その52          


2009年6月19日

さなぎの時


死よりは浅くて
眠りよりはずうっと
深い眠りだろう
青虫が蝶々に
なるような大きな
変化の時ならば

とげられるために
ひっそりと過ぎる
誰にも知られない
祈りのような時間
ものみなにも
ひそんでいる 静かな
さなぎの時


2009年6月20日

考え方と委ね方


「もう半分しかない」
と 思えば暗くなる
「まだ半分ある」と
思えば明るくなる
生も死も 総てを
神仏に委ね生きる人の
人生は軽やかで
自然体で 美しい
全身の力を抜き
水面に寝ころぶと
ぷかりと浮くように
考え方と委ね方次第で
人生の航路も
浮いたり 沈んだり


2009年6月21日

今日は、初めてピオーネの摘実をしました。(´ー`*)。・:*:・
  師匠に教わりながら、丁寧に粒を揃えて、摘みました。(o^_^o)ニコニコ   

ハサミも、ぶどう用の物をJAまで買いに行き、一粒一粒摘み揃えます。
  しかし・・・ 老眼が来ていますので、ハサミの先が、ピオーネの粒に当たったり
残す粒を切ってしまったり・・・ ┐('〜`;)┌

まあ、何とか、100房を超える程、付いていますが、50くらいの房にするでしょう。。:(−_− ):
  甘くて美味しい種無しピオーネになります様に・・・ 。.:♪*:・'(*⌒―⌒*))) スペシャルスマイル

100房は優に超えている。  半分くらいにしなくてはいけないようだ。(´ー`*)。・:*:・

もう少し、摘実しなくては・・・  でも、もったいない精神が出て・・・  なかなか刈り込めません。。:(−_− ):


2009年6月22日




柱には大抵節がある
大きな節 小さな節
天へ枝を張って
生きていた証し

外は雨 遠い日の
森の風音を
鳥の囀りを
静かに
思い出すのだろうか


2009年6月23日

場所


かんたんなことを
むずかしく考える

しあわせは
いつも
自分のそばに
あるのに

上がったら
上がったところに

下りたら
下りたところに


2009年6月24日

アダプトに取り組んで、毎年地域の活動で道路掃除をやっています。各地域でエリア分けをして・・・
  しかし、毎年気になっている所があります。┐('〜`;)┌  此処だけが、どうも漏れているようです。

これでは、毎日通学している、中学生や高校生が、気持ち良く学校に通えないし、雨降りには危ない。
  最近、増えてきた、日名・福田の団地の方々の、犬のお散歩道として、通りにくい。。:(−_− ):

八幡原橋(当麻川に架かる)から下で、福田と高屋の交差点(十字園)までが、いつも手が付けられていなくて
  この通りです。何とかしてあげよう・・・  ε=ε=ε=ε=ε=(o゜ー゜)oブーン!!

歩道と車道の境のブロックも見えないほど、草が生い茂っている。。:(−_− ):

反対側にもこんなに草が・・・  


2009年6月25日

毎日、仕事が済んでから、少しづつ草刈り機で、作業する。。.:♪*:・'(*⌒―⌒*))) スペシャルスマイル
  ブロックの境目の所は、もう使えなくなった草刈り機の刃を使って削り取る。

火花が出て危険だから、ヘルメット・保護眼鏡・長靴手袋など、完全武装で取り組んでいます。
  少こしだけ、通行の邪魔をしますが、ご勘弁下さい。m(_ _)m    今週中には作業完了します。


2009年6月26日

車で通ると、あっと言う間の短い距離ですが、草刈をして、刈り払った草の除去と泥を掃き集めて綺麗にする。
  作業をしていると、結構長い距離に感じられます。(;´・`)> ふぅ

しかし、子供たちが、気持ち良く通学してくれたら・・・  非行が少しでも減ってくれたら・・・
  最近、引越しをされて来られた、方々が気持ち良くお散歩して頂けたら・・・  (o^_^o)ニコニコ   

色々な思いを巡らせて、頑張りました! (´ー`*)。・:*:・   ここ、数日は暑くて、汗を沢山かきました。
  熱中症にならないように、アクエリアスを片手に、日没まで頑張りました。\(^o^)/

橋の上も完璧です!(o^_^o)ニコニコ     歩道の反対側も綺麗になりました! \(^o^)/


2009年6月27日

今日は5時起で、頑張りました!\(^o^)/  「燃える男のぉ〜〜  赤いトラクター〜〜〜」
  下市瀬の家から、美川の田んぼまで、トラクターを自走して1時間掛けて、耕運に行きました。



   時速15kmくらいしか、スピードが出ません。自転車の若者に追い越されます。┐('〜`;)┌
   しかし、普段は見えない風景に出会えます。。.:♪*:・'(*⌒―⌒*))) スペシャルスマイル

備中川の河川に住んでいる「合鴨」 アヒルも数羽住んでいます。

片道1時間で往復2時間かかります。 作業は丁寧に耕しても、1枚の田んぼが1時間。2枚で2時間。。:(−_− ):
  農機具を入れる倉庫を建てれば良いけど・・・  費用も掛かるし・・・  当分、トラクターに乗って通いましょうか。

耕したら、今度は綺麗に草刈をしなくては・・・(;´・`)> ふぅ  畦を綺麗にして帰りましょう。

帰り道、子供たちと遊んでいる数羽のアヒル。  親水護岸の機能を充分果たしている。  サーフィーと言う名の
  我が社「ランデス梶v製品です。 大阪・兵庫に流れている猪名川にも、大量(2〜3km)に使用されています。

さあ、午後からはサツマイモの苗を植えに行きました! \(^o^)/  去年から借りている田んぼ(下河内)に
  400本の鳴門金時芋の苗を植え付けしました。 。.:♪*:・'(*⌒―⌒*))) スペシャルスマイル

