可愛い子が居たなあ〜〜
(*^ー^*) エヘッ    勝山町だったっけ・・・  (内輪ネタでゴメン)
ここの角南さんは注射が上手・・・   ○○さんが3回失敗。××さんが4回失敗。・・・
角南さ〜〜〜ん  お願いしますぅ〜〜   よっしゃ、 やっちゃろう  いっぱつで入った。(^^ゞ 
でも、僕の血管は太くて浮いてて入りやすいと評判だったのに・・・
何で入らないのだろう??   角南さんが上手いのか、それとも○○さんやXXさんが下手なのか?・・・

今日の抗がん剤の点滴は江尻女医先生さまが御自ら注射された。 そう言えば先週の点滴抗がん剤も・・・
どうも、ドクターでなくてはいけないらしい。   でもお医者様に点滴をされた経験はあまりない。
上手かなあ??  と心配していたら・・・   あらら  上手だ。  一発で入った。さすが女医先生!
で、でも・・・シーツに鮮血が・・・・   そう言えば先週も同じところに鮮血をこぼして・・・シーツが汚れた。
江尻先生!(松島菜々子先生似)  ガンバ! (^^ゞ 


2005年3月13日 (手術後50日)

高田さんのHPをネットで見る。診る。観る。一日中見る。 何だか僕もHPを作りたくなった。
闘病生活を同じ食道癌で闘っている人や家族に少しでも情報が発信出来れば嬉しいな。
また、色々と情報交換や相談など双方向で出来る窓口になれないかな?

「ある日突然ガンだった」の○○さんのHPや、「いつも笑顔で・・」のちゃとらんさんのHPなど・・・
参考にさせて頂き、どうしても作りたい!
来週でも自宅に帰ってノートPCをセットアップして貰おう。 山縣君に・・・

それにしても、体の副作用が落ち着いている。  空咳だけだ。しかも、背中や肺の痛みが和らいだ。
不思議だ。目標が出来たら、何だか体が軽い。
パソコンだけじゃなくて、足腰の筋力回復の歩きも続けよう!

14階中病棟に僕と同じ食道癌のIさんが、手術待ちで入院されている。
年齢は僕より1廻り上の還暦か?  非常に不安の様子。
「平井医長・松本副医長」のペアで執刀されたら最強のコンビ!  間違いないっ!

安心してお任せしよう!  と僕・・・   そう言えば僕も1月13日入院した時は、大変心配だった。
誰にも聞くことが出来ないし、先生に頼るしかなかった。  2月末にOさんと言う、抗癌治療最後の
「食道癌」の手術の先輩に話を聞くことが出来た。  松本先生のご配慮である。有り難かった。
生の声を治療中の先輩に、自分がこれから同じ治療する前に、体験を聞くことが出来るなんて・・・
安心して治療に入って行く事が出来た。

今度は僕の番。  恩返しだ。   Iさんに少しでも安心して手術を受けて貰えるように「先輩」として
何でも話してあげよう。

そう言えば、入院して今日で丸々2ヶ月が過ぎた。長かった様な、早かった様な・・・
今から退院まで、出来る限り後に続く同じ病気の人に親切に丁寧に、体験を話そう。
少しでも安心し元気に手術が受けられるように願って・・・


2005年3月15日

今日は2月分の入院代の支払日。  1月分は19日分だが、手術代や検査費が多くあり
95万円くらいだったが、2月分はその半分だ。
個室の差額ベッド代を含んでも46万円・・・  高額医療で返金されるので僕的には嬉しい。

しかし、病院経営としたら、大変だろう。あれだけのスタッフ。医者・看護婦・栄養師・薬剤師・放射線技師
色々な国家資格のスタッフを固定費として集め、施設・医療機器・検査機器・など高額な機械設備・・・
名選手=名監督 じゃないらしい。  病院経営も同じではないだろうか?
名医が、開業して必ずしも病院経営が出来るとは限らない。  むしろ逆かも???
国保・社会保も大変だ。やがて本人の3割負担が4割になり、5割・・・・とか


2005年3月17日

ちゃとらんさんのHPの掲示板へ書き込む。彼女はお父様を食道癌で亡くされ、その闘病生活をHPで紹介
されている。お医者様からの余命・寿命が3〜4倍生きられた。いつも笑顔で・・・
素晴らしいHPである。

また、「ある日突然ガンだった」のZさん。食道癌にしては大変珍しいお若い女性・・・・
早期発見で手術のみ。  抗癌治療は無し・・・
素直な本音でユーモラスに綴った体験談です。
自分も、この方のように素直に生きよう!  自然に人間らしく・・・・
今後も、色々と教えてください。宜しくお願いいたします。

http://www.santakurita.com/gan/       「ある日突然ガンだった」

http://www.h7.dion.ne.jp/~cyatoran/index.html  「いつも笑顔で・・・」

どうぞ、皆様アクセスしてみて下さい。 きっと参考になると思います。


2005年3月19日

同じ食道ガン手術を23日に控えたIさんのご家族に会う。
奥さん、子供さんも大変不安の様子。もちろん本人が一番・・・
僕の手術跡を見てもらい、絶対に大丈夫です!! と   こんなに元気ですから・・・
安心して手術を受けて術後は頑張ろう!  と励ます。  どれだけ伝わったか心配だが・・・

親族を含めて約20人くらい先生のインフォームドコンセントを聞いたらしい。
良いご家族・親族だ・・・
僕は一人で聞いたし一人で同意書にサインした。
何事も無く無事に手術が済みますように! 神様・仏様にお願いする。 m(_"_)mペコ  

僕は、下の娘を夜7時に呼んで帰ることにする。
彼岸だし、どうしても墓参りがしたくなった。
ご先祖様が呼んでいるのか急に帰りたくなった。

夜遅く迎えを呼んだので、娘の機嫌が悪い。   ったく誰のお陰で車に乗れると思っているんだ!
車購入・任意保険・税金・車検代・ガソリン代・などなど全て俺が払っているんだぞ!
たまにはタクシー替わりに送迎くらいしろ!  (`´メ)めっ!
今月の携帯代!  ったく幾ら使えば気が済むんだ!
先月2万7千円・ 今月3万6千円・・・    自分で払え〜〜〜〜〜〜


2005年3月20日

今日は、天気も良いし気持ちが良い。
そうだ!  孫の初節句のお喜びに行こう!
外孫だけど、可愛い。  兎に角可愛い。
孫とは言え、甥の子だから正確には孫ではない。しかし気持ち的には外孫である。

名前は、温哉(あつや) 只今赤ちゃん稼業4ヶ月。でも、生まれた時から歯が生えて生まれた。(本当ですよ!)
もうそろそろ、歩くかもしれない。しゃべりそうな元気な男の子である。

早くしゃべらないかなあ〜〜   何でも食べないかなぁ〜〜
何処でも連れて行ってやるし、何でも買ってやるのになあ〜〜
天神様を買って持っていった。とびっきりの笑顔で温哉が喜んだ!  (*^o^*)

                    おっちゃん!ありがとう!  って 言ってる。。。


2005年3月21日

昨日が彼岸の中日とは知らず、今日が中日とばかり思っていた。
一日遅れで墓参り・・・   ご先祖様・・・ごめん

ワンカップとコーヒーを持ってお供え。   生前の好物をお供えするのが何よりの供養とか・・・・
僕がもし、逝ったら、好物がたくさんあるから、大変だぞ!     生ビール・純米吟醸酒・ブランディー
廻らない握り鮨・ラーメン(玉松のから揚げ入り)・讃岐うどん・焼肉(大龍)・フォアグラ・アン肝・揖保の糸・蕎麦
なんぼでも、好物があるで〜〜〜(*^o^*)

子供たち〜〜〜  よ〜〜〜く覚えておくんだぞ〜〜〜!!!


2005年3月22日

機嫌の悪い娘にまたまた送らせて、病院に帰ってきた。
朝8時に家を出たから9時過ぎには到着した。スーパーで買い物・・・カップラーメンとカンズメ
大量に買い込む。
放射線照射を済ませてから、部屋に落ち着いた。

早くHPを作らなくちゃ!
運動もしなくては!
忙しい・・・とくかく忙しいのだ!    頑張らなくちゃ〜〜〜

午後から、珍しい見舞い客が・・・・
18歳で高卒の女の子を工場で迎えて一緒に働いていた「さっちゃん」だ。
今は、ランデスを退社して岡山のブライダルプランナーとして頑張っているそうだ。
もう27歳になったらしい。   えええーーー???   もうそんなに時間が過ぎたのかあ〜〜〜
子供みたいだったあの「さっちゃん」が、、、27歳かあ〜〜〜
自分が歳をとるわけじゃなあ!
早く嫁に行って子供を生め!  お母さんが心配するぞ!!!

