その20          


2006年10月19日

自分の闘病の事など、すっかり忘れて、慌しく時間が過ぎていく。
  メールチェックもついうっかりしていたら、全国の多くの方々から、お悔やみを頂いた。

松本先生からも「先月のPET画像を見ましたが、再発を疑うものは確認出来ません」
  「24日の定期通院日に詳しくお話しましょう」 と、有難いメールと弔意を・・・

そうだった・・・ 今月は24日が通院日だった。うっかり忘れていた。。。(−−;)
  自重しなくちゃ! 

また、全国の皆様から、心のこもった弔意や、お供え物、香料など賜り、本当に有難く
  この場を借りて、心から感謝申し上げます。m(_ _)m

今度の日曜日には、山口県の息子が借りていたアパートの片付けに行く事に決めた。
  甥っ子たちが、手伝ってくれるので、車2台で行く事になる。

荷物を見るのは、つらいだろうけど、処分するのも偲びない。一応、もって帰り、おいおいに
  片付けていこう。。


2006年10月20日

今夜は、2・7日忌の法要を行った。 早いもので、もう事故から丸2週間が過ぎた。
  菩提寺のご住職の有難いお経に、改めて息子が亡くなったんだと言う思いがする。

おかしな気持ちだが、7年前から僕が単身赴任で、月に1〜2回顔を会わすだけ。
  また、2年前からは息子が単身で山口に行ったので、盆と正月に会うだけ。

毎朝、毎晩顔を会わせていたら、急にいなくなった事が現実として実感するだろうが
  なかなか、そんな気がして来ないのは、そんなことだろうか?

 濃い身内だけの法要だけど、本当に息子の成仏を願い、心から読経して頂いた。
こうして、毎週金曜日の夜は、7・7日忌(49日)法要まで出来るだけの事をしてやろう。

目を閉じて
静かに坐して

仏の徳を
思い念ずる


2006年10月21日

ただそれだけ

手を合わせるのは
なぜですか
仏様などいないのに

お祈りするのは
なぜですか
神様なんていないのに

いいえ
手を合わせる
それだけです
お祈りする
ただそれだけです

その時
悪い心はおこりません


2006年10月22日

今日は、朝早くから甥っ子達と、息子のアパートの片付けに山口まで出掛けた。
 トラクック(750kg積み)とワンボックスカーで、準備するが、トラックに難なく積めた。

2年間で荷物が増えただろうと思ったが、殆ど持って行ったまま。
 これも本当に息子らしい・・・ 

片道3時間半かけて行き、積み込みと掃除で1時間。 予定より早いので、事故現場まで足を伸ばした。
  高速なので立ち止まれないが、下の写真が事故現場。ブレーキの跡が生々しい。

山陽道下関方面行き下り車線 防府東ICを過ぎた、「佐波川SAまで3km」の看板の所。

佐波川SA (写真下)
間違いやすいと言えば・・・  ガソリンスタンドが左に見え、その左手が本線に入る進入路。
 しかし、右には進入禁止の看板がこの通り。 見逃せば本人は、すっかり信じて逆走したようだ。 

ここから現場まで3km 逆走・・・ 朝早かったので車も少なくて、逆走距離が長い。


2006年10月23日

百日草

夏の間
百日咲き続けるから
百日草と
名付けられたのか

コスモスも散り
金木犀が
香りはじめているのに
咲き遅れた
百日草が咲いている

百日、百日、
つぶやきながら
咲いている

私も人間、人間、 と
つぶやきながら
人と人との間に生きる


2006年10月24日

今日は、定期通院日。 川崎医大へいつもの高速経由で・・・(逆走車が怖くて左をゆっくりと・・・)
  今回は、血液検査のみ。 ゆっくりと診察を待っていると、懐かしい仲間が・・・

胃癌の全摘手術をされたお二人とお会いした。二人とも僕と入院が重なっていた。
  「もう少ししたら2年になりますね。それにしても良くお元気で・・・」 と喜び合う。

体調はそれぞれだが、何はともあれ、こうして通院日に会えることが生きている証拠。
  来年も再来年もお会いしましょう! (お二人は半年毎の定期通院) 僕は毎月だけど・・・

それから、同じ真庭市から、T社の社長さんご夫妻とお会いした。殆ど入院期間が僕と同じ。
  3ヶ月以上入院が一緒だったので、本当に再会が嬉しい。僕が仕事に復帰していたのを
驚きながらも喜んで頂いた。「まだまだ、若いのだから頑張るように!」 と激励された。

松本先生から「診察にお入りください」 とご案内が・・・
  診察室に入ると直ぐに・・・ 「この度は、大変な事でご愁傷様です」と、我が事のように
丁寧な弔意を、涙ながらに頂いた。本当に嬉しい。

どこの大学病院の医長先生が、一患者の容態や、検査結果をメールで確認してくれたり
 知らせてくれる教授がいるだろうか?