長さが、80mある畝2列に200本づつ、合計400本のサツマイモ。。.:♪*:・'(*⌒―⌒*))) スペシャルスマイル
  食べきれない?   親戚や知人に配ったら・・・  去年も良い感じでなくなりました。

今年は、調子に乗って(?) もう2列には、ツグネイモを植えました。(o^_^o)ニコニコ   
  山芋のような粘りが特徴です。 もうつるが出て来ています。来週にはツルの手をしてあげよう。


2009年6月28日

梅酒を1斗(10升)漬けて、梅干は60kg漬けました! 。.:♪*:・'(*⌒―⌒*))) スペシャルスマイル
  もしも、僕が居なくなっても4〜5年は、梅干に困らないでしょう。(o^_^o)ニコニコ   

天気が良いので、3日3晩の土用干しをして、赤チソを入れて漬け込みます。(o^_^o)ニコニコ   

こう言う、技の継承をして行かなくては・・・  日本人の誇りと文化が、廃ってしまいます。。:(−_− ):


2009年6月29日

贈り物


苦しみに
心痛む日もあるよ
悲しみに
心塞ぐ日もあるよ
今地球に在ればこそ・・・
可憐な花に
心惹かれる日もあるよ
そしてまた 人を想い
涙する時もある・・・
今地球に在ればこそ・・・
それはすべて素晴らしい
素晴らしい奇跡の贈り物


2009年6月30日

今日で今年も半分が終わりました。   無事に何とか過ごせて本当に感謝です。(´ー`*)。・:*:・
  色々と計画して、それなりに実行して来ました。100点ではないけど、合格点はクリアしたかな?

残りの半年は・・・  大きなイベントが控えています。  それに向けて、全力で取り組んで行きます。
  5日には、ご招待状の印刷が完成します。 7・8・9月の3ヶ月は本当に忙しくなると思います。

まだまだ、生かされている命です。自重して一つづつ取り組んでいきます。(o^_^o)ニコニコ   
  「無理をするなと無理を言う」       。.:♪*:・'(*⌒―⌒*))) スペシャルスマイル


2009年7月1日

久し振りに感動する文章に出会いました。。.:♪*:・'(*⌒―⌒*))) スペシャルスマイル


ある先生が小学校五年生の担任に、なりました

クラスの生徒の中に、勉強が出来なくて、服装もだらしない不潔な生徒がいました。
その生徒の通知表には、いつも悪い事を記入していました。
ある時、この生徒が一年生だった頃の記録を、見る機会があり
そこには

『明るく、友達好き、人にも親切。勉強も良く出来る』

と書いてありました。
間違っていると思った先生は、気になって二年生以降の記録も調べて見ました。

二年生の記録には、

『母親が病気になった為に世話をしなければならず、時々遅刻する』

と書かれていました。

三年生の記録には、

『母親が死亡、毎日、悲しんでいる』

四年生の記録には、

『父親が悲しみのあまり、アルコール依存症になってしまった。
暴力をふるわれているかもしれないので、注意が必要』



先生は急にこの生徒が愛おしく感じました。

悩みながら一生懸命に生きている姿が、浮かびました。

放課後、先生はこの生徒に、

『先生は夕方まで教室で仕事をするから、一緒に勉強しない?』

と男の子に声をかけ、
男の子は微笑んで、その日から一緒に勉強する事になりました。

六年生になって男の子は先生のクラスではなくなりましたが、
卒業式の時に先生は男の子から、

『先生は僕のお母さんのような人です

ありがとうございました』

と書いたカードを受け取りました。
卒業して後も、数年ごとに先生は男の子から手紙をもらいました。

『先生のおかげで大学の医学部に受かって、奨学金をもらって勉強しています』

『医者になれたので、患者さんの悲しみを癒せるように頑張ります』

などと手紙に書かれていました。
そして先日、届いた手紙には結婚式の招待状でした。
そこには、

『母の席に座って下さい』

と書き添えられていました。



...

本当に落ち込んでいる時に、一人でも自分の事を考えてくれて、励ましてくれる人がいてくれたら、頑張れます


どんな人でも、頑張って生きています

人を批判するのは簡単です

見かけだけで
『この人は仕事が出来ない』
『頑張ってない』

と言う人がいるかもしれませんが
分かったような気になっているだけで、本当は批判している人の事など何も知りません

最初の、男の子の事を何も知らなかった、先生と同じです。

相手を理解しようと思わなければ、何も分かりません。

先入観を捨てて、相手を見る事で始めて分かります。(以上抜粋)

この子は素敵な先生に出会ったお陰で、人生が180度変わった。

人と人の出会いってどこでどうなるか、分からない。

外見で判断してはいけない!

一期一会!


僕も歳を取ったのかなぁ〜〜〜  ┐('〜`;)┌
  不覚にも瞳から大量の汗を流しました。(´ヘ`;) ハァ

皆様のご感想を、ニコニコ掲示板にお寄せ下さいませ! m(,_,)mm(u_u)mm(_ _)m


2009年7月2日

今日は、会社をお休みして、研修会に参加しました!  (o^_^o)ニコニコ   
  研修会は、高野山真言宗参与会美作連絡会総会での、合同研修会です。

全国には、21000名を誇る「高野山真言宗」の参与会員です。  我等、美作連絡会(岡山県)は、
  播磨支所(兵庫県1947名)に次ぐ1406名を要する全国で2位の支所だそうです。

4年前に菩提寺の福田山 善福寺の総本山である高野山真言宗の参与に加入させて頂きました。
  以来、毎年高野山にお参りはさせて頂いていますが、研修会参加は、初めてです。

1200名を超える参加人数だそうで、津山文化センターの3階席まで、一杯の人出でした。\(^o^)/
  真言宗の皆様もそうでない皆様も・・・  参与になりましょう!  目指せ!3万会員! 。.:♪*:・'(*⌒―⌒*))) スペシャルスマイル