夜、いよいよ明日の朝、食道ガンの手術をするIさんが、ご夫婦で病室に来られた。
「ガンの最新治療法」と「食道ガン手術マニュアル」の2冊の本を貸してあげる。
今夜は、ゆっくり休んで明日は安心して手術を受けてください!  と励ます。
不安さが、全身に現れている。本当に頑張って欲しいものだ。


2005年3月23日 (手術後2ヶ月)

朝、一番にIさんの病室に行き、頑張るよう声をかける。
7時50分には、ストレッチャーで6階の中央手術室へ・・・    頑張れ〜〜〜〜 (*^-°)v オッケェ〜イ♪

な・なんと珍しい患者さんに会った。
最初に入院したとき、4人部屋の102室で一緒だった加藤のじっちゃん。
大腸のポリープを内視鏡で摘出して、とっくに退院されたのに・・・
聞けば、再手術で開腹したとか・・・   まだまだ痛そう・・
がんばれ!じっちゃん!!   82歳だけど70歳くらいにしか見えないじっちゃん。
絶対に良くなるよ!  がんばれ〜〜〜

夕方4時半過ぎに、同じ食道ガンの手術のIさんが、無事終了した。
奥さんからの報告いただく。  良かった良かった! お互い頑張りましょう!!!
僕も、今日で抗癌治療が1クール終了・・・ 明日から1週間のお休み。
また、来月から2クール目が始る。   頑張ろうっと・・

な、な、なんと・・・・   H社長が居ない。   脱走したんじゃなくて、退院したらしい・・・  (-.-)
唯一の先輩が・・・ トホホ
どうやらこれで、完全に14階西病棟では、最古参に・・・  (/_;。) ウッウッウッ.... 
早く直して退院しなくちゃ!
そ、それにしても、あの、H社長が急に退院???  脱走じゃないの??? 、、、(;¬_¬) ぁゃιぃ・・・
一日差額ベット代が、31500円の部屋におられた、あのH社長が・・・  少し認知症のあのH社長が・・
一ヶ月で約100万円近くになるのかぁ〜〜〜
たまぁに、車椅子を押してあげると、「若い看護婦さんの方がええ」とか、言っていたあのH社長が・・・
受け持ち看護婦さんの森下さんにいっつも、お世話になっていたあの、H社長が・・・
いっつも、脱走して捜索願が出ていた。パジャマの背中に「14階西 H」と大きく書かれたシールを張られていた。
あの、あの、H社長が退院してしもたらしい。  ぼくは、挨拶も出来んかった・・・
寂しい。 またお友達が居なくなった・・・  ・。・゚゚・(≧◯≦)・゚゚・。・


2005年3月24日

今日から1週間何もしない休みの週!  (*^o^*)
嬉しいな〜〜〜  (*^o^*)     と安心してたら、「放射線治療部から呼ばれました」 と  看護婦さん
月曜日がお休みだったので、1クールが今日で最終だった。

受付の田村さんが、先生に確認してくれた。 本当に親切な人だ。
今日は、事の他大勢で混み合っていた。  それに、放射線治療も人によって時間はバラバラ
僕は服を脱いでから、治療を済ませて、服を着るまで10分と掛からない。照射時間は合計2分くらい。
長い人は、照射時間が2〜30分と長い人もいる。

田村さんが気を遣って「今は混んでいますから、あと1時間くらいしてから来てください」とか
非常に有りがたい。 その間、歩いたり運動したり、洗濯したり、有効に時間が使える。
2クール目も宜しくお願いしますね! 田村さん〜〜  m(_"_)mペコ  

放射線治療部の受付の田村さんの後姿です。(*^o^*)   正面はもっと素敵です!
           (僕的には、息子の嫁にしたい人NO1です!!!)


午後から、わざわざ、高田さんが、はるばる落合町から来てくれた。  本当に有りがたい。
高田さんは、このHPを開設にあたって色々とお世話に成っている師匠です。
ご自分のHPには、すでに11万を超えるアクセスがあり、5年目にして、更に充実したコンテンツ
を揃えられている。僕も、あやかりたいものだ。
http://www.yshouse.com/~takata/
http://www.yshouse.com/~yuusan/    このアドレスです。 どうぞ皆様お邪魔してみてください。




またまた、携帯が鳴った。 きっと悪い知らせに違いない。 メールで知らせるように言ってあるのに
家から急に携帯が鳴る。     恐る恐る出てみると・・・・

やはり、よくない知らせであった。   (/_;。) ウッウッウッ.... 
長男の哲男と、保育園からの同級生・親友・幼馴染の初岡義男くんが、交通事故で今朝早く亡くなったとのこと。
今年のお正月には、我が家に来て、色々話もした。結婚して奥さんのお腹の中には、子供さんもいる。
友人の結婚式に出席して岡山市からの帰り道、トラックと・・・・

なんと言う事だ!  まだ24歳のはず。  今年の誕生日で25歳か。
ご両親様も良く知っている。気の毒で慰める言葉もない。胸中ご察し申し上げます。
息子の哲男も、山口営業所から3時間かけて高速で帰って来たらしい。今夜が通夜・明日が葬儀
南無大師遍照金剛 

哲男も車には、十分気を付けるのだぞ!

2005年3月25日

今朝は、1クール済んで、抗癌治療の結果を、血液検査するので朝一番に採血。
久しぶりに四階の採血室に行く。   入院してからは、10階の採血室ばっかりだった。
外来患者さんがいるので、大変込み合っている。

本当に、多いなあ〜   何処が悪いんだろう? と思える人や、あきらかに重病そうな人や・・・・
僕も、今年の1月11日には、ここで最初の採血をして貰った。
もう、2ヶ月以上前の事だ。 本当に良く生きていると、自分ながら感心している。

これも、松本先生をはじめ、多くのスタッフのお陰である。感謝の気持ちを忘れないようにしよう!
また、多くの知人・友人・会社関係・ご近所・親族・家族・・・・多くの皆様の暖かい励ましのお見舞いの
賜物です。肝に銘じて頑張ります。m(_"_)mペコ  



今日は、医療・「病院のスタッフ」について・・・

規模は、大きくても、小さくても良い。
ドクターが、技術的に優れていて、最高の人でも、人間的に患者にとって信頼される人でなくてはまずいと思う。
また、いかに優秀で優れた技術を持ち、患者から信頼されているドクターが居ても、
その他のスタッフ(看護師・レントゲン技師・MRI技師・放射線治療スタッフ・栄養士・薬剤師・看護助士・etc)
が、親切でなかったり、優しくなくては、患者さんは安心して治療を受けられない。

入院していて、直接、毎朝〜毎晩 看護婦さんには、関わりが多い。
部屋の掃除やシーツ交換など、看護助士さんの接点も多い。
また、治療で、放射線や、CT・MRIなどの検査関係・採血など・・・
食事も重要だ。管理栄養士の方も重要になる。

僕達の会社では、「TQC活動」を続けて久しい。
トータル・クオリティー・コントロールの略だ。
要は、「全員参加」で企業品質を高めるのだ!
医療チームも同じじゃないかな? と思う。
ここ、(川崎医科大学付属病院)は、完全ではないかもしれないが、
かなりの、高いレベルの「企業品質」を持っていると思う。

2日おきくらいに、「角田病院長」が、自ら一人で、朝早く回診に廻ってこられる。
「具合は、どうですか? お変わりないですか? 」と、一人一人に声をかけて廻られる。
おじいちゃん・おばあちゃんは、それだけでもう大感激。
腰を90度に曲げてお礼の挨拶をする。 大切なコミュニケーションだ。
だが、誰にでも出来ることではないと思う。

これだけの大きな病院のトップであるから、かなりご多忙だと思う。
僕は入院して2ヶ月以上経つが、角田院長のあさの回診は途切れたことがない。
決して、「白い巨塔」ではない。  必ず一人で来られる。


消化器外科医長の平井先生も、お忙しいのに、頻繁に様子を訪ねて頂ける。有り難いことだ。
また、主治医の松本副医長・担当医の江尻先生は、一日に、朝・昼・夕・夜・と数回、回診に来られる。
患者にとっては、こんなに嬉しいことはない。

容態を聞いていただき、調子を確認して貰える事は、患者にとって有り難い。
色々な症状を、訴えて、懇切丁寧に説明される。
手術日もあるし、外来の担当もあるのに毎日、欠かさず回診される。
苦しくても、「頑張ろう!」と言う気持ちに、自然になって行く。
有り難いことだ。


看護婦さんは、日勤+深夜夜勤  と言うハードな勤務をされながらでも、「嫌な顔」を見たことがない。
どんなに夜中だろうが、朝方だろうが、起きていて「熱が下がらない」とか「痛みが・・・」と訴えると、
笑顔で、痛み止めを注射してくれたり、座薬を入れてくれたり・・・
僕の「娘」くらいの歳の看護婦さんばかりである。

20代中頃では、ナースの制服を脱いだら、若い女の子である。 遊びたい盛りの年齢ではないか。
それが、仕事とは言え、家族・親族以上の、「愛情」を持って接してくれる。
殆どの看護婦さんが皆そうである。
田舎の病院しか経験がないが、僕の知っている小さい病院ではこんな看護婦さんばかりじゃない。
お医者さんより、偉そうにして、叱られることがシバシバ・・・
全く、驚きである。 しかし、大変有り難い。


