その29          


2007年7月19日

食道ガン闘病日記も「その29」を数えるようになり、退院後の三度目の夏を迎えます。
  これまで、本当に多くの皆様に支えられ、励まされてここまで生き延びることが出来ました。

この2年半の間には、数々の試練が重なり、挫けそうになったり落ち込んだりして
  どうなるものか? と半ば諦めたり・・・ でも、こうして生かされているのは
仏縁や皆様方のお陰と、心から感謝申し上げます。m(_ _)m

まだまだ、梅雨の真っ只中・・・ うっとうしい天気が続きますが、心はいつも晴天で
  現実の試練と向き合って一歩づつ前を向いて頑張ります!

どうかこれからも、三年・四年・五年と頑張ってまいりますので、引き続きよろしくお願いいたします。
  「焦らず・諦めず」・・・


2007年7月20日

自分の椅子

ゆっくりできる
自分の椅子があれば
知恵の実が成るという
林檎の木の下に
その椅子を置いて
春には心やさしく
夏には意思を強く
秋にはさわやかに
そして冬には
克己心の大切さを知る

林檎の木がなくても
そんな椅子があれば
私は幸せだ


2007年7月21日



風の強い日
土手を散歩した
流されまいとしても
笹舟のように
流されてしまう体
いつしか思う

「いまが向かい風だと
してもいつか追い風になる
そして追い風がきても
いずれ向かい風になる」

そうしたら
ふしぎと
心が軽くなった
人生を歩くときにも
役立つ気がした


2007年7月22日

今朝は、朝から日差しが違う・・・  多分、梅雨が空けたのでは無いかと思う。
  気象庁では九州地方だけ梅雨明け宣言が有ったようだが・・・

おそらく、明日か明後日には中国地方も梅雨明け宣言が出されるだろう。
  いつもこの時期には、僕は思う。「あっ、いつもと空が違う」
多分、梅雨が空けたな・・・  と感じたらやっぱり「気象庁から梅雨明け宣言」が出される。

いくら暑くても、この時期の青空が一番好きだ。 からっとして、今までジメジメしていたのが
  嘘のような湿度と気温。  サウナでは味わえない爽快感! (=^・^=)

汗を流した後の生ビールは、何物にも変えがたい。(*゚ー゚)(*。_。)ウンウン♪(゚ー゚*)(。_。*)ウンウン♪
  今夜も思いっきり、飲むとしよう! \(⌒▽⌒)/


2007年7月23日

今日は、所用で朝から京都まで出掛けた。 京都も日差しが梅雨空とは違い、
  すっかり夏空だった。近畿地方もこれで梅雨明けだろう・・・

娘から、「京都に出掛けたのなら、生八橋の黒ゴマ味を買ってきて!」 とメールが
  入る。。。(−−;)  僕は嫌いなものはほとんど無いが、生八橋だけはダメ・・・

あの独特の匂いと味には、どうしても馴染めない。?(ー'`ー;)う〜ん・・・
  僕への土産は、大根の漬物にしました。(⌒ー⌒) ニヤリ

今夜は久しぶりに日本酒にしよう・・・ 漬物で一杯やるとするかぁ〜〜〜


2007年7月24日

ビッグニュースです! 。.:♪*:・'(*⌒―⌒*))) スペシャルスマイル

クロの子供の1号が、婿入りしました! \(⌒▽⌒)/
  ご近所へ来られたお客様が、「真っ黒い子猫が欲しいので1匹頂けませんか?」と・・・
「どうぞどうぞ〜〜〜(=^・^=)」

と言うわけで、本日無事に婿入りしました! 北房町の阿口まで・・・
  少し遠いけど、可愛がって貰うんだぞ!   (o^_^o)ニコニコ   

タマぁ〜〜〜  お前の孫がぁ〜〜  婿入りするんだぞぉ〜〜〜
 しっかり、見守ってやれよぉ〜〜〜〜〜〜〜 (=^・^=)