寺族の方々による、舞踊奉納です。 僕の幼馴染の「トモちゃん」も清楚に、凛として踊っておられました。

僕の二宮の叔母も参加されていた、御詠歌奉納。  月田の土井の伯父さんのお嫁さんもおられました。(o^_^o)ニコニコ   
  しかし、大きな会場のため巧く写真が撮れませんでした。m(_ _)m  腕も悪いけど、バカチョンデジカメだから・・・┐('〜`;)┌

しかし、何時聴いても、惚れ惚れする御詠歌のお声。菩提寺の善福寺ご住職の御詠歌に会場の皆様が酔っておられました。
  どうしたらあんな美しいお声が出るのでしょう? 僕も御詠歌を習いましょうか?    。.:♪*:・'(*⌒―⌒*))) スペシャルスマイル

毎月、お参りしている菩提寺ですが、「美作88ヶ寺霊場」のお砂踏み。 37番の善福寺が僕の菩提寺です。
  四国88ヶ寺霊場は10回以上お参りさせて頂きましたが・・・ 美作88ヶ寺霊場は・・・ まだありません。m(_ _)m


2009年7月3日 (53歳の誕生日を迎える事が出来ました!)

本当にお蔭様で、53歳の誕生日を迎える事が出来ました!  m(,_,)mm(u_u)mm(_ _)m
  感謝・感謝の毎日です。心から御礼を申し上げます。   ーー南無大師遍照金剛ーー

48歳と6ヶ月で、食道ガンに罹患して、外科手術と術後のケモ・ラジ・・・  フルセットで処置をして頂き、
  丸4年半を迎える事が出来ました。。.:♪*:・'(*⌒―⌒*))) スペシャルスマイル

当面の目標は・・・  娘の結婚式に元気で出て、披露宴を無事に執り行うことです。
  何かと忙しいですが、ギアチェンジして、頑張ります! \(⌒▽⌒)/

今日は、広島・山口まで日帰りで行って来ます!  ε=ε=ε=ε=ε=(o゜ー゜)oブーン!!


2009年7月4日

今日は、種無しニューピオーネの摘果作業と袋掛けをしました! (o^_^o)ニコニコ   
  と言っても、T爺の指導で殆ど作業はT爺。m(,_,)mm(u_u)mm(_ _)m

消毒もT爺に全部お任せして、僕は袋掛けを担当して・・・  ┐('〜`;)┌
  120房を超えていたが82房に摘果して、8月の終わりまで熟れるのを待ちましょう!

もったいないと思いますが・・・ これをしないと、美味しいピオーネが作れないそうです。物事は万事、適正に・・・


2009年7月5日

今日は、甥っ子の結婚・親族顔合わせ会に出席しました! 。.:♪*:・'(*⌒―⌒*))) スペシャルスマイル
  新郎21歳・新婦19歳で赤ちゃんは8ヶ月です。(o^_^o)ニコニコ   

何と、新婦さんのご両親は・・・ 僕よりもかなりお若くて「おばあちゃん」とはとても呼べないです。!(゚_゚i)タラー・・・
  でも、お孫さんは・・・  8ヶ月の愛依ちゃんと、2ヵ月半の春馬くんの二人おられます。(o^_^o)ニコニコ   

どうぞこれからも、末永く宜しくお願い致します。m(,_,)mm(u_u)mm(_ _)m

春馬くんのお母さんは、新婦のお姉さまです。そして・・・ 婿殿の勤める幼稚園の先生で前任者でした。 
  奇遇にも、春馬くん生まれて産休のため、婿殿が、後任者で草加部幼稚園に・・・  縁ですね。(o^_^o)ニコニコ   


2009年7月6日

我が家の家庭菜園に、パプリカ?  ジャンボカラーピーマンが出来ました!\(⌒▽⌒)/
  色は黄色で、大きさは↑の赤ちゃんの頭くらいあります。。.:♪*:・'(*⌒―⌒*))) スペシャルスマイル

生命の神秘を感じます! (´ー`*)。・:*:・    


2009年7月7日

今日は、お仕事で岡山市まで出掛けました! \(^o^)/   僕の本業は「安全・衛生」です。
  岡山地方の年に1回の安全衛生大会に出席しました。。.:♪*:・'(*⌒―⌒*))) スペシャルスマイル

岡山労働局をはじめ、地区の労働基準監督署長など、多数の関係者や僕達、民間の会社関係者600名を超える参加者でした。
  9時半から16時半までびっしりのスケジュールで、大変有意義な一日でした。(o^_^o)ニコニコ   

これ、誰だか分かりますか?   マスオさんです。 本名は増岡さんで、フグ田マスオさんの声優です。アンパンマンのジャムおじさんも声優してます。

目の前には、10月に行う娘達の結婚式の会場が見えています。。.:♪*:・'(*⌒―⌒*))) スペシャルスマイル


2009年7月8日

共感


私の身体が痛いのは
病んでいる人の
痛みが解るようにとの
神様からのプレゼント

私の心が痛いのは
傷ついている人の
痛みが解るようにとの
神様からのプレゼント

神様 このプレゼント
心して
お受け致します


2009年7月9日

憩(かい)への手紙 ママはがんと闘う

1.【選択】 宿した命 あきらめず (2008/04/16)

この春、札幌の雪解けは早かった。茜さん(右)は家族3人で出かけるひとときが楽しい=札幌・豊平川河川敷

 三月末、札幌・北大病院。二階にある腫瘍(しゅよう)内科の診察室には、窓から春のやわらかな日が差し込んでいた。

 「また一ミリ大きくなりました」。医師は、左肺のエックス線画像に映る二つの影を示して言った。二一ミリと一八ミリ。影は右肺にも一つある。がん細胞はゆっくりではあるが、確実に成長していた。