今、「放射線治療部」で治療中だが、受付の田村さんは、本当に親切だ。
僕だけじゃなくて、患者全員に親切にしている。
温厚で親切で優しい。こんな受付の人が居たら、患者は少々待たされてもイライラしない。
放射線治療スタッフも大変親切で、丁寧だ。

患者は、僕を含めてまず全員が、場所はどこかの「ガン患者」のはず。
抗癌科学治療中だから、患者はしんどい。
あったかく、肩の凝らない雰囲気を出すのは、難しいと思う。
それが、ここでは、安心できる「雰囲気」が、出来ている。


管理栄養士の人ももう、何回も病室に来られて、「室川さんの食道ガン術後の食事について」と言う
冊子を手書きでこしらえて、説明に持って来られた。
なかなか、出来ないと思う。 また、可能な範囲で、本人の好きなメニューを聞いて出してくれる。

病院に長く入院していると、大切なのは「食事」だ。 唯一の楽しみの一つである。
その事に、重きを置いて対応している。 有り難い事だ。


投薬の関係で、「薬剤師」の人は、必ず週に2回は来られる。
週1回、薬の説明と飲み方を、実物を持って病室まで来られる。
もう一回は、ちゃんと飲んでいるか? 調子はどうか? 聞きに来られる。

患者にとっては、これは、何の薬だろう?  副作用は?  とか、お医者さんに聞くのを忘れて
居ることもある。 そんな時、ちゃんと説明されるし、主治医と相談します。 とか
連係プレーが出来ている。


また、病室で生活していると、必ず部屋が汚れたり、汚くなる。  掃除も看護助士さんが
丁寧に毎日来られる。  いい加減に、適当にされるのと、そうでないのは、見ていて分かる。
ここの、掃除はトイレも含めて大変、丁寧だ。 気持ちが良い。
ローカとか、共用部分でも、綺麗に掃除されている。


結論として、僕は田舎の総合病院くらいしか経験がないが、こんなにトータルで「医療品質」の高い
病院は、今まで知らない。
何事にも、「完全」は、ありえないが、ここ「川崎医科大学付属病院」は、かなり高い「医療品質」を
持っている。
病院長自ら、「率先垂範」して、マンモス病院を引っ張っておられる。
だから、岡山県のみならず、近県から、入院患者が押し寄せるのだ。
ベッド待ちが、続いていると聞く。  もっともである。

http://www.kawasaki-m.ac.jp/hospital/     川崎医科大学付属病院のHPです。アクセスしてみて下さい。

      全体の半分くらいしか、写っていません。福祉大学や体育館・医療博物館など凄い規模です。


2005年3月26日

今日・明日は検査も治療も何もないので、「外泊しても良いよ」  と 菜々子先生(江尻ドクター)
この前、帰ったばっか・・・  日曜日に同級生が見舞いに来てくれるらしいし、帰らないことに・・・

昨夜は、18時から20時まで、院内の大講堂で、第18回川崎学園互助会音楽祭(佐々木典子ソプラノリサイタル)
が、あり夕ご飯を食べずに、聞きに行った。

佐々木典子さんは、武蔵野音大を卒業され、ウイーン国立歌劇場で、ソリストとして長く活躍される。
現在は、東京芸大の助教授をされている。二期会会員
子安ゆかりさんのピアノと共に、モーツァルトの「すみれ」「春への憧れ」シューベルトの「春への信仰」「ます」
など、世界の代表的なソリストのソプラノリサイタルだった。

ドイツ語で熱唱され、大変感動した。
もちろん歌詞の意味は全然理解できないが、「一流」の持つ独特の雰囲気に魅了された。
演歌ももちろん悪くはないが、たまには、このようなコンサートも良い!

今朝、山縣君からメールが届く。 HPを開設する準備完了とのこと。
早速、ノートPC(ローカルで作成したHP)から、アップロードする。

まだまだ、写真など整理が悪く、リンクミスもあり、見苦しいが「食道ガン闘病日記」は、今現在入院中の
患者の生の声として、同じ病気で闘病中の方やこれから手術される方、ご家族の方などに
少しでもお役に立てれたらと思う。

リアルタイムで、双方向でやり取りも出来る「掲示板」など、コンテンツも充実させて行きたい。
読んで頂いた皆様からのメールも、ご意見を頂きたい。また質問などどんなことでも構わないので
ご意見など遠慮なく送って下さい。m(_"_)mペコ  

23日に同じ食道ガンを手術された、Iさんが、ICUから、14階ナースステーションのICUまで帰ってこられた。
早い! 丸3日ICUで4日目から病棟に帰れたのだ。 僕は、1週間ずっとICUだった。
それと、脾臓は摘出されていない。 回復も僕より早いかもしれない。 本当に良かった。(*^o^*)

他人事とは思えない。 同じ病気で頑張っている仲間だ。 何としても回復しよう! お互いに!
お顔を見に詰所のICUへ・・・  術後4日目にしたら、とてもお元気だ!
僕なんか、その頃はやっと人工呼吸器が取れ、高熱と格闘中だった。
「僕より回復も順調ですよ!あと3〜4日したら大分楽になりますから・・・」  と励ます。
「先生からもそう言われました。でも想像していたよりずっと痛かった・・・」   とIさん。

受持ち看護婦さんの川崎さんが、今日の夜勤で最後とか・・・・  寂しい

夜中の2時頃帰る勤務だ。午後4時頃には職場に来て夜中に帰る。ハードな勤務だ。
ここの病院のシステムとして、ナースステーションの看護婦さん全員がA・B班に分かれ
患者さん全員に担当受持ちを割り振る。 つまり一人の看護婦さんが患者さんを数人受持つ。

担当の看護婦さんが、泊まり明けとか、お休みの時は、同じ班のほかの人が責任を持って担当する。
だから、責任体制が明確になるし、コミュニケーションも良好になる。
反面、違う班の看護婦さんとは、あまり接点がない。

病院によって色々やり方が違うだろうが、良い方法だと思う。
約二ヶ月半、大変お世話になりました。m(_"_)mペコ  
お元気で、故郷に帰られても、ご活躍してくださいね!  応援してます! ありがとう(*^^)^*)ホッペニ チュ!!  


2005年3月27日

とても、幸せな気持ちで爽やかな目覚めの朝だ。   理由を紹介します。
毎朝、5時半頃に目を覚ます。   な、なんとノートPCの上にお手紙が置いてあった。
早速読んでみると、昨夜の夜勤で最後だった受持ち看護婦さんの川崎さんから・・・
余りにも、嬉しくて、原文のまま紹介します。

「室川さんへ
 今回、入院の途中での退職となってしまい、本当に申し訳ありません。
大きな手術を乗り越え、放射線治療・抗がん剤と辛い治療が続いていますが、
本当に、室川さんは前向きですごいなあと、いつも思っていました。
あと、一ヶ月ほどは入院生活が続くようですが、副作用がなく過ごせると良いですね。
退院したら、九州へ遊びに来られるようですね。暖かくて良い所です。
一日も早い退院と、残りの人生を有意義に過ごせる様、心から願ってます。   川崎より」

どうですか?  皆さん。   これを読んだ患者としての僕の気持ちが分かりますか?
本当に嬉しくて有り難くて、涙が出ました。
高度な「医療品質」とは、こう言う、現場のスタッフ全員の心くばり・気配りの集合体です。
一部のスタッフだけが、突出していてもダメ。  直接患者さんと、係わるスタッフ全員が
「最高の医療品質」を目指している、ここ川崎医科大学付属病院は今後もますます充実して
いく事と思います。

また、彼女は、故郷に帰られても、看護婦さんをされると聞いている。
きっと、素晴らしい看護婦さんなので、皆が驚くだろう!
益々のご活躍と、ご健康と、お幸せになれます様に!  ありがとうございました! m(_"_)mペコ  


今朝の、産経新聞 朝の詩  より・・・

「一生懸命」 だれが何の目的でこんな字に変えたのか、私は知らないが
生きている間ずっと命がけで頑張れば心も体もすぐに壊れる
「一所懸命」 いにしえの人はみな生き続けるという難しさを知っていた
だから
ここ一番という所だけ本気で力を発揮する
「懸命」になるのは
「一生」ではなく
「一所」だけでいい

肝に銘じて今後は生きていこう  スローに  自然に  人間らしく・・・


2005年3月28日

昨夜から、春雨が降っている。 もうすっかり、外は春である
窓の外を見ると、田んぼの色が変わってる。

今までは、雑草が生えて一面が緑色だったが、日曜日にトラクターで耕したのだ。真っ黒になっている。
来月の終わりくらいには、田植えがされるであろう。  その頃には退院出来ると思う。