2007年7月25日

感情

喜んだり
怒ってみたり
悲しんだり
楽しんだり

私だけの
感情だもの

一生かかって
使いきってみようと
思います


2007年7月26日

合言葉

だいじょうぶ
だいじょうぶ

失敗したって
やり直せる

だいじょうぶ
だいじょうぶ

今は
しんどくても
きっと誰かが
見ていてくれる

だいじょうぶ
だいじょうぶ


2007年7月27日

ゆうあが来た・・・  が、風邪を引いていたのか急に高熱を出す。。。(−−;)
  仕方がないので、夜だけど近くの総合病院に連れて行く。

今まで元気そうに遊んでいたのに・・・ えらく身体が熱いようなので測って見たら
  39度4分。 小さい子は急に高熱を出すので、油断できない。

やはり、風邪だとの事だったので、薬をもらって様子を見ることにする。
  折角一緒にお風呂に入ろうと、楽しみにしていたのに・・・

早く元気になりますように・・・(ノ_・。)クスン  
 結局、2晩泊まって、帰って行った・・・ このまま元気になると良いのだが・・・


2007年7月28日

成分

眼鏡の内側に

たまった涙のかたまり

やがて白く

跡が残った

哀しみは

塩で出来てた


2007年7月29日

昨日・今日は猛暑日。(;´・`)> ふぅ  35度を超える気温だ。。。(−−;)
  しかし、ここでへこたれてはいけない。 今日は朝からドクダミを取って洗って干さなくては・・・

朝五時に起きて、日名の家にドクダミを取りに行く。 笊に5杯のドクダミを持って帰り
  仮住まいの家で丁寧に洗う。  この作業が一番キツい。(;´・`)> ふぅ

結局9時から6時までかかって、何とか吊るすまでに仕上がった。(;´・`)> ふぅ
 この猛暑で、綺麗に乾燥するだろう・・・  そしたら健康茶のドクダミ茶の完成!

退院後から、欠かさずに飲んでおります。欲しい方がおられたら言ってください!
  送って差し上げますよ!  (o^_^o)ニコニコ   


2007年7月30日

明日は、定期通院日。 胃カメラと耳鼻咽喉科の検査がある。。。(−−;)
  夜の9時からは絶食・絶飲・・・ 土用の丑の日なので、それまでにうなぎと
ビールで暑気払いをしよう! \(⌒▽⌒)/

鹿児島産の国産ウナギと娘が作ったイカの塩辛で・・・。.:♪*:・'(*⌒―⌒*))) スペシャルスマイル
  おまけに、鮎の塩焼きも付いてきた! 9時までに何とか飲み終えたが・・・
かなり出来上がってしまった。┐('〜`;)┌

500mlの缶ビールを2本といも焼酎をロックで三杯! ?(ー'`ー;)う〜ん・・・
  少し、飲みすぎかも?  まあ良いかぁ〜〜〜 σ(^_^;)アセアセ... 


2007年7月31日

今日は、6時には自宅を出て、川崎医大病院まで定期通院日。(=^・^=)
  胃カメラと耳鼻咽喉科の検査があるので、今日は一日がかりだ!

一番に採血を済ませて、胃カメラに廻る。いつもの軽い麻酔を使ってもらったが
  今日は事の他、良く効いたようだ・・・。(−−;)  気が付いたら済んで1時間は
眠っていたようだ。 ボーっとしたまま耳鼻咽喉科に行く。

ここでも鼻から小さいカメラで喉の奥まで調べてもらった。 縫合部周辺に異常なし。
  18mm〜20mmは開いているそうだ。 (o^_^o)ニコニコ   良く食べ物を詰らせるのは
一度に飲み込む量を、手術前のように沢山飲み込むからだろう・・・

お陰様で、SCCマーカー以外は、全て異常なし。次の通院日は9月11日。
  気を付けてこの暑い夏を乗り切ろう! \(⌒▽⌒)/


2007年8月1日

今日から8月。今年も7ヶ月が過ぎたんだ・・・  年末から引越し・自宅の解体・整地・基礎工事
  建前・・・と慌しく時間が過ぎていったので、気が付けばもうお盆がすぐだ。

そう言えば、息子はこの今住んでいる仮住まいの家は、一度しか見た事がない。
  間違えずに初盆に帰ってくることが出来るだろうか???

生まれつきの方向音痴だった息子。。。(−−;)  数日前から迎え火をしっかり炊いて
  目印にして間違えずに帰ってきてもらおう・・・   親戚一同から立派な提灯も頂いた。

初盆の準備も出来たと思う。 (o^_^o)ニコニコ   しかし、手抜かりはないか今一度、確認!