 「あっそうですか」。札幌市の看護師鎌田茜(あかね)さん(28)の反応はまるで、かぜの症状を聞かされたかのようにそっけない。ただ、心の中ではこうつぶやいていた。

 <一ミリでラッキー。私にはまだ時間がある>

 二年前、茜さんは「命の選択」を迫られていた。

 二○○六年六月、左あごの下に「がん肉腫」が見つかり、手術をした。がんと肉腫が同時に存在する、がん患者の四十万人に一人というまれな病気だ。

 しかし、医師は肉腫のあまりの大きさに一部を残し、手術を終えざるを得なかった。茜さんのおなかに、十六週目に入った胎児が宿っていたからだ。

 「今回は子どもをあきらめ、再手術しましょう。手術しなければ、茜さんが生きて出産日を迎える保証はできません」。医師は、中学教員の夫、守さん(28)ら家族に言った。

 その日のことを、茜さんは、こう日記に記している。

 <すすり泣く母の声と、涙を湛(たた)える旦那(だんな)の顔。父の「茜だけは助かってほしい」という言葉を無情に感じました。がんはそれほどショックじゃない。命の選択を迫られていることが一番つらい。父が私を助けたいと思う気持ちを、私はおなかの子に抱いている。だから、産ませてくださいと言いました>

 「憩(かい)」と名付けた男の子は、この四月で一歳五カ月になった。

 「マーマ、マーマ」と手を伸ばし、茜さんが扉を開ければ閉め、食器をしまうと出す、いたずらっ子。家事ははかどらないが、茜さんはそこに成長を感じて、うれしくなる。

 「命の選択」から五カ月後に出産、直後にがんを再手術した。

 しかし、がんは肺に転移していた。昨年末、医者に「余命は三カ月から六カ月ですか」と尋ねると、その可能性を否定しなかった。

 茜さんが二年前からつづってきた闘病日記は製本され、二冊の本になった。いまも書き続ける。子供への愛や、がんと闘う母親の姿を「大人になった未来の憩に伝えたい」と思うからだ。


 厚生労働省によると年間六十万人近い人が新たにがんと診断され、病魔と闘っている。末期がんを患う鎌田茜さんとその家族らの姿を通し、いのちの尊さ、がんと生きる人々の「いま」を見つめる。
憩(かい)への手紙 ママはがんと闘う

2.【闘病】 復職、患者に寄り添う (2008/04/17)

抗がん剤の副作用で髪が抜け、思い切って頭をそった22歳のころ

 札幌の看護師鎌田茜さん(28)の手元にカツラがひとつある。茜さんの髪の色と同じ茶色いショートだ。

 茜さんのがんとの付き合いは古い。勤医協札幌病院に勤務していた七年前。ある日、左あごの下にしこりがあることに気づいた。担当した八十代の男性患者のものと同じだった。「まさか…」

 悪性リンパ腫。リンパ組織にでき、体中に転移しやすいやっかいながんだ。新米看護師、二十二歳の秋だった。

 高熱を発し、血を吐く患者をみた。抗がん剤の副作用で血球成分が減り、亡くなる人もいた。夜中に懐中電灯をつけ、「眠るのが怖い」と震える患者の声も聞いた。

 茜さんも抗がん剤で髪がどっさり抜けた。カツラはそのときのものだ。「明日は、もっと苦しいかも」。看護師の経験と知識は、気持ちを一層沈ませた。

 茜さんが看護師になると決めたのは、臨終の祖母を病院に見舞った九歳のとき。「大丈夫だよ。大丈夫だからね」。初めて立ち会う「死」に立ちすくむ茜さんを看護師はなぐさめた。その記憶からこの仕事を選んだ。

 「あのときの看護師さんのように、患者さんの不安に寄り添えていただろうか。逃げてはいなかったか」。がん患者になってはじめて、深く考えた。

 がんの発見から半年たち、自ら望んで職場に復帰した。患者さんの前でカツラをすぽっと外し、「大丈夫だよ」と話しかけた。患者に少し笑顔が戻った。

 「家族の前では悲しみを助長するから泣かない。その代わり詰め所では、いくら泣いてもいいのよ」。患者の死に泣いた後輩に、そう助言した。

 悪性リンパ腫は五年で克服した。しかし、それは茜さんにとってがんとの闘いの始まりにすぎなかった。
憩(かい)への手紙 ママはがんと闘う

3.【夫婦】 思いやり きずな強く (2008/04/18)

家事と子育てに忙しい茜さん。守さんは先月、「いつも、ありがとう」と手紙に書いた

 札幌の看護師鎌田茜(あかね)さん(28)の夫、守さん(28)はほぼ毎月、茜さんあての手紙を机などに置く。「言葉やメールより気持ちが伝わる」と思うからだ。

 妊娠中にがん肉腫を告知され、茜さんが命の選択を迫られた二年前、守さんは答えを出せずにいた。「おなかの子を含め、三人のだれかが欠けるなんて想像できなかった」

 その夜、守さんは病室に泊まった。簡易ベッドで茜さんに背を向け、震えていた。

 翌朝、守さんは茜さんに言った。「茜が子どもを育てる姿を見たい。何が何でも二人が助かる道を探す」

 二人は中学の同級生だった。二十五歳で結婚。社会人になって交際を始めたころ、茜さんが闘病中の悪性リンパ腫を打ち明けると、守さんは、自らも肺に穴が開き高校時代に手術したことを話した。