入院した、正月明けには、霜で真っ白だった田んぼ。
季節も変わり、僕の体も大きく変わった。
もう、無理は出来ない。

今朝の産経新聞 朝の詩より

「大人になって 子供のように泣くのは
難しいね

そして

子供のように笑ってみせるのは
もっと難しいよね」

いつの間にか、素直な気持ちを抑えて、表現しない「大人」になってしまった。
でも、それが本当に「大人」だろうか?
泣いて笑って自然に人間らしく・・・

免疫力をあげるには良いらしい。


2005年3月29日

今日は雨も上がり、春の気配が窓越しに温かい。
病院の中庭に散歩に出かけた。

48年間生きて来て、知らない事がいっぱいあることに気付く。
池の錦鯉が、お昼寝していた。  しかも横に寝ていた。
さすがに、枕までしていなかったが・・・

最初はてっきり死んでいるものとびっくり仰天した。
しかも、大きな錦鯉が何匹も・・・
じっと見ていると、寝が足ったのか、やおら起き出してすいすいと泳ぎ始めた。
まさか、鯉が横になって眠るとは・・・
嬉しくなって写真に撮った。

       病院鯉だからといって、病気ではない。点滴もされていない。 爆睡中 z z z


2005年3月30日

今日も窓のガラス越しの日差しは、暑いくらいだ・・・

昨日から、筋力回復のため、両手首に1・5kgづつ 計3kg  両足首に3kgづつ 計6kg 総合計9kgの
ウエイトを付けて歩行している。階段を使いできるだけエレベーターを使わず歩いている。
入院前から10kgも痩せた。  という事は、このウエイトを付けたよりまだ重たかったのか・・・  (-。-) ボソッ

朝、新聞を買いに8階に行こうとエレベーターに乗ると、な、なんとあの、「今泉女医先生」が乗っておられた。

「その後、おかげんはどうですか?」と優しく声を掛けられて・・・  (*^o^*)
はい、お陰様でこの通り元気です!  と  ウエイトを見て頂いた。
「あまり、一度に無理をなさらないように・・・」  と・・・   「は、はい!む、無理はなさりません」  と僕。
「HPは出来ました?」  と聞かれ、  「完成はしてませんが、一応、公開しました。また見て下さい」  と僕。

みなさんに、今泉先生のご尊顔を拝して頂けないのが、、、、残念!
お医者様だから、医大を卒業されて、研修医丸2年と言う事は、いくらお若くても、24〜5歳か・・・
とてもそうは見えない。  せいぜい、二十歳くらいだ。 とにかく、可愛い人である。

4月から、小児科に行かれるとか・・・   今泉先生にぴったりな診療科である。 
僕が、めでたく退院出来たら、平井医長・松本主治医・今泉先生で、焼肉に行きましょう!  のお約束!
忘れていませんよ!  (*^o^*)

                 すっかり、春だなあ〜〜〜  綺麗にプランターで咲いている花。


今朝の 産経新聞 朝の詩より

男だから顔に化粧をしたことがない
男だから素顔、スッピンで生きてきた。

心には化粧をしたつもりはないんだが
いつの間にか化粧をしていた

もうこれからは心の化粧も落として
気楽に生きよう


うなずける詩だ。


2005年3月31日

今日で、平成16年度も終わり。  そしておらが田舎の「落合町」が無くなり、新生「真庭市」が誕生した。
あえて、コメントは差し控えるが、「いまさら・・・・」感が拭えない。

もう、30年くらい前になるだろうか?
JC(青年会議所)が、「真庭市を造ろう!」とスローガンを掲げ、私のHP師匠の高田さん達が頑張っておられた。
気運も、意気込みもあり、そうなるかと思っていたが・・・

お互いの町・村が、「利権・エゴ」の引き合い・・・
最終的には、真庭郡最大規模の落合町が他町村に吸収合併の様相を呈している。
情けないが、現首長を選出した我々、町民に責任がある。
岡山県真庭市日名71番地   これが僕の新しい今日からの住所かぁ・・・ 

さて、今日から、抗癌治療の2クール目。
ドセタキセル(点滴)と、TS−1(飲む抗癌剤)+放射線照射  が始った。
菜々子先生(江尻先生)が、最後の点滴を打ってくれた。

明日から、新年度移動で内科勤務に変わられるとか・・・・  (/_;。) ウッウッウッ....  なんと言う事だ!
ぼ、僕は、何と言う不幸なのだ・・・  今泉女医先生の交代。 川崎受持ち看護婦さんの退社。
こ、今度は、菜々子先生までが・・・    (ん?と言う事は、また新しい女医先生が??(*^o^*)えへっ)

今日も、気合を入れて一発でスムーズに入った。しかも流血なし。  完璧である。さすが菜々子先生!
明日からは、主治医の松本先生のみ。   担当医無し?  つ、つらい。
寂しくなる。   来週の抗がん剤の点滴も菜々子先生(江尻先生)にお願いする。 m(_"_)mペコ  

             「大山槍尾根の春」の花より綺麗な菜々子先生(高田師匠ごめん m(_"_)m )

  僕の悪友や友人・知人から、熱い要望が・・・(強制的に、菜々子先生を見せろ!コールが続出)
朝の抗がん剤点滴の合間に、平身低頭にお願いしたおして、やっとこのカットをゲット・・・(持ち出し厳禁)
 藤田ぁ〜〜〜〜〜感謝しろぉ〜〜〜  (胸元のキャミちらばかり見るなよ!)  (`´メ)めっ!       


5時間掛けて、抗がん剤の点滴も、今日は3時で予定通り終了した。  最初は9時間。2回目が11時間。。。
今日は、B班の高田看護婦さんが、絶対に5時間ジャストで済ませます!   と。  さすがだ! m(_"_)m

今の所、下痢・嘔吐など副作用は出ていない。
一番最初は、もうこの時間から、トイレの中だった。
これなら、副作用は軽いかもしれない。 体が慣れてきたのか?  環境に順応し易い性質か?

ウエイトを装着してウォーキングに・・・
玄関前のドクターヘリ。。。
すごいなあ〜〜〜  あのヘリで、今までに何人の重篤患者が助かったのかなあ〜〜〜・・・
多分、すごい数の人だろうな。 すごい数のご家族の人達に笑顔を取り戻しただろうなあ〜〜(*^o^*)

ヘリコプターには、一度乗ってみたい気もするが、「ドクターヘリ」は、パス!
そう言えば、僕は飛行機が嫌いで東京出張も必ず、新幹線派!
前は、飛行機代金の方が高いので、問題なかったが、
最近は、価格破壊で、新幹線の方が高いらしい。

出張旅費清算で、経理担当から、「飛行機で東京出張して下さい」とクレームが・・・
差額は自費払いでも、僕は新幹線を頑固に使う。
あの、重たい鉄の塊が、空を飛ぶ訳がない! 
必ず、はっと気が付く!  自分は鉄で出来ている。 飛んではいけないと・・・

でも、ガンで死ぬんだったら、少しだけ早いか遅いかの違い・・・
死ぬまでに一度、飛行機に乗ってみようかなあ〜〜

                操縦して見たい! (*^o^*)   免許を取ろうか?


今朝の 産経新聞 朝の詩より

自分の過去を、生きなおすことはできないけれど
自分の今に、もう五グラム
足すことはできる

想うこと1グラム
進む気持ち1グラム
祈ること1グラム
喜ぶ気持ち1グラム
見つめること1グラム

私のカップはあたたかい時間で満たされる


ほんの、5グラムだけど無理せず、足してこれからは生きていこう
あたたかい時間の中で、自分を変えよう。


2005年4月1日 (手術後70日)

朝一番に、松本先生が、新しい担当医(研修医)を同行されて部屋まで来られた。
非常にハンサムでカッコ良い村上先生だ。。。           菜々子先生はもう来ない。。。 (-。-) ボソッ

今日は、朝から調子が乗らない。
天気のせいか?  いや、快晴だ。
抗癌治療のせいか?   下痢も嘔吐もない。

なぜだろう? 

どうしても理由が分からない… 原因・真因が掴めないと対策が打てない…なぜ?5回繰り返す…
分からない…   ええわ
放射線治療を済ませたら、気分転換に裏山まで散歩しよう・・・っと

                   

しだれ桜?  もうすっかり春だ!  心はまた冬に逆戻り・・・   何でかわからん!