拙い僕のブログを、定期的に見てくれて、本当に親身になって心配して頂いている。
  有難いことです。感謝申し上げます。m(_ _)m

さて、結果ですが、SCCマーカーが8月=1.6  9月=1.7  10月=2.1  でした。
  基準は上限が1.5ですから、3ヶ月連続のオーバーです。

しかし、PET−CTでも、明かな再発を認めず。という倉敷中央病院の検査結果と
  松本先生のCT写真とを併せた診断結果でも、明らかな異変を認めませんでした。

まあ、「カウントダウン」は、まだ始まっていないようですから、当分大丈夫でしょう!
  「焦らず・諦めず」 に少しづつですが、「前を向いて」頑張ります!


2006年10月25日

神様

人はなぜか
年をとる度に
顔つきが
優しく 神々しく
なってゆく

長い長い間
つらい事 苦しい事
みんな乗り越えて
生きていけば
誰でもいつかは神様に
なれるから

輝くような笑顔の
あのおじいさんや
あばあさん達は
みんなみんな もう
神様なのですね


2006年10月26日


2006年10月27日

今夜は、早くも3・7日忌の法要だった。親戚の皆さんや知人の皆様がお参り頂く。
  祭壇の大輪の菊の花は、日持ちが良かったが、さすがに限界なので、新しくする。

最年少の「あつやくん」が、鐘を鳴らしてお参りしてくれた。2歳になる彼には、「死」を
  理解してはいないだろうが、雰囲気で経験してくれているだろう。

自分より小さい「ゆうあ」を見て、少しやっかんだり、祭壇では手を合わせる。
  彼なりに、「生」と「死」を、小さいながら身体で覚えて行くのだろう・・・


2006年10月28日

疲れが出ないように、無理をしないようにと、皆様からご心配を頂いて
  自分でも注意していたが・・・ やはり過労からか? 顔を中心に帯状疱疹か?

痒いものが発疹となって出てきた。見た目も悪いので、近くの皮膚科で薬をもらう。
  飲み薬と、塗り薬で、少しは良くなったが、見えない所が。。。(−−;)

少しづつ、少しづつ・・・ 「焦らず・諦めず」だ! 肝に命じて・・・

「幸せの数」

幸せの数を
数えてごらん

愛する家族がいること
大切な友達がいること
暖かい服があること
おいしいご飯を
食べられること
安心して眠れる
布団があること
趣味を楽しめること
感動する心があること

今朝、この地球上で
目が覚めたこと


2006年10月29日

先週の日曜日は、山口のアパートの片付け。その前は初七日を済ませたばかり。
  今日は、はじめてゆっくり出来る日曜日。かと思いきや・・・

「お父さん、もうそろそろ、ご会葬いただいた方々の名簿を整理しないと・・・」 と
  下の娘が言う。 そうだ。そうだった。。。(−−;)  気にはなっていたが・・・

我が家では、パソコンは僕が一番使う。 毎年、娘の年賀状名簿も作らされる。
  「そうだ。良いきっかけだから、娘に名簿を作らせよう」 (=^・^=)

「筆まめ」を使ってやり方を教える。最終確認は僕がすれば良い。
  時間が掛かっても、まだまだ49日までには、、日にちがあるので問題ない。

(・−・)・・・ん? 夕方には「出来たよ!」 と・・・  は、早い。。。(−−;)
  やれば出来るじゃないか。 今までの年賀状名簿は一体・・・ 何だったんだ???


2006年10月30日

仏具屋さんに頼んでおいた「塗り位牌」が届いた。 満中院(49日)の法要に
  必要な物が次々と準備される。  お墓の戒名板に戒名の彫り込みも発注出来た。

49日の法要の手配も手落ちは無いだろうか? 色々と考えるだけで、焦るが
  落ち着いて確認していかないと・・・ お斎の関係も場所・人数・料理や引き出物など。

忌明けの挨拶状や、「喪中」のはがきも時期が同じだが、印刷しなくてはいけない。
  11月23日の勤労感謝の日に49日の法要を決めた。

それに向けて、頑張って準備を進めよう。

「さようなら」

黒鵜の渡り朝早く見た
何百羽いたのだろうか
空埋め尽くし飛び去った
さようならさようなら

さようならとは
それがそうなら
受け入れますよ
そうしなくては
ならないのなら
そうします
さようなら・・・なら

美しい日本語の一つ
さようなら・・・なら
受け入れますよ
さようなら
なようなら


2006年10月31日

「仏教」と聞いて日本人が第一に思い起こすのは、やはり「諸行無常」という言葉でしょう。
 これは現代のみならず、たとえば『平家物語』でも巻第一の最初に――

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹[しゃらそうじゅ]の花の色、
盛者必衰
[しょうしゃひっすい]
のことわりをあらはす。[おご]れる人も久しからず、
唯春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、[ひとえ]に風の中の塵に同じ。