 「病気は苦しいけれど不幸じゃない。できないことは互いが補い合えばいい」

 でも、その言葉通りに、家族として、がんと闘う妻を支えてこられたのかと、思う。

 妊娠中、茜さんの心は死の恐怖、出産の不安に乱れた。食事のとき、食器を並べる手伝いさえしない守さんに感情をぶつけた。「私は頑張っているの? 頑張っていないの?」

 守さんはそんな妻の思いがわからず、言い返してしまうこともあった。あとで、ひどく自分を責めた。

 当時、守さんが書いた手紙にはこうある。

 <日に日に暗くなっているのを、俺(おれ)は見ることしかできず、かわってあげることもできない。神様がいるなら、どうか(茜を)助けてください>

 結婚以来、夫には「好き」と言ってなかった茜さんはある日、「ああ、この人のこと好きだな」と思い、ついに「好き」と言った。

 夫婦が強いきずなで結ばれた瞬間だった。
憩(かい)への手紙 ママはがんと闘う

4.【出産】 子を思い痛みに耐え (2008/04/19)

夫婦の愛情をたっぷり受ける憩ちゃん。1歳5カ月になり、体も大きくなった

 いつでも赤ちゃんを迎えられるように、ベビーベッドを置き、産着を買っておく−。ここまでは、出産を前に入院する普通の妊婦と同じだった。

 しかし、札幌の看護師鎌田茜(あかね)さん(28)の場合、出産後のがんの手術に備え、できるだけ手荷物は少なくして病院に向かった。二○○六年十一月だった。

 がん合併のハイリスク妊婦−。進行がんを抱えて出産するのは、かかりつけた北大病院でも前例がなかった。

 医師は、あごの下のがん肉腫を「一日でも早く切るべきだ」と主張、通常は最低三十七週での出産を、三十二週で産むよう勧めた。

 しかし、三十二週で産むと子どもに障害が残る可能性も否定できない。できるだけ長くおなかに入れ、丈夫に育てたい茜さんと、手術を急ぐ医師が折り合ったのは、一週間短い三十六週ちょうどの帝王切開だった。

 しかし、その間も、がんは進行した。おなかの子を気遣い放射線治療をせず、痛み止めの薬も使わなかった。

 出産の一週間前の日記。<今朝から顎下腺(がっかせん)に激痛を感じている。ああ、痛い。痛みよ鎮まれ 頑張れ、私>

 五日前の日記。<今朝から発熱。腫瘍(しゅよう)熱かあ? 治まってえ>

 十一月十四日午前八時五十七分、出産。

 平均よりずっと小さい二千三百二十グラムの男の子。ほっぺを触ると涙が出た。「私をママにしてくれてありがとう」

 六日後、再び体にメスを入れ、六時間かけてがん肉腫を切除した。半月後に赤ちゃんと一緒に退院すると、茜さんの回復力に、医師も「若いってすごいねえ」と感嘆した。

 目に見えるがんは、取りきった。しかし、検査で検出できない微小な転移の可能性は残った。一年後、その不安は、肺の末期がんの発見で現実となる。
憩(かい)への手紙 ママはがんと闘う

5.【心】 「戻ってきた」名に刻む (2008/04/21)

茜さんの手に触れる憩ちゃんの手。夫婦が初めて命を授かった「心」は、命の尊さを二人の心に刻んだ

 がんと闘う札幌の看護師鎌田茜(あかね)さん(28)と守さん(28)の長男、憩ちゃん(1つ)には、実はお姉ちゃんがいた。

 茜さんは憩ちゃんを身ごもる前の二○○五年夏、最初の子を妊娠していた。

 子ども好きで、児童虐待のニュースを聞くたび、「うちにくればいいのにね」と二人で話した。妊娠を確認すると、うれしくてケーキをワンホール買い、夫婦で端から食べた。

 しかし、八週間で流産。心拍を聞くことさえできなかった。「戻って、戻って」と泣き続けた。遺骨も何もないから小さな箱にベビー服とおもちゃを入れて、土に埋めた。

 流産の理由を知るため検査したら、子どもは女の子と分かった。夫婦は気持ちを整理しようと、「私たちの心にこの子がいつまでも生きられるように」と、「心」と名付けた。

 そして翌年、再び妊娠。検査薬の「陽性」の線が涙ではっきり見えなかった。茜さんは当時の日記にこう書いた。

 <「赤ちゃん、戻ってきたね」。今度は生まれるための命だと確信しています>

 出産で入院しているとき、「心」の最後のエコー写真を枕元に置いて、力をもらった。

 元気にはしゃぐ憩ちゃんを見るたび、茜さんは「子どもは授かりもの」と思う。そして命の尊さを気づかせてくれたのは、その腕に抱くことのなかった「心」だったと感じる。

 「憩」という名前には、「みんなが憩える人になってほしい」という願いをこめたが、「憩」の「心」の部分は、お姉ちゃんの名前からもらった。

 「心」のことを憩ちゃんにどう伝えるか。守さんは「憩の重荷にはしたくない」と迷っている。茜さんは「話してあげたい。家族は互いを思いながら支え合うもの。『心』のことも思っていたい」という。
憩(かい)への手紙 ママはがんと闘う

6.【出会い】 不安や元気 分け合う (2008/04/22)

野球好きの健太朗君。ノック練習だけは苦手で、病気を理由に嫌がったが、「もう逃げない」

 末期がんと闘いながらの出産。札幌の看護師鎌田茜(あかね)さん(28)は二月、そんな体験をある講演会で話した。拍手はやまなかった。

 札幌の小学六年生、吉田健太朗君(11)も会場にいた。茜さんを見て「見た目は普通なのに、なんで病気なんだろう」と思った。

 健太朗君は、毛細血管が異常に増える、先天性の「スタージ・ウェーバー症候群」を患い、赤あざが右半身に広がる。その影響による緑内障で右目の視力は光を感じる程度だ。

 がんを自然に受け入れる茜さんの話を聞くうちに、涙が出た。講演後、茜さんに「頑張ってください。長く生きてください」と照れながら言った。

 講演会は、会社役員の父、茂通さん(45)が誘った。翌日の夕飯で「僕は不自由なところはないから。ハンディなんかないから」と話した息子の元気な顔を覚えている。

 一年半前、出産のとき病室が一緒だった札幌市の主婦も、茜さんの姿に、勇気をもらっている一人だ。

 生まれた女の子は、二千グラム未満の未熟児だった。茜さんは看護師の経験から、早産でも元気に育った赤ちゃんの話をしてくれた。

 主婦も妊娠前に乳がんを手術していた。再発は怖い。「子供にどこまでしてあげられるのだろうか」。同じ不安の中で、「鎌田さんとは分かり合える」と感じ、夜中に携帯メールを送り合う。