今朝の 日経新聞 朝の詩 より

「マイクとスピーカーがくっつきすぎてピーピーガーガーいうみたい
ずっと前は、離れていて僕の声は君にすっと伝わったのに
今はこんなにそばにいるのに
ピーピーガーガーすぐけんか
でも、マイクを少しずらしたら、ほらきっとそばにいたって大丈夫だよね」

ノーコメント・・・   (誰でも胸にチクリと…)


2005年4月2日

民間免疫療法について・・・

アガリクスなど茸類の健康食品が、ガンと闘う! 克服した!などと、PRを良く目にする。
何が本当に良いのか? 素人では、比較のしようがない。
また、金額も高額のものが多い。

かく言う僕も、「サン・クロレラ」のアガリクス+クロレラCGF  をガンの宣告を受けた今年の1月から
服用している。30袋入りの箱X6ケース=12万円だった。
3回/日で、忘れないように飲んだつもりだが、なぜか今まであった。本当なら2ヶ月分だから
3月中旬には、無くなっているはず。  飲み忘れもあったようだ。

さて、効果だが・・・
白血球数(WBC) L=3500 H=9500   の基準だが・・・

抗癌治療前の3月1日   7060
         3月7日   6860   3月3日〜3月16日まで抗がん剤
         3月10日  5710   3月3日〜3月24日まで放射線照射
         3月14日  6230
         3月17日  8570
         3月22日  8250
         3月25日  6380
         3月29日  6080   3月31日〜4月13日まで抗がん剤
         4月1日   6790   3月31日〜4月20日まで放射線照射

今の僕の生データである。
Oさんは、白血球数が3000まで低下した。1ヶ月5万円くらいかかるサプリメントを飲んでいた。
Rさんは、何も飲んでいないが、2000を切って、やむなく一時治療を休止。
もう一度、注文して飲もうかと迷っている。。。


2005年4月3日

飲む抗がん剤(TS−1)の副作用は、僕の場合、「激しい下痢」だった。
1クールの1週目は、下痢との戦いだった。

2クール目は、最初から、下痢止めを服用する。準備万端! 先手必勝だ! (*^o^*)

31日の朝・昼・夜と、下痢止めを飲み続ける。 よしよし〜〜  下痢もないし調子がええでぇ〜〜
4月1日も下痢しない!  良いぞ!   で、でも、、、待てよ。。。何かおかしいぞ。
糞してないような、、、、良いのかなあ〜〜

まあ、あの苦しい下痢より良いかあ〜〜〜  (*^o^*)
4月2日。  あれだけスマートになった下腹が、ぽっこりと・・・  出てきた。
苦しい。  浣腸??  何と言う事だ!    看護婦さんが、「浣腸しましょう!」  と・・・

「じ、自分でしますから・・・」   と
いちぢく浣腸のデカイやつを、無理やり入れた。   入れたつもりだったが・・・・
入り口で、水戸のご老公が、血を吹いて怒った!   何をする!  無礼者!
踏んだり蹴ったりである。
下剤をもらう。  最初から下剤にしとけば良かった・・・・  (-。-) ボソッ

で、出た、出た〜〜〜〜〜  大量の○ん○があ〜〜〜
と、言う事で、今日は快調(回腸)なのです!  (*^o^*)

要は、同じ抗がん剤でも、人により副作用は、全然違う。
また、体調により、出る症状が違う。   程度も様々。
今回は、嘔吐なし。  食欲旺盛である。

放射線は、やはり副作用は、蓄積されて出てくるようである。
気管に当たる為、粘膜保護液を(3回/日)飲んでいるが・・・
咳がだんだん酷くなってきた。

喉から胸に掛けて、放射線が当たる所の、皮膚が焼けて真っ黒に・・・
1.8GY/日 X30日  計54GY 照射は、かなりキツイらしい。
手術せず、放射線だけでも、これくらいまでしか、照射しないそうだ。
取れる場所のリンパ節を全て手術で除去してあるのだが・・・
3箇所転移があったため、このくらい照射するそうだ。

最後の10回は、斜めから照射して、脊髄への影響を緩和するらしい。
白血球・ヘモグロビンなど減少緩和対策らしい・・・
とりあえず、ガンバルンバ!! (*^o^*)   しかない。。。

自分では、「一所懸命」頑張ってるつもりだが・・・

「検温に行ってもいっつも部屋におらん。」   「ウエイトまで付けて歩き廻りょうるでえ」
「たま〜に居るのを見かけたらパソコンに熱中しとる」
「あれで、ほんまに、食道ガン手術後、抗癌治療中かあ?」   と、看護婦さんのささやきが・・・

「はい!」 その通り!  元気に抗癌治療中です!  (*^-^*)♪♪

「病気」に、なっても、「病人」には、ならない様に!!!


2005年4月4日

今日は、一日中、ホームページを登録しているサーバーが、故障していてメールも出来なかった。
夜、やっと復旧できた。 詳しい事は分からないけど、何だか難しそうななあ・・・

と、ところで、HPサーバーにこんなに写真を貼り付けて大丈夫かなあ?
もう、60MBを超えている。どこまで行けるんだろう?  高田師匠のは、1Gとか???
まあ、良いかぁ〜〜〜  (*^o^*)

長く病院で入院していると、色々な人に出会う。 各階ロビーで入院患者同士の井戸端会議。。。

乳がんが3cm以上もある、しかも乳腺・リンパ節転移が認められている30代の女性。
3人の子供を連れて離婚し、最近、また子連れで再婚したばかり・・・
ガンの告知を受け、「温存法」を強く希望していると言う。。
子供のためにも、リスクが少ない「摘出」の方が、良いのでは?と皆様のご意見に、本人は・・・
「乳房が無くなる位なら、死んだほうがまし!」と、強い口調で・・・
皆様、それ以上は、何も言えずに・・・  寒い空気が・・・

骨髄にガンが転移して、末期状態の40代の妻に付き添われている50代男性。
「今月の入院費は120万円請求され、払えない。待ってもらうように、病院と交渉している。」  とか
「あと、3〜4ヶ月も長引いたらどうもならない!」 とか・・・

40代の男性が、ICUでもう3週間以上とか。
聞けば、悩んで油をかぶり大火傷したらしい。危篤状態だそうだ。
毎日、輸血・人工透析などしているらしい。足から皮膚を取り、胸に移植しているが、危篤状態は変わらない。
付き添いに来ているご両親は80歳くらいだ。   何とも言えない。。

土曜日には、朝方、刃物で刺された男性が、急患で搬送されたらしい。
刑事事件だそうだ。警察が多くいたらしい。
一年以上入院している主さんの情報・・・

今日も、ドクターヘリが2回飛行して、重篤患者を搬送していた。  救急車は、何回入ってきたか
分からないくらい、サイレンが鳴っていた。
皆、それぞれの生活があり、家族が居るだろう。
1200床もある、マンモス病院には、今日もそれぞれの、「人生」がある。

           待ってろよ!  すぐ行くけえな!  頑張れよ〜〜〜


2005年4月5日

今日は、快晴で暖かい日だ!  医大裏の高台の公園までお散歩に・・・

特派員便り! 川崎医大裏の公園から・・・  「ソメイヨシノのさくらが3分咲きです」
なお、しだれ桜は今が見ごろの満開です!  室川でした。。。

まだ、つぼみの木や、3分咲き・5分咲きの木など、日当たりによってバラバラの状態。今週は暖かそうなので
週末には、満開、見ごろだろう。

しだれ桜は、今が満開! (*^o^*)

こんなに、暖かい日になったなあ〜〜〜  (*^o^*)
退院したら、何を食おうかな?
一番は、「柳川の蒸篭むし」  そげんっ! あとは「稲星の湯」を借り切って・・・  (^^ゞ 
二番は、たらの芽・葉うどのてんぷら。  よもぎ団子も作って食べたい!
三番は、ぼた餅!(青木おばあさん作)  立石の柏餅も・・・
お腹いっぱい食べてやる!

春は、ええなあ〜〜  (*^o^*)  暖かくて、気持ちがええ!   日も長くなったし・・・
あと、2週間ちょっとの抗癌治療を頑張れば、帰れる。
明日で、放射線治療も、2クール目が、1週間過ぎる。
残り、2週間だ。 気管や肺・脊髄などに悪影響が出ませんように!

夜の食事は、お刺身だった!しかも、鯛と鮭。大きな切れが5〜6枚も・・・
食べれるかなぁ〜〜?  と心配したが、難なく完食! (*^o^*)
お〜〜〜い!  鯛の刺身も食べれるぞぉ〜〜〜          誰に言っとるん?  (-。-) ボソッ

「いにしへの
     奈良の都の
          八重桜
    けふ九重に
         にほいぬるかな」    伊勢大輔
   


2005年4月6日

朝一番に、主治医の松本先生より・・・
「手術待ちの患者さんが、詰まってきたので、部屋を替わって貰えませんか?」  と・・・
今まで、良くして頂いているし、無理ばっかりお願いしているので、ここは・・・
「はい!構いません。」  と、快諾する。  が。。。

あと、2週間少々の入院になって、今更部屋を移動するのは面倒くさい・・・   (-.-)  荷物が沢山あるし・・・
でも、、、、  感謝!感謝!  元気にして貰ったのだから、喜んで替わろう!

