弘法大師 空海 へ
金剛界曼荼羅 胎蔵曼荼羅
弘法大師・空海
真言宗とは・・・
教主:大日如来
開祖:弘法大師 空海
主な経典:大日経・金剛頂経・理趣経
寺院の御本尊:金剛界・胎蔵界曼荼羅に含まれる
すべての諸仏・諸菩薩・諸明王・諸天
お唱えする文句:南無大師遍照金剛
平安時代、弘法大師
空海が唐に渡り恵果阿闍梨(けいかあじゃり)より直々に伝授され
日本に伝え始まった。密教という部分ではいっしょに入唐した天台宗の最澄も先に日本に
持ち帰ってはいたが、それを上回る経典、法具などを空海は持ち帰ることとなった。
その後、天皇より京都の東寺、神護寺を賜り、最終的に高野山を構築する。
そして、ここ高野山を総本山として真言宗が開宗された。
近年になって、大小の派に分かれ今にいたっている。
真言宗の各派
( )内は総本山
東寺真言宗・真言宗東寺派(京都・東寺)
真言宗須磨寺派(須磨寺)
真言三宝宗(清澄寺)
真言宗中山寺派(中山寺)
真言宗善通寺派(善通寺)
真言宗御室派(仁和寺)
真言宗泉涌寺派(泉涌寺)
真言宗大覚寺派(大覚寺)
真言宗山階派(勧修寺)
真言宗室生寺派(室生寺)
などなど・・・
これ以外にも、たくさんの宗派があります。
やはり、御大師さまの教えを信じる方々の
多さが生んだ賜物でしょう。
***簡単に「密教用語と密教の教え」***
「印(いん)」
皆さんは仏像を見たことがありますか。
無い人は明日にでも見てみましょう。道端にあるお地蔵様でもいいんです。
あの仏像の皆様の手の形が違うことにお気づきになりました?
あの手の形が印といいます。
それぞれの仏様ごとに決まっていますが、出家をしていない人はほとんど教えてもらえません。
この印を真言宗では必ず結んでお経や真言を唱えます。
「真言(しんごん)」
真言とは読んで字のごとく、真の言葉です。
サンスクリット語で書かれた真言を真言宗ではそのまま読みます。
そう!気づいた方もいらっしゃるでしょう。
真言を読む宗派だから「真言宗」っていうんですね。
この真言も印と同じく各仏様ごとに決まっております。
たとえば、極楽浄土のあみだ様は
「オン・アミリタ・テイ・ゼイ・カラ・ウン」
不動明王は
「ノウマク・サマンダ・バザラ・ダン・カン」
となっています。
こちらの方は印に比べるとオープンで
結構、専門書や、雑誌に出ているので調べるのも容易です。
「三密(さんみつ)」
真言宗の教えに三密というものがあります。
手に印を結び、口に真言を唱え、心に仏を感じるのが三密といいます。
簡単にここに書きましたが、ぜんぜん簡単なことではありません。
手に印を結び、真言を唱えるのは誰でもできます。
しかし、心に仏を感ずること、仏を心に引き入れるとも言いますが
この広い宇宙の中に今、自分が「生かされているんだ」と感じられなければなりません。
「即身成仏」
これも読んで字のごとく「この身このままにして仏になる」と、いうことです。
弘法大師の言葉に「死んで仏になって何になる、今この与えられた身で仏にならずしてなんになる」
という言葉があります。
これは、難しく考えると難しいのですが、簡単にいうと
生きているうちに仏のような行いをしよう、できることならばみんなから生き仏と呼ばれるような生き方をしようではないか
と、行っているような気がします。
(わたくしも、一般人ですので悟りを開いたようなことはいえません!!)
「曼荼羅(まんだら)」
この言葉は一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか?
このぺーじのトップにも展示してあるのが曼荼羅です。
真言宗では金剛界曼荼羅(こんごうかいまんだら)と胎蔵界曼荼羅(たいぞうかいまんだら)の
ふたつをまとめて曼荼羅といいます。
われわれに、お父さんとお母さんがいるように
この二つの曼荼羅は真言宗の教えのお父さんとお母さん、
すなわち両方無くてはならないし、片方ではさみしいものがあります。
この曼荼羅には、千を越える仏様が法則にのっとって並んでいます。
ここでひとつ皆さんにいいたいことがあります。
よく、たくさんお守りを持っていたり、神棚などにたくさん御札があると
「仏様、神様がけんかしないの?」なんていう人がいますが
この曼荼羅を見てみなさいって!
けんかしてる騒ぎじゃないし、神様仏様はできてるお方です。
けんかなんてそんな下等なことはしません。
これはいいきれます。
菩提寺