 元気をもらうのは、茜さんも同じだ。三カ月に一度のエックス線検査。ある日、結果に不安になり主婦にメールを打つと、すぐに返事がきた。「がんが再発しても、やることは同じ。子どもを育て、がんと闘うだけ」

 茜さんは、日記にこう書いている。

 <楽しい。いろんな人がくれたエネルギーで、心が震える>
憩(かい)への手紙 ママはがんと闘う

7.【夢】 心のケアに携わりたい (2008/04/23)

ウガンダ行きを心配する人もいる。茜さんは「『できっこない』ことができたら、末期がんにかつ奇跡に近づける」と思う

 札幌から直線距離で一万一千キロ。札幌の看護師鎌田茜(あかね)さん(28)は六月にも、アフリカ中部のウガンダに行く。

 夫の守さん(28)の元同僚が野球を指導している。現地からのビデオを見ると、バラバラのユニホームを着た少年が、ぼろぼろのボールを追っている。目が輝いている。「子どもたちから生きる力をもらいたい」と思った。

 娘の体を思い、両親は反対した。横浜に住む兄(29)が説得してくれた。「人は迷いながら生きている。茜は、やれる時に、やれることを、やるべきだ」

 末期がんの茜さんは手術や放射線治療ができず、抗がん剤も効果が薄い。いまは体からリンパ球を抜き、活性化して戻す免疫療法を試みる。ときどき胸に鋭い痛みも走るが、症状は落ち着いている。

 いずれ、憩ちゃん(1つ)が成長し、子育てに余裕がでてきたら、「末期がん患者のいる職場に戻りたい」と思う。

 日本人が生涯でがんにかかる確率は女性で37%、男性で49%にも達するという。がんは特異な病気ではない。

 しかし、「がんで痛む心のケアは、治療しながら早い段階で行うべきなのに、その具体的な仕組みや人の手当てが不十分」と、患者になって思った。

 最近、脚のマッサージを習い始めた。抗がん剤の副作用でむくむ患者の脚をもみ、不安な気持ちを聞いてあげることで、安らいでほしい、と思うからだ。

 昨年末に「半年」と思われた余命は、すでに三カ月が過ぎた。

 医学で「余命」という場合、百人の患者のうち、半数の五十人はそれを超えて生きると推定される。

 <将来のことばかり考え、死ぬのが怖いとか病気が憎いとか微塵(みじん)も思わない>

 茜さんは最近の日記に、そう綴(つづ)った。

=おわり=

(報道本部 渡辺徹也、杉山育子、写真部 中川明紀が担当しました)

2009年7月10日

憩(かい)への手紙 それから

上【ありがとう】 父子で練習 母への言葉 (2009/06/16)

5月の「母の日」を前に、写真の中でほほ笑む茜さんに憩ちゃんが語りかけた。「ママ、かわいいね」=5月9日(西村昌晃撮影)

 5月の「母の日」を前に、札幌市東区のアパートを訪ねた。中学校教師の鎌田守さん(29)と、2歳の長男、憩(かい)ちゃんに会った。

 憩ちゃんは大好きなミニカーを持ってきては自慢する。「最近は納豆をひとりで食べられるようにもなったんですよ」と、守さんは目を細めた。

 しかし、母の茜(あかね)さんはタンスの上の写真の中で、にっこりほほ笑んでいるだけだった。

 茜さんは、余命を宣告された末期がん患者だった。

 2006年、左あごの下に、がんと肉腫が同時に存在する「がん肉腫」が見つかった。がん患者の40万人に1人というまれでやっかいながん。

 そのとき、妊娠16週目だった。

 医者は「子どもをあきらめ、手術をするように」と勧めた。しかし、看護師でもあった茜さんが選んだのは、自分の命ではなく、おなかの子だった。

 北海道新聞は昨年4月、「憩への手紙 ママはがんと闘う」という7回連載を夕刊に掲載した。茜さんや、その家族の姿を通し、がんと生きること、命の尊さを伝えたかった。

 その後、茜さんのがんは肺、そして脳にまで転移した。具合が悪く、今年1月下旬から、末期がん患者らが専門ケアを受けるホスピス病院に入院した。しかし、茜さんは半月後、「家に帰る」と言い出した。

 帰宅すると、茜さんは4年前の結婚式の写真を持ち出した。「遺影を選ぶ」という。アルバムをめくりながら「楽しかったよね。また、やりたいな」と、守さんに笑いかけた。

 ある夜。守さんの介助で入浴した後、髪を乾かしていた茜さんに憩ちゃんが走り寄ってきて、言った。

 「ママ、産んでくれて、ありがとう」

 茜さんは「なんて言ったの?」と繰り返し聞いた。そして、言った。「こちらこそ、産ませてくれてありがとね」。細い腕でしっかりと抱きしめた。

 守さんがいつかは憩ちゃんの口から伝えたかった言葉。夜、茜さんに内緒で、父子で練習したひと言だった。

 その翌日の2月25日午後、茜さんは自宅のベッドで本当に眠るように息を引き取った。29歳だった。

 2月27日の通夜。親族は「静かに送りたい」と、新聞の「おくやみ欄」にも告知していなかった。しかし、350人もの弔問客で会場はあふれた。この1年、がんと生き、子どもを育てる喜びを全国で講演し、交友を結んできた茜さんの死の知らせは、広がっていた。