ここ、西病棟は2年前に出来た新館。医療設備も最新式。重病患者や手術後の回復に部屋は常に満員。
代わるのは、同じ14階中病棟。
改装されているが、建物は古い。こちらは、安定した患者さんばかり。らしい。。
同じ程度の(金額が)、個室でお願いします。 m(_"_)mペコ  

開腹手術の傷口が少し化膿して血が出た。
表皮の糸は、抜糸しているが、脂肪層を縫った糸が、出てきた。本来は溶けて無くなるらしいが・・・・
やはり、放射線の副作用か? 傷口が付きにくいのか?
この傷口が塞がれば、入浴も可能だ。 今まではシャワーばかり。  今度は早いだろう。
早く温泉に浸かりたいな! (*^o^*)

同じ、食道ガンの手術を3月23日にされたIさんが、もう食事をしている。  聞けばまだ、おかゆらしいが・・・
飲み込みは、いかが?と聞いたら、 「問題ない」  と・・・
もう、退院されている、先輩のOさんも、食事で飲み込みに苦労されたとは、言っていなかった。
ここ、川崎医大の松本先生の手術が上手いのか?  偶然3人とも飲み込みが良いのか?  分からない。。。

大先輩の「ヒデ」さんは、術後4年でも、まだ苦労して食事をされているそうだ。 いつもお世話に成ってます。
HPでも、色々紹介されている。大変充実されていて、参考になるHPだ。
http://www5d.biglobe.ne.jp/~zaky/
どうぞ、同じ食道ガンの闘病中の方やご家族の方、アクセスしてみて下さい!
「ある日突然ガンだった]の、ミーさんも、術後の食事には苦労されている。

僕は、確かに、「時間が掛かる」「量が一度に多くは食べられない」など、制限はありますが、
それほど、深刻ではない。 人によるし、手術によるだろうが・・・

ヒデさんの、ご忠告どおり、「慢心」せず、「調子に乗らず」 一歩づつ着実に進もう。
焦らずに、驕らずに、病気と付き合おう。負けないように、、、

3日間悩んだが、結局、アガリクスを再購入して飲む事に・・・
岡山市に営業所が有るので、お昼には持参して来られた。
12万3千なんぼだった・・・  もう2ヶ月したら、ある程度結果も出るだろう。。。  またお知らせします。

乳がん患者の会  とか、 胃がん患者会  とか  あるけど、「食道ガン」経験者の会  って無いのかなあ〜〜〜
全国ネットワークで情報交換したら良いのにな!
同じ、「ガン」でも、場所によって治療・手術・抗癌治療もさまざま・・・
「食道ガン」に限定すれば、術後の対策とか、家族の協力など情報交換が具体的になるのにな・・・


2005年4月7日

子供の頃の、憧れの食べ物。  それは、「バナナ」だった。
高熱を出すか、余程の事がない限り、日常では殆ど頂いた記憶はない。
風邪で高熱を出した時や、腹痛で唸っている時に、「バナナでも食べるか?」と聞かれる。
殆ど味も分からないが、それでも、これを逃したら、次はいつ食べれるか分からないので無理やり食べた。
僕が、余程、食い意地がはっていたように、聞こえるかもしれないが、当時殆どの子供はそうだった。

大津神社の秋の大祭には、必ずバナナの叩き売りが来ていた。親に連れられてよくお参りに行ったものだ
叩き売りのおじさんの、口上(名調子)に釣られて、帰りにバナナの叩き売りを買ってもらった。
年に一度の、「大盤振る舞い」である。  元気な時にバナナが食えるなんて・・・w(゚o゚)w オオー!  目が廻りそう。

当時、一房が、幾らしていたのか? 全然記憶にないが、(本当に子供だったので、多分5〜6歳のころか?)
兄弟で3〜4本づつ分けて食べたように記憶している。
兄は、6歳上なので、兄弟とはいえ喧嘩にならないし、別格。
姉は3学年上だが、年は2歳ちょっと上。  格好の相手・・・
しかも、おとなしかった。。。  姉は分け前をかならず、半分取っておき、後で食べる。物持ちが良いのだ。
僕は、貰ったものは、その場で全部食べる。いつ、だれに、取られるか分からないから・・・
末っ子の生き残りの知恵だ!・・・
当然、残してある姉の分け前に目標を絞り・・・・   (*^o^*)
必ずゲットしていた。。。  40数年以上前の遠い記憶・・・

そんな、記憶が最近蘇るのは、病院食でバナナが半分出るからだ。
懐かしいのと、喉越しが良いので、売店でも、買ってよく食べるようになった。
食事が少ない時などは、1本食べれば十分だ。(*^o^*)
高島屋百貨店でも1本4〜50円だ。  安い。。。
大人になったら、お金を稼いでお腹一杯バナナを食べる事が、夢だった。
今、バナナを買うくらいのお金は、可能だが、体のほうが・・・・
やはり、僕にとってバナナは、体調が悪い時しか食べられないのだろうか?

卵も貴重品だった。近所の養鶏場から、破卵を格安に分けてもらっていた記憶がある。買い物籠を下げて
お使いに行かされた。そもそも破卵である。それを子供だからゆすって帰ると多くが割れてベトベトに・・・
もったいないので、啜って飲んだ。親の目を盗んで、卵もゲット!(*^o^*)
生でよし。濡らした新聞紙に包んで焚き火の中で焼いてもよし。茹でてよし。玉子ご飯もよし。
おやつのない時代の、子供の生き残りの知恵だ!
そう言えば、病院では、玉子が出ない。 生も、ゆで卵も・・・
帰ったら、必ず「玉子ご飯」を食べよう! 醤油を掛けて・・・  (*^o^*)


今朝の 産経新聞 朝の詩より
  さくら
      「風が吹いて花は落ちて
                 街中に花の絨毯
       そしてまた風が吹いて・・・
                 どこに消えたの
         さくらいろの さくら  さくら」

今日も異常に気温が高い。朝は小雨も降っていた・・・
    満開と思えばすぐ散るさくら・・・

写真は、岡山県三大河川の旭川。「バタ公園」前から・・・   僕の自宅は、写真左に小さく写ってる橋を左に1`
行った所。 真庭市の中央辺りです。  
                      (写真提供?無断拝借! 高田俊定氏H16年4月撮影) m(_"_)mペコ  


2005年4月8日

   *梅干バアサン とは誰が言った?

「三毒(食物・血液・水の毒)を断つ」 として平安時代からその効用が知られていた梅。
梅干しは、長寿国日本の誇るべき伝統食です。
 だから、梅干バアサンなんて言ったら、女性はもちろん梅干しにだって失礼千万!

でも、「梅干しバアサン」の言いだしっぺは女性、それもかの有名な清少納言というから、驚きではありませんか。
『枕草子』には「げになきもの・・・・・歯もなき女の梅食いて、酸がりたる(似つかわしくないもの、それは
  歯も無くなったような老婆が梅を食べて酸っぱそうにしている顔)」と言うくだりがあるのです。

モロに「梅干しバアサン」とは書いてありませんが、老女の加齢による顔のシワが、「酸っぱ!!」と顔をしかめた
  ことでさらに縦横無尽に走る様子が目に浮かぶ・・・・ というわけです。
シワと梅干しの取り合わせに着目した点が、さすが清少納言。鋭くシニカルな観察眼はここでも冴えています。
  梅は、清少納言の時代は薬用として珍重されていましたが、江戸時代以降から食用として庶民にも普及しました。
見るだけでも唾液がわいてくる梅干し。唾液に含まれる酵素には「若返りのホルモン」として知られるパロチンも
  含まれています。  「梅干しバアサン」予防には、毎日の食卓に梅干しを。!!!

と言う訳で、僕も梅干し愛食家だ。  最近は備中の上月家から秘伝の梅干しを戴き、大切に食べていた。
ところが、1月の台所火災に遭い、悲しいかな行方不明・・・   5年以上寝かした塩分15〜18%くらいの
塩辛くない丁度良い塩梅(あんばい)の美味しい梅干しだったのに・・・・  (/_;。) ウッウッウッ.... 