2007年8月2日




闇が生む虚無は
私を覆う

暗闇の中で
絶望に浸りながら
私は眠る

群青の空から
白いカーテンを
突き抜け
私は目覚める


不思議な希望に
私は包まれる


2007年8月3日

ちょっと気になって、ピオーネの袋を解いて見たら・・・   (o^_^o)ニコニコ   
  ほんのり紫色に色づいてきていた。\(⌒▽⌒)/

まだまだ、1ヶ月は先だろうけど、このまま行けば初味が楽しめるだろう!
  仏様にお供えして、来年も沢山実を付けますように! m(_ _)m



2007年8月4日

仮住まいの家で育てている、甘夏柑の鉢植えの木。 一粒だけ花を咲かせて実が付いていた。
  しかし、台風の風で残念ながら落ちてしまった。。。(−−;)

やはり、今年の秋、土に下ろしてやろう・・・  しっかりと根を張って大きな木に育てなくては
  実も付かないだろう。  さて、何処に植えるか?(ー'`ー;)う〜ん・・・



2007年8月5日

退院して、最初に買って来た鉢植えがこの「月下美人」  いつ咲くのだろう? と待っていたがついに
  咲いたようだ・・・  (o^_^o)ニコニコ   

朝、見てみると確かにつぼみが開いたような・・・  
  夜咲くのだろうがそんなには起きて見ていられない。。。(−−;)  



2007年8月6日

口移し

舞い下りた雀が
鳴き交わしている
パン屑 米粒を拾って
庭から木へ
木から木へと
身軽く すばやい

二羽の雀が向きあい
と 見てとれたのは
パン屑の口移し
あ あの雀は親子
それとも夫婦
あるいは恋人
いいえ ただの好き

それらの
どれであろうとも
嬉しかった 口移し


2007年8月7日

夏列車

今朝、公園の木で
蝉が
ジリジリジリジリと
元気よく鳴きだした

そうやって
夏行きの列車が
ホームを後にする

真っ白なページを
前にしたときのような
期待と不安がよぎる

この列車に乗って
この夏だけの思い出を
作りに行こう!


2007年8月8日

今日は立秋です。

暦の上では秋になりますが、実際には「残暑」が厳しく一年で最も暑い時期です。
  この日から暑中見舞いではなく残暑見舞となります。

藤原敏行は「秋来ぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかれぬる」と詠みました。
  又、大伴家持は「今よりは秋風寒く吹きなむをいかにか独り長き夜を宿む」と詠みました。

初候・・涼風至(りょうふう いたる)・・涼しい風が立ち始める

次候・・寒蝉鳴(かんせん なく)・・蜩が鳴き始める

末候・・蒙霧升降(もうむ しょうごう)・・深い霧が立ち込める


現在の暦が使用されるようになったのは明治6年1月1日からです。
  この日はそれまで使用されていた天保暦では、明治5年12月3日にあたります。
この改暦が正式に決定されたのは、明治5年11月9日のことで、
  「太政官布告(第337号)」という法律によりました。

明治の初めまで使用されていた暦は、月の満ち欠けを基準として1月の長さを決めていました。
  月の満ち欠けの周期は、多少変化しますが、平均して凡そ29.5日です。
このため当時の月の長さは、小の月が29日、大の月が30日で、小の月と大の月がほぼ交互にやってきます。

現在は(2月をのぞくと)小の月が30日、大の月が31日ですから、同じ12ヶ月では、
  現在の暦と旧暦では長さが違います。
12ヶ月で1年とすると、旧暦の暦法ではおよそ、354日となり、
  実際の1年より11日ほど短くなってしまいます。
このままでは、何年かが経過すると、暦の月と季節が全く合わなくなって、
  日常の生活にも不都合なことが生じてしまいます。
このため約3年に1度、「閏月」を作り、1年13ヶ月となる年を設けました。
  これによって、暦と季節の関係を調整したわけです。

現在では閏年というと2月が29日で1年が366日となる年のことですが、
  旧暦では閏月の入る年を閏年といいました。
閏月の入らない普通の年(平年)は1年が353日〜355日、閏年は384〜385日になりました。
 閏月は、原則として二十四節気の「中」を含まない月とし、その前の月と同じ月名に「閏」とつけて呼びました。
このような「閏」の挿入の規則のことを「置閏法」といいます。