 たくさんの花に浮かんだ遺影の茜さんは、純白のウエディングドレスを着て、笑っていた。あの日に選んだ一枚だった。


 末期がんで「命の選択」を迫られ、子どもを産むことを選んだ女性が闘病の末、亡くなった。しかし、その生き方は多くの人に勇気を与えた。昨年4月の連載から1年余り。鎌田茜さんの「それから」を伝える。

■夫・鎌田守さんの手記

 茜がいなくなって間もなく4カ月になります。茜がいてくれて、私と憩はどれほど心強く、楽しく、うれしかったことか。辛(つら)く、苦しい時もありましたが、茜は、「日本一の家族になる」と話し、生きることをあきらめず、一生懸命でした。

 憩は2歳7カ月になりました。たくさん話し、動いて、笑っています。保育園にも少しずつ慣れてきました。

 がん肉腫のがんは、2007年末に肺へ転移し、余命半年と告げられましたが、家族は多くの方々との出会いに支えられ、充実した生活ができました。昨年暮れには、ご縁に感謝しながら、「この1年、楽しめたね」と茜と話しました。

 茜は「私が死んでも、あなたと憩に寂しい思いをさせたくないから縁つなぎする」と言ってくれました。いまでも、私たち父子を気遣う手紙やメールをいただきます。

 決して甘えてはいけませんが、縁によって支えられる幸せがあることを、たくさんの方と憩に伝えたいと思います。
憩(かい)への手紙 それから

中【生き抜く】 家族との時間支えに (2009/06/17)

茜さん(左)は、憩ちゃんら家族と一日でも長く過ごしたかった=昨年夏、札幌・モエレ沼公園(提供写真)

 がんで亡くなった札幌市の鎌田茜(あかね)さんは、長男憩(かい)ちゃん(2)の成長を記録したDVDに「遺言」を残していた。部屋にひとりこもり、自分にカメラを向け、映像の節目に憩ちゃんへのメッセージを挟み込んだ。

 しかし、その一方で「最後まで、生きることにこだわっていた」と、夫の守さん(29)は振り返る。

 亡くなった2月25日の朝、茜さんは栄養補給をするサプリメントを飲んだ。医者から「体の状態が悪く、吐く」と止められていた。やはり吐いた。「負けない」という気持ちの表れだったと、守さんは思う。

 脳に3カ所の転移が見つかった昨年12月、茜さんは守さんの学校に電話し、声に出して泣いた。

 それでも知人には「まだ目が見えるよね、まだ話せるよね、まだまだ自分にはできることがある」と、自らに言い聞かせるように話していたという。

 茜さんをそうさせたのは、「一日でも長く憩といたい」という思いだった。だから、病院に入院するのではなく、自宅での療養を選び、免疫療法や温熱療法、ヨガなど、さまざまな治療法に取り組んだ。

 不思議なことがあった。1年ほど前、茜さんの免疫力の数値は、留萌管内幌延町の中学校に単身赴任していた守さんが札幌に戻ってくると上がり、幌延に帰ると下がった。

 この間の3カ月、がん細胞は、1ミリしか成長しなかった。

 「経験から感じることは、心が元気でなければ肉体も弱くなるということ。(茜さんを支えたのは)家族であり、子育てだった」

 札幌市の国立病院機構北海道がんセンター元婦長で、茜さんのヨガ教師だった川端雅子さん(66)は、そう証言する。

 茜さんは、こんなことを話していた。

 「がんの治療は目的じゃない。家族と過ごす人生を楽しくするのに、がんはいらないから治すんです」。家族とともに生きたいという強い意志だった。

 茜さんが医師から、長くて6カ月の余命を宣告されたのは、2007年12月。それから約1年2カ月。茜さんは家族とともに、生き抜いた。
憩(かい)への手紙 それから

下【つながり】 頑張る姿 伝えた勇気 (2009/06/18)

講演を通じ、がんと生きる姿を伝えた茜さん(中央)。憩ちゃんを連れていくことも多かった(提供写真)

 もうやめたい…。昨年暮れのハワイ・ホノルルマラソン10キロウオーキング。京都市の近藤麻友美さん(22)の脚は悲鳴を上げていた。脳性まひで、下肢の自由がきかなかった。

 棄権しようと、うつむいた。ハート形のワッペンが、左胸に見えた。「私はできる」と手書きされていた。

 札幌市の鎌田茜(あかね)さんがくれた。「もう少し頑張れば、『力を出し切った』って茜ちゃんに言えるかな」。止まった足を前へ出した。

 末期がん患者の茜さんも、ホノルルマラソンを目標にした。走る姿を、長男の憩(かい)ちゃん(2)に見せたいと思ったし、「完走すればがんにかてる気がする」と話していた。

 近藤さんは、たまたまメールマガジンで、茜さんが参加を望んでいることを知る。就職につまずき、自信を失っていたころだ。「一緒に走って変わりたい」と思った。

 しかし、茜さんは、ホノルルを走れなかった。豊平川河川敷で練習を続けたが、直前の11月半ば、体調を崩し、断念。代わりに近藤さんら同じツアーを申し込んだ仲間に、応援のワッペンを送った。

 「できない理由を探さない人だったね」。千歳市のラーメン店「みのり」の店主石崎道裕さん(53)は、今年5月31日の茜さんの誕生日を仲間で祝った。茜さんが29歳で亡くなって3カ月たっていた。

 茜さんとは、店で知り合った。以前から、がん患者を支える活動をしていた。茜さんを応援し、その生き方を多くの人にも伝えたいと、昨年9月、がん患者らを励ます「大・大感動祭り」を札幌で企画した。がん治療より、出産を選んだ茜さんの講演は、感動を呼んだ。

 会場にいた40代の乳がんの女性。「元気&温かい心&笑いをもらいました」と石崎さんにファクスを送った。長くふさぎ込んでいたが、その後、乳がんの早期発見を啓発するピンクリボン運動に携わるようになったという。