今、病院では、青木家特製の梅干を頂いて来た。 少し塩辛いが、美味しい。日に1個だけ食べるようにしている。
食欲が進みすぎるからだ。 それに塩分の取り過ぎにもなるし・・・

さて、食道ガン手術後の食事で、多くの先輩方やご家族の方・あるいは、これから手術されるかたのご家族から
「本当に食べれるの?何でも食べれる?量も普通に?etc・・・」  と 多くの問い合わせを戴いている。
それにお答えするべく、今日の昼食を紹介しよう。
メニューは、軟飯200g 豚肉のケチャップ炒めソテー  茹ブロッコリー ナムル 胡麻和え  ヨーグルト  だ。
カニクリームコロッケ・鰯のカンズメ・ジョア・草大福 は、僕の勝手な追加メニュー   それと梅干しも・・

     11時50分から、食べかけて12時30分完食。。。  まあまあ早くなって来たかなあ?
  しかし、飲み込む量には、十分気をつけないと、引っかかる。

と言う訳で、食事もあまり苦にならなくなって来た。主治医の松本先生(消化器外科副医長)に縫合部の事について聞いてみた。

「機械縫合」と「手縫い」とがあり、僕は「手縫い」にこだわって、続けている。
平均点は機械縫合が勝るかもしれないが、その人に合った縫合をするには、やはり人間の手だ。
今まで、ブジーをした人もいない事はないが、それでも1〜2度くらいで、普通に食べている。
川崎医大でここ3年で言うと、40名以上術後のブジーはした事がない。  皆さん何事もなく食べられている。
バルーン拡張は、4〜5名したが、回数は2〜3回程度・・・(率として10%くらいか)

以上。だそうだ。  これから手術される皆様、参考までに・・・


4月7日付 産経新聞 産経抄

実弟とともにわが子二人を含む五人を殺(あや)め、「自分は死に切れなかった」と語る四十六歳の父親。
愛知県で起きた家族五人殺害事件は父性喪失、その背後に性差を否定する「ジェンダーフリー」をよしとする
風潮の影が揺らめいているようで不気味だ。

 ▼借金苦があったともいうが、事件が映し出すのは家族を犠牲にしてなお「個」を守る無責任な自己愛である。
   父親としての生き様を示すより、まず罪のない子の命を絶つことを選んだ容疑者に「父性」があったとは思えない。

 ▼父子の理想像とされた楠木正成・正行親子の別れをうたう「青葉茂れる桜井の」の作詞者で明治の国文学者、
   落合直文にこんな歌がある。「父君よけさはいかにと手をつきて 問う子を見れば死なれざりけり」。

 ▼「体の具合は」と尋ねる子を見てどうしてこの子を残して死ねようか、と自問する父。父親とは命絶えるその刹那
   (せつな)まで、子供を眼差(まなざ)しで慈しみ、背で生き方を示す畏敬(いけい)の対象だった。
   「父よあなたは強かった」。そんな歌が口々に歌われたころもあった。

 ▼「子供をこういう日本人に育てたい」をテーマにした読者論文入選作を発表した先日の「私の正論」で、
   審査した中原英臣氏が嘆いていた。「(母親に比べ)父親の立場からの主張が少なかった。
   こうしたテーマにこそ男性の投稿が増えないと、日本の将来は見えない」。

 ▼子の明日を語れない父から、子供たちは離れようとしている。昨日の生活改革面(東京本社版)
   にこんな記事があった。小学生に理想の朝食の席を描かせたところ、四年前は絵の72%に父親の姿があったが、
   今年の調査ではわずか26%。これで行くと数年後には「父よあなたはどこ行った」ということになる。
   あまりに寒々しく、切ない。

息絶えるその刹那まで子供を眼差しで慈しみ、背で生き方を示してきたつもりだが・・・・
家の子は全く顔も見せない子・入院に際し2〜3度送迎しただけの子・数日泊り込んで何かと面倒見てくれた子・色々だ。
でも、どの子もここ半月は声もメールも全くなし・・・    つもりと実際は大きく違うと気付いた。。。(-.-)


2005年4月9日

昨日は、ここ川崎医科大学の入学式。 新入生や父兄が朝から多く来られていた。
初々しい顔・顔・顔・  しかし、大学の入学式に親が?   と考えてしまった。

さすがに、さも、お金持ちそうな、ザアマス婦人が歴々と・・・
指にはこれ以上嵌められないほどの指輪・また指輪。。。金・銀・パール・ダイヤ・サファイヤ・エメラルド・・・
インテリ眼鏡を掛け、首輪もすごい!  重たく無いんだろうか???  (大きなお世話か)
多分、開業医婦人のオンパレードか。。。

なぜか、一歩控えて、佇む品のある老紳士。(多分ご主人か)開業医の院長先生もこう言う晴れ舞台では緊張気味。
私立医大。  入学金は? 授業料は? 寄付金は???  と下世話な疑問がフツフツと・・・
何はともあれ、おめでとうございます!
初心忘れるべからず!  立派なお医者様を目指して、一所懸命頑張れ〜〜〜〜  (*^ー^*) 

ナースステーションにも、一年生の初々しい看護婦さんが5名配属されてきた。
今日は初日なので、婦長さんに連れられて、院内の見学。 アヒルの親子の散歩みたいに連れ立って一列に・・・
真剣な眼差しとメモを片手に、聞き入る姿。  いつまでも忘れないでね!

5名増員とは言え、4名が退職・転属された、ここ14階西病棟ナースステーションは、当分先輩看護婦さんは、
忙しいだろう。 余分に新人教育をやらなくてはいけない。
即戦力には、当分時間が掛かる。  自分の仕事をこなしながら・・・
大変でしょうが、優しく教えてあげてください。 貴方たちも新人時代が有った筈ですからね!

医大生も、実習名目で病院内にぞろぞろと・・・  
朝の回診も大名行列になった。 主治医・担当医(研修医)に続いて、実習生が7〜8名ぞろぞろと・・・
その後に、看護婦さんが・・・

みんな、片手にメモを持ち、真剣そのもの。   僕の腹の傷テープ交換をそんなに見なくても・・・
自分でも交換できますよ。。。   もっと重篤な患者さんを診てあげて!  と言いたくなるが・・・
しかし、微笑ましくもある。 頭を下げて最敬礼して部屋に入り、出るときはお邪魔しました! と大きな声で・・・

お年寄りの患者さんは、、、、
「最近、先生がいっぱい来られて・・・有り難いことじゃなあ〜〜〜」  と感激されている。
何はともあれ、自分の受け止め方。  有り難い。有り難い。 感謝の心で・・・


     #「ありがとう」ってどういう意味?

感謝の気持ちを表すのに、「ありがとう」という言葉を日常的に使います。
  漢字では、「有り難う」。でも、これがなぜ、感謝の気持ちを表すようになったのでしょうか。

「有り難う」の本来の意味は「有り難し」。簡単に言えば、「あり得ないこと(が起こった)、非常にまれ」と言う意味。
  国学者の岩淵悦太郎は、著書『語源散策』で、「世にも極めてまれなことは、神や仏の力で実現される事が多い。
いわいる奇跡が起こる。霊験あらたかである。そういう場合に、神仏の前で『ありがたし』と手を合わせ拝む」と述べて
  います。このように、「ありがとう」は、もともと神仏を讃える言葉だったのです。

本来は、「ありがとうございます。お礼申し上げます」 や 「ありがたく存じます」 と使われていましたが、
  時とともに変化・省略され、「ありがとう」になったというわけです。


今日は、土曜日・明日は日曜日。。。放射線治療も無い。  さて、車を取りに家に帰るかなあ〜〜〜
病院の駐車場に止めておけば、いつでも買い物に出かけられるし、退院は自分で帰れる。  (*^ー^*) 
急に朝、迎えを呼んで、機嫌の悪い娘にも、「感謝・感謝」 (有り難う〜〜〜)  って・・・
落合の皆様、これから帰りますね!  時間が合えばお会いしましょう〜〜〜  (*^o^*)


2005年4月10日

今日は、HPサーバーがダウンして、復旧は明日午後になるらしい。  ・・・ (-.-)
山縣君が、善意で安く(破格値)サーバーを使用させてくれて居る。
また、この山縣君は、パソコン全般にとても詳しい。(もちろん商売だが、これ程詳しい人はいない)
携帯で、問い合わせしても、画面を見ずに、正確に対応策を指示出来る。 こんな人はいないよ!(*^o^*)

個人で管理されているから、サーバーダウンしても直ぐ復旧とはいかない。
ご迷惑をお掛けしますが、皆様、どうぞご心配なく!!!
良く転んでまた復旧。七転び八起き!   「達磨サーバー」と、命名!  (*^o^*)

そんな訳で、あちこちから、「HPが見えん!」  「どうした?大丈夫か?」  最後には「生きているか?」 などと、
ご心配の、「メール」 「TEL」  はたまた、落合からわざわざ、川崎医大まで、確認に「お見舞い」
有り難うございました。m(_"_)mペコ  
ホームページが、1日くらい見えなくても、サーバーのトラブル。。。
僕が、調子が悪い訳でも、死んでもいませんよ!   どうぞご安心下さい!(^^ゞ 

さて、僕の車ですが、単身赴任(営業で)が、決まってから、社用車を使用していました。ので
個人の車は処分していました。   ない。。。   買わなくちゃ!
と言う、事で「マークU」」を…  新車だ!… 12年前の… 
まあ、5万円じゃけえ、こんな物じゃろう! (*^o^*)  僕が長生きするか?この「マークU」が長くもつか?
僕は、オーバーホールしたけえ、負けんぞぉ〜〜〜


2005年4月11日  (手術後80日)

昨日は、家に帰り、ご近所・親戚・知人など、可能な限り、挨拶廻りした。
僕の顔を見ると、皆一様に驚き、そして有り難くも涙ぐんでくれて、「元気になって良かったなあ〜」  と・・・
本当に大勢の人達に、ご心配戴き、回復している事に、改めて感謝!感謝! 有り難うございます!m(_"_)mペコ  
焦らず、じっくり全快に向けて頑張ります!