旧暦は、閏月のを入れることによって暦と実際の季節の関係を調整しましたが
  、閏年の前と後では、30日近く季節が異なってしまいます。

これでは、暦を元にして農業などを行うわけには行かなくなってしまいます。
  そのため、暦の中に季節を表すものを入れて、この不都合を防ごうとしました。
これが二十四節気です。
二十四節気は、太陽が一年で一回りする道筋(黄道)を24等分(太陽黄経の15度毎)し、
  太陽がこの点を通過する日時によって決まります(定気法)。
このため、二十四節気が暦に記されていれば、そこから季節を知ることが出来ます。

春・・立春、雨水、啓蟄、春分、清明、穀雨

夏・・立夏、小満、芒種、夏至、小暑、大暑

秋・・立秋、処暑、白露、秋分、寒露、霜降

冬・・立冬、小雪、大雪、冬至、小寒、大寒


こうして並べてみますと、案外簡単に出来ています。


王政復古をもとに明治政府は、祭政一致を目指し神社を国家統合の機関にしようとしました。
  天皇の政治支配を正当化する根拠を「記紀神話」に求めたのです。
天皇は明治維新時には15才でした。
 天皇みずからが政治をするという体制を整えるために、「王政復古」「祭政一致」の実現をめざしました。

一般に「廃仏毀釈」と言えば、日本において明治維新後に成立した新政府が
  明治元年(1868)3月に発した太政官布告神仏分離令、明治3年の大教宣布など神道国教・
祭政一致の政策によって引き起こされた仏教施設の破壊などを指します。

これは決して仏教排斥を意図したものではありませんでした、結果として廃仏毀釈運動とも呼ばれる
  民間の運動となりました。
この政策は仏教を廃し、釈迦の全てを否定し、これまで僧侶の下に置かれていた神官が
  政府の威をかりて廃仏毀釈に走りました。
祭神の決定、寺院の廃合、僧侶の神職への転向、仏像・仏具の取り壊し、仏事の禁止、
  民間への神道強制など急速な実施のために大混乱となりました。

権現、明神、菩薩などの仏教的な神号を廃止し、神社から本地の仏像を取り除き、
  仏具を神社に置くことが禁止されたのです。

香川県琴平町の 金毘羅さん は、明治以降は金刀比羅宮という神社になっていますが、
  江戸時代までは松尾寺金光院という真言宗の寺院でした。
もともとインドの神様であった 金毘羅神は、仏教に取り入れられて
  「金毘羅大権現」という仏法の守護神になりました。
そして、松尾寺金光院の鎮守となり、不動明王 と 毘沙門天 の二体の像を神体として祭られてきました。


2007年8月9日

  夏空が広がって梅雨が明けたというのに、どうも心が晴れない。
「作詞家の死去」という一報が耳に飛び込んできたせいだろう。
阿久さんは膀胱(ぼうこう)がんの上に、ずっと人工透析に耐えてきた。
 私も古い友人を同じ病で亡くしたばかりだから余計身につまされる。

阿久さんは死期を悟っていたのか、『阿久悠 書く言う』を「遺言のつもりで書いている」と漏らしていたそうだ。
 6月9日付の最終稿は、「ナントカ還元水」で自殺した農水相の遺書が公開されたあとに書かれている。
 柔らかな頭で国会のどたばたを軽妙にたしなめていた。

「国会が乱れてくると、誰もかもが困ったものだと議員たちを責めるが、
その議員たちを自分が選んだ反省を口にする人はいない」。
 慧眼(けいがん)である。
 そのまま参院選後のいまにも当てはまる。
 もちろん、阿久さんは5000にのぼる曲を生み出した昭和のヒットメーカーだ。

そればかりか「瀬戸内少年野球団」など小説、随筆まで幅広く書いてきたスーパーマンだから、
 一つとしてモノにできない凡夫は頭(こうべ)を垂れるばかりだ。
 とくに、随筆は彼のジャガイモ顔と同じで、つい引き込まれる不思議な魔力があった。

彼の筆致が妙に好きで、「言葉」への飽くなきこだわりを感じていたからだ。
 阿久さんは若者の言葉の乱れは、彼らの魂を揺さぶる警句がないからだと喝破した。

メディアにはさらに厳しく、「批判が悪いと社会は緊張を欠き、堕落する」と叱(しか)った。
 阿久悠は書く言い切っただろうか。
 そういえば、彼の小説にはどこか寂しげな『グッドバイ』があった。