 茜さんの夫、守さん(29)の手元に寄せ書きがある。「命を輝かせることを教えてくれた」−茜さんに勇気をもらった43人の伝言。

 ホノルルの10キロを9時間かけて完歩した近藤さんの名前もある。

 いつか、守さんは寄せ書きを憩ちゃんに贈り、ママは頑張り、多くの友達をつくったと伝えたいと思う。

(報道本部 渡辺徹也が担当しました)

2009年7月11日

今夜は、天津神社の夏祭りを祝って、下日名部落の青壮年会の「昭和会」主催の恒例焼肉大会です。
  過去・・・  1回は咽喉に塩タンを痞えさせて、ピーポーピーポー 川崎医大まで直行しました。┐('〜`;)┌

そんな事にならないように気を付けて食べなくちゃ! (´.`;)しゅん…   肉は高級和牛の上ロース。(o^_^o)ニコニコ   
  サシも沢山入っていて、油も程よい感じです。これなら咽喉に痞えません!

生ビールも進み、焼きそば・豆腐焼きなど、定番メニューが勢ぞろい! 。.:♪*:・'(*⌒―⌒*))) スペシャルスマイル


2009年7月12日

400本の鳴門金時いものツルがこんなに伸びてきました!。.:♪*:・'(*⌒―⌒*))) スペシャルスマイル
  ねばいツグネイモもつるを伸ばしてきました! (o^_^o)ニコニコ   

下市瀬のピオーネも順調に育っております! \(^o^)/  植物の勢いって凄いです!
  皆様〜〜〜〜  お楽しみにぃ〜〜〜〜 。.:♪*:・'(*⌒―⌒*))) スペシャルスマイル

全然関係ないんですが・・・  この前の甥っ子の「親族顔合わせ会」で、長男が(おっちゃん、彼女出来たよ!)って・・・
   綺麗な彼女を見せてくれました! 。.:♪*:・'(*⌒―⌒*))) スペシャルスマイル    早く結婚しろよ! \(^o^)/

何故か? 僕のポーチに甥っ子のデジカメが・・・  \(^o^)/  これはアップしなくちゃね! (o^_^o)ニコニコ   


2009年7月13日

今日は、ゆうあの3歳の誕生日です!  。.:♪*:・'(*⌒―⌒*))) スペシャルスマイル
  でも、今年に入って1月と2月1日・5月16日くらいしか来ていません。。(´.`;)しゅん…

今日も勿論来ていませんが・・・  過去画ですが、アンパンマン大好きな(ゆうあ)を、アップしました!
  早く遊びに来ないかなぁ〜〜〜  ┐('〜`;)┌

鏡野工場の入江さんに頂いた、観葉植物です。名前は忘れましたが・・・ ┐('〜`;)┌
  冬を無事に越えて、綺麗な花を咲かせてくれました! 。.:♪*:・'(*⌒―⌒*))) スペシャルスマイル


2009年7月14日

今日は、仕事で倉敷まで出掛けました。ε=ε=ε=ε=ε=(o゜ー゜)oブーン!!
  お昼は、勿論此処です!  。.:♪*:・'(*⌒―⌒*))) スペシャルスマイル

全国であちこちに出来ている、丸亀製麺です! \(^o^)/  釜揚げうどんの大と野菜かき揚げで510円です。
  お腹一杯になって、大満足です!  。.:♪*:・'(*⌒―⌒*))) スペシャルスマイル


2009年7月15日

婿殿が大好きなトマトが順調に出来ております。(o^_^o)ニコニコ   
  これはプチトマトですが、大きな「桃太郎」トマトも沢山出来ています。。.:♪*:・'(*⌒―⌒*))) スペシャルスマイル

露地植えの、トマト臭い匂いのトマトが大好きです! \(^o^)/
  きゅうりも、なすも、沢山出来ております。食べきれないので、糟漬けにして楽しんでおります。\(^o^)/


2009年7月16日

朝夕の贅沢


マッチの火を
ろうそくに移す

ろうそくの燈が
形よく伸びたころ
線香に燈をいただく

線香からすーっと
煙が立ち昇ったころ
りんをふたつ鳴らす

ゆっくりと手を合わす
朝夕のゆとりのひと時


2009年7月17日

青いもみじ


そうめんの桶に
青いもみじの葉が
ヒラリ
赤いプチトマトが
プカリ
大きな氷が
カチリ

入道雲
モクモク湧いた


2009年7月18日

今日は、予定なら7日が定期通院日でしたが、都合で変更して、PET/CTの検査でした。
  この検査だけで、約3時間かかります。。:(−_− ):  とにかく待つのが検査です。

結果は、有意な再発を疑う所見なし! と言う事でした。 。.:♪*:・'(*⌒―⌒*))) スペシャルスマイル
  血液検査でも異常項目は無し。   少し血圧が高いので、降血剤を増量してもらいました。

「いよいよ5年生存と言う、一つのゴールが見えてきましたね」 と、松本先生。(o^_^o)ニコニコ   
  あくまでも、一つの通過点ですから・・・ と言われて、17年4月29日の退院日を思い出しました。

腹部リンパ節転移や甲状腺がんなど、他臓器転移を確認されて、残された時間は、1年〜2年。
  そんなインフォームドコンセントでの話しを懐かしく思い出しました。

入院していた時は、消化器外科は平井先生が医長でしたが、今は・・・ 平井部長で松本先生が、医長先生です。(o^_^o)ニコニコ   
  当時は、院長の角田先生が部長を兼務されていました。  凄い人達が・・・ ありがとうございます。
10月11日には、宜しくお願い致します。m(_ _)m

救命救急棟も新しく新築されていました。\(^o^)/  本館の玄関回りもリフォーム中です。行く度に綺麗になっております。


                          

inserted by FC2 system