さて、今日は、放射線の検診・泌尿器検診・部長回診・などスケジュールが盛りだくさん・・・
前立腺肥大?まさかガーン?  と少し心配していたが、薬・点滴などの副作用とか・・・
ひとまず、安心。その他の検診では順調だそうだ!   良かった〜〜〜 (*^o^*)

いっつも、僕は上品に生きて行こう!  と思っているのだが・・・  そう生きてきたつもりだが・・・
悪友から、「最近の闘病日記はお前らしくない。もっと本音で書け!」と クレームが・・・

おかしい。  僕らしいと思うのだが・・・   



   # 究極の美乳ってどんなむね?

女性の乳房については、おおむね大きいほど「イケてる!」と認識されているフシがありますが、
  その道のベテラン評論家によれば、位置、感触も絶対はずせないポイントとか。
より具体的な基準としては、某大手下着メーカーが定めているものを参考にしてください。

  「形はツン!と上向き。大きさはバストトップが身長X0.515。 アンダーは身長X0.432。
位置は足から計測して身長X0.719 なお、年の頃なら21〜22歳」

ツンに関しては、おなじみの表現。ぷらーん より美的だとは思いますが、計算式の根拠につては
  実地検証は困難な気もします。
ところで、この基準では、肝心の感触について記していませんが、その道のベテランに再度登場願うと、

  感触の基準は、「ピチピチ」 と 「まったり」 派に2分されるとか。
ハツラツ感あふれる「ピチピチ」タイプは、乳房いっぱいに乳腺が広がっているので弾むゴムまりに例えられます。
  いっぽう、とろけそうな「まったり」タイプは乳腺が脂肪でほどよくパッキングされた状態。
例えるなら樹上完熟の白桃だそうです。

「ピチピチ」 「まったり」 どちらにせよ、ニセモノの場合は、将来「ぷらーん」になるのかと言えば、
  挿入物が人工的なものの場合はならないこともあるとか。
そのため、胸だけが身体のほかの部分の衰えと同調しないため「年相応に」するための再手術を受けるケースがあります。
確かに胸だけが20代の、実年齢80代と言うのも怖い話・・・ w(゚o゚)w オオー!  
  なお、世代毎の「美乳」の基準データはまだないようです。

妊娠8ヶ月の超未熟児で生まれ、母親からも「死ぬかもしれない」と思われていた「僕」
母乳にも恵まれず、もっぱら、米のとぎ汁や、配給で貰った「脱脂粉乳」が命の素。
「乳房」に永遠の母性を感じるのは、仕方がない事?なのです。ですから、
自称、「おっぱい星人」の僕ですが、胸に関しては「大は小を兼ねない」 が持論です。
今後は、「世代毎の美乳の基準」を作りたいと思います。(*^o^*)

どうじゃ? 僕らしいじゃろ?  もっと上品に生きよう!  (^^ゞ 


2005年4月12日

       今日が誕生日の貴方に、とっておきの「おめでとう!」と、この花を・・・

私は、高田さんのこんな写真が大好きです。トップページの蛙もそうですが、アジサイの花の上で、次のステップに
向けて、じっと力を蓄えている・・・  そんな自然界の生命力を感じます。(僕もあやかって・・・)


    # 「Yahoo!」ってどういう意味なの?

一日1500万人もの人がアクセスするヤフー(Yahoo!)。 ヤッホーじゃあないよ。。。(阿波 の専務) (-.-)
  誰もが使っているヤフーですが、ヤフーという言葉にはどういう意味があるのでしょうか?

ヤフーは、1994年にスタンフォード大学電気工学科の博士課程にいたデビッド・ファイロ(David Filo)と
  ジェリー・ヤン(Jerry Yang) によって、作成されました。はじめはインターネットの個人的な興味を記録する
ことが主な目的で、自分たちの「道しるべ」として使用していました。

  名前の由来は、「やっほー」からとか、「Yet Another Hierarchical Officious Oracle (もう一つの階層的で非公式な
神託)」 の略からだなど、様々にいわれていますが、二人は自分たちが「ならず者」(yahoo) だからだと主張しています。

  その後、ヤフーはスタンフォード大学のマシンから、ネットスケープ社のマシンに置き換えられて、1995年には
ヤフー・コーポレーションが設立され、今日に至ります。日本には翌年に上陸しました(日本版ヤフーの誕生日は1996年4月1日です)。
  余談ですが、二人は、大の相撲ファンで、デビッドのマシンを「AKEBONO (曙)」、ジェリーのマシンを「KONISHIKI (小錦)」
と呼んでいたそうです。 (*^o^*)


       むろちゃんの、「雑学講座」は、当分続きそう〜〜〜   (-。-) ボソッ


2005年4月13日

「部屋を替わって」と言われて、一週間。。。  音沙汰なし。。。  もしやこのまま、この部屋に・・・ (*^ー^*) エヘッ
甘かった。。。 14階西ナースステーションの婦長さんから、朝一番に「213に決まりました。明日朝移って下さい」  と
いよいよ、あと少しになって・・・   仕方ない!  頑張って荷造りだ!  ヾ(´▽`;)ゝ
3ヶ月以上お世話に成った病棟を替わるのは、寂しいが・・・ 14階中病棟にも若い看護婦さんが・・・いっぱいいる! 
 (*^o^*) よろしくお願いいたしま〜〜〜〜す m(_"_)mペコ   明日から14階中病棟213号室です。

今日は、14階中にいる、同じ食道ガンの手術をしたIさんを訪問する。  食欲が無くて食べれないとか・・・
まだ、抗癌治療を始めていない。手術後20日くらいだ。 日に日に良くならないといけない時。。。
咳止めなど、薬の影響か?  分からない。

同じ14階中病棟にまだ、同じ食道ガン手術をされたFさんと言う61歳の男性がおられた。
  たまたま、偶然に僕が、入浴して暑いので廊下で上半身裸で涼んでいたら、傷跡を見て声を・・・
「食道を手術されましたね」 と・・・

  聞けば、1月19日手術で2月4日には、退院されていた。4月1日に再入院して抗癌治療開始とか・・・
この方は、順調だ!  副作用も無く、食事も美味しいし、下痢・嘔吐もないとか・・・
  人によって副作用は全然違うらしいが、それにしても・・・

Iさんと、Fさんを紹介する。  僕たち「食道ガン」トリオだ!  何でも話して情報を共有しよう!
  絶対回復して頑張って生きよう!  と固い絆で結成式!!!
「個人情報保護」の観点からか、先生は他の患者の事は、漏らされない。

  まだ、2〜3人は、同じ食道ガン患者がいるらしい。   よ〜〜〜し!  必ず見つけ出して、仲間に入れよう!
「同期の桜」 ならぬ 「同病の桜」だ!  同じ川崎のぉ〜〜〜庭に咲くぅ〜〜〜 ♪  (*^o^*)


がんばれよ。
ごめんよ。
愛してるよ。

そんな言葉を口にするかわりに、
父親は我が子を抱きしめたりする。

父親は母親にはなれない。
二の腕や胸板が、おっぱいよりえらくなる
なんてことは永遠にないだろう。

けれど、子どもたちがその温もりに包まれていた時間は、
きっと子どもたちの未来までも包み込んでいて
やがて子どもたちを支える大切な心柱の一本になっていく。

子どもをもっと抱きしめてあげてください。
ちっちゃなこころはいつも手を伸ばしています。           えぇ〜しぃ〜〜〜 (*^o^*)

子育て世代のみなさまに・・・


2005年4月14日

今日は、大変な一日だった。。。  (/_;。) ウッウッウッ.... 
  あえて、具体的な表現は、避けよう。。。  誤解を招いてもいけないし・・・
何はともあれ、部屋の移動は無事?済んだし・・・
  何も考えずに、兎に角歩こう! と言うことで、午後からは、殆ど歩いた一日だった。。。


  # 身近なボケ防止法

「足は第二の心臓」と言う言葉があります。歩くことによって、足の筋肉が下半身に滞りがちな血液の循環を活発にします。
  血液の循環がよくなれば、脳にも新鮮な酸素が送り込まれ、活性化します。これが第二の心臓と呼ばれるゆえんなのでしょう。

筋肉には大きく分けて「相性筋」 と 「緊張筋」 の二つがあります。相性筋は脳からの指令を受けて動作を起こす筋肉。
  いっぽう、緊張筋は、例えば「立つ」という動作を支えるバランスを保つ筋肉で、筋肉の働きの信号を常に脳に送り続けています。
この緊張筋を多く動かすことが、脳をより活性化させることにつながります。

  人間は歩くとき、前に足を出す動作では相性筋を使い、出した足を支える動作で緊張筋を使います。
一歩一歩、歩く事は毎回緊張筋を使うことになり、これが脳を大いに刺激してくれるというわけです。

  ギリシャの哲学者たちも歩きながら学問を学んだとか。歩けば、いいアイデアが浮かんでくるかも?
さあ! みなさんも、どんどん歩いて脳を活性化しましょう!  ボケてなんかいられないぞ〜〜〜 (*^o^*)


                                          

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