2007年8月10日

メロンの教え

高級メロンも
食べどきを
まちがえると

香りもない
甘味もない

だから
お待ちなさい
あなたの幸せも
今、熟している最中

複雑な
縞目模様の奥から
メロンが
教えてくれた


2007年8月11日

今日・明日は初盆のお客様や仏様をお迎えするため、家のおお方付けを始める。
  いつも片付けていたら良いのだけど、どうしても物が溢れてくる・・・。(−−;)

クーのゲージもクー自身も大掃除してやった。 (o^_^o)ニコニコ   少し嫌がったが、
  お構いなしに2度のシャンプーとゲージも洗剤でピカピカに・・・(=^・^=)

明日は、お墓の掃除とお花や花枝の準備、お供え物の準備など、結構忙しいぞ!
  外の気温は35度を超えている・・・(;´・`)> ふぅ 倒れないようにp(^ ^)q ガンバ!


2007年8月12日

祭壇の飾りつけも何とか済ませて、明日の初盆の準備が進む。(;´・`)> ふぅ
  暑いのでお墓の掃除は、朝早くに済ませた。 (o^_^o)ニコニコ   


2007年8月13日

今日は、初盆で10時から、菩提寺のご住職に有り難い読経を頂き、親戚やご友人達の
  総勢47名が仮住まいの家にご参集いただきました。
お墓参りも済ませて精進料理は、なべや旅館で頂いた。 (o^_^o)ニコニコ   

夕方から、仮住まいの家で、息子の幼馴染達が大勢で息子の初盆を盛大に迎えてくれた。
  息子もきっと喜んで飲み会に参加してくれただろう・・・。.:♪*:・'(*⌒―⌒*))) スペシャルスマイル
最近流行の「変顔」で記念写真を・・・!(゚_゚i)タラー・・・  少し飲みすぎかも?


2007年8月14日

異常に暑い・・・(;´・`)> ふぅ   連日の猛暑日が続く。。。(−−;)
  ゆうあも、この暑さには、熱さまシートを貼り付けてクーラーの効いた部屋でお昼寝。

寝ている時が、一番の幸せのような寝顔をしている。 (o^_^o)ニコニコ   


2007年8月15日

1945年8月15日正午、NHKラジオは天皇の肉声により日本の全国民に日本が
戦争に負けたというお知らせを流しました。一般にこれを太平洋戦争の終結と
して、この日を終戦記念日としています。今から62年前です。

ポツダム宣言は7月26日に発表されました。これに対して、日本はいったん
これを「黙殺する」と声明した上で、ソ連に対して和平を斡旋してくれるよう
依頼します。ところがこの「黙殺」は海外では「無視」と誤訳されて報道され
てしまい、8月6日広島に原爆投下。斡旋を頼んだ相手のソ連は日ソ不可侵条
約を破って9日参戦。この日長崎にも原爆投下。

この9日頼みのソ連まで参戦したのではどうにもならないとしてポツダム宣言
受け入れを主張する東郷外相らに対して阿南陸相らは抗戦を主張、結論が出ず
深夜昭和天皇の判断を仰ぐ。天皇は即座に「外相と同じ意見だ」と言い、この
ままでは日本という国がなくなってしまう。ここは忍び難きを忍んで降伏する
しかない、と補足します。

10日この方針を連合国に通知。するとその返事が12日あり、「降伏のとき
より天皇および日本国政府の国家統治の権限は連合国最高司令官の制限の下に
置かるるものとす」。この条項を巡って再び抗戦派がこれでは国体の維持がで
きないと反発、再び紛糾。しかし紛糾している内に連合国は14日、日本に通
知した内容を明記したビラを飛行機から撒いた。慌てた政府は再び天皇のご意
見をお伺いしたいと連絡、10時再度の御前会議。

「私の考えはこの前と同じだ。これ以上の戦争継続は無理である。この降伏に
よって日本が連合国に蹂躙されたとしても種子の一粒でも残れば再生は可能だ。
しかし今のまま戦い続けたら日本は完全に抹消されてしまう。明治天皇が涙を
呑んで三国干渉を受け入れた時の気持ちがよく分かるようだ。私がすべきこと
があれば何でもする。国民に私が呼びかけるのがよければすすんでマイクの前
に立とう。将兵には動揺があるだろうが必要なら自分が説得に当たる。詔を出
す必要があるだろうから政府は早速起案して欲しい。」

阿南陸相が泣いていた。天皇は彼に優しく声を掛ける。「大丈夫だよ。きっと
何とかなる」

午後、NHKの録音班が5人呼ばれた。「重大な録音があるので」としか言わ
れなかった。最新式の録音機を2セット持って宮中へ。録音は2台の録音機で
同時に行った。念のため2回取ったので計4組の玉音盤ができる。録音作業は
午後11:25頃から15日1:00頃までかかった。これは皇后官職事務官室の金庫に
収められた。

録音を終えたNHKの職員が宮中を出ようとした所、兵隊が彼らを拘束監禁し
た。終戦に反対する反乱軍であった。午前2時から3時頃にかけて反乱軍が皇居
を占拠、玉音盤を探すが見つからない。まさか女官の部屋にあるとは思わなか
ったためである。更に午前4時頃、反乱軍は放送会館をも占拠する。

午前5時頃、田中東部軍司令官が反乱軍鎮圧に乗り出す。5時半、阿南陸相が
自殺。8時頃までに反乱軍は鎮圧或いは自主退出する。8時半、玉音盤が搬出
され放送会館へ。この日の各新聞朝刊にポツダム宣言受け入れの報が書かれて
いたが玉音放送を待つため配達は差し止められていた。

午前11時、憲兵中尉が放送会館に乱入して放送をやめさせようとするが取り
押さえられる。正午。時報に続いて「ただ今より重大なる放送があります」と
和田信賢アナウンサーの声。この日は通常昼間の送電がストップされていた地
方にも電気を流しておく指示が行き届いていた。

君が代のレコードが流れた後、「朕深く世界の大勢と帝国の現状に鑑み非常の
措置を以て時局を収拾せむと欲し、故に忠良なる爾臣民に告ぐ。朕は帝国政府
をして米英支蘇四国に対し其の共同宣言を受諾する旨通告せしめたり。。。」
天皇の肉声が流れた。

涙を流す者あり、自刃する者あり、この日日本は天智天皇の白村江の戦い以来
の敗戦というものを味わいました。しかし天智天皇がその敗戦の後で日本の基
礎を築いたように、日本国民はこの敗戦をバネにして日本を真の超大国へと成
長させていきます。日本の戦死戦病死者数155万人、一般国民の死者数30万人。
この数字がどの程度の真実を伝えているのかは分かりませんが。。。

合掌。

2007年8月16日

熱を出したゆうあが、少し調子が良くなったので、早めに送り出す。。。(−−;)
  また熱を出されたらかなわない・・・ 早く小児科に掛かって家に帰るように・・・
元気な時は、もう少し泊まれば良いのにと思うが、調子が悪いときは早く帰るように
  願うのは、やはり外孫のせいか? ウ・・ ウン(._.;)

午前中にゆうあが帰ったので、午後からは仏壇や奥の間の大方付けや大掃除をする。
  初盆の祭壇もしまって、息子の位牌は、元の仏壇に戻す。
普段、掃除が出来ないので、仏具を出して徹底的に掃除をする。 (;´・`)> ふぅ

今日はそう言えば、送り盆だ。 夜は送り火を焚いてゆっくり送ってやろう・・・
  さあ、明日からまた仕事だ! 暑いけどp(^ ^)q ガンバ!


2007年8月17日

ない袖は振れぬ

昔からない袖は振れぬ
という諺があるが
ない袖を無理やり子供
に振らせようと血眼に
なっている母親がいる

ない袖を振り続ける
ストレスで
いつか 子供は
大爆発をする

無理をしなさんな
お母さん
子供は別の袖を
ちゃんと持っている

色鮮やかな袖を
ちゃんと持っている


2007年8月18日



南向きの
庭へ出る障子戸で
カーテンは陽の影を
裾の方へ
溜め込んでいる

西向きに
見上げる窓では
建物に仕切られた
小さな空へ
トウカエデの葉が
キラキラした信号を
送っていて

私が
生かされている
今という時間


                                    

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