とさっそく「諸行無常」が登場します。しかも、<沙羅双樹の花の色>とか<盛者必衰>、
  <奢れる人も久しからず>、<たけき者も遂にはほろびぬ>と続きますと、やはり「人生の空しさ」や
「厭世観」につながりかねない要素も持っているといえるでしょう。
  これは日本人が仏教を受容した際の、ある種の情緒的な「癖」が影響した結果なのです。

 では経家(諸仏)が「諸行無常」とか「諸法無我」と説かれる真意はどこにあったのでしょう。

 詳細は略し結論だけ申しますと、仏教は菩提心・真心の宗教であり、修行・浄業の因縁によって人生を善処し、
清浄・荘厳の果報を自他に得てゆく教えなのです。

変革不可能な運命に従って生きよ≠ニ命令する宗教ではありません。
   「変革可能」の大筋に随って「諸行無常」の法が説かれたのです。

 つまり「諸行無常」と説かれたのは、「人生の空しさ」や「厭世観」を伝えたいのではなく、
現状が悲惨でも、心がけと努力次第で輝かしい人生を得ることができる≠ニか
人間は修行次第で仏になれる≠ニ、自己改革の可能性を大いに示唆し、
社会を創造していく積極的な流れの中で「無常」と説かれたのです。

 これは「諸法無我」も同じで、たとえば「凡夫」としか言えない今の私も、それは固定的実体ではなく、
法の潤いがあれば必ず仏に成れる≠ニ、修行の無限の可能性を示している言葉なのです。
  総じていえば無常・無我は、修行の意味やモチベーションを与える原理でありましょう。

 ただし、<盛者必衰>の裏返しで貧者必盛≠ニかよわき者も遂にはたけき者になる
と言いたいのではありません。「禍福は糾える縄の如し」の幸せは本当の幸せではないのです。

金銭や名誉ばかり求めているのは我執・無明の欲望で、これらを得るためには身を汚さねばならず、
  たとえ欲望が叶っても、福を保つ際にまた身を汚し、福を失う苦しみが身を破滅させてしまうのです。
これを「流転」といいますが、流転は苦しみの中でもがき続ける迷いの衆生の有様をいいます。

 仏教では、流転する原因の「欲望」を、不純な煩悩と純粋な菩提心に割り開き、智慧によってコントロールし、
方向づけ、人生の覚りと徳を得る「願い」に転じることを勧めるのです。

 先に仏教は菩提心・真心の宗教≠ニ言った意味はここにあり、また日本人が仏教を受容した際の、
ある種の情緒的な「癖」≠ニ言わざるを得ない「諸行無常」の消極的な誤解もここに明らかとなるでしょう。


2006年11月1日

今日から、11月。 しかし、11月とは思えない暖かい天気が続く。日中は汗ばむくらいだ。
  従兄弟から頂いた西条柿を剥いて、吊るし柿にする。 暖かい陽気なのでカビが心配・・・

大豆も少ないけれど、ちゃんと実になった。(=^・^=) 手作りの豆腐を作り、明哲に食べさせよう!


2006年11月2日

菩提寺の銀杏を頂いて、洗って天日干しにする。 匂いは嫌だけど、乾燥すると
  気にならない。 しかも美味しい。(=^・^=)
茶碗蒸しには、必須アイテムだし、焼いて食べても美味しい。明哲にもお供えしよう。


2006年11月3日

今夜は、四七日(よなのか)、の中陰の法要。

中陰の法要とは、四十九日の間、初七日(しょなのか)二七日(ふたなのか)三七日(みなのか)
  四七日(よなのか)五七日(いつなのか)(三十五日)、六七日(むなのか)
七七日
(なななのか)
(四十九日)というように、亡くなった命日から数えて七日目ごとに故人を供養します。

これは死者が冥途にいくと、七日ごとに閻魔大王を筆頭にした十王によって審判が行われるという考えからきています。
  この審判の日に遺族が供養することによって、その善行を積み重ねた追善(ついぜん)が、
故人にも及ぶと考えられています。ですから故人が極楽浄土に行けるように、
  という願いを込めて七日ごとに法要を行うのです。

中陰の法要の中でも四十九日の法要は、とりわけ重要といわれています。
  なぜならば四十九日は、故人の行き先が決定する日だからです。

故人には極楽浄土に行って幸せになってもらいたい、と願うのは残された者の自然な感情で、
この期間に十分な供養を行なえば故人は成仏できる、と考えられています。

四十九日は、満中陰(まんちゅういん)とも呼ばれ、家族や親族のほか、
 故人と縁の深かった方々を招いて法要を営みます。
一般的には、この四十九日の法要と合わせて納骨を行う場合が多いです。


2006年11月4日

今年の秋は11月だと言うのに、異常な陽気でまだ、夏野菜達がこの通り。
  トマトが、ピーマンが、ししとうが・・・ 元気に食卓を賑わせている。(=^・^=)


2006年11月5日

今日も、息子の幼馴染達が、大勢で線香をあげにお参りしてくれた。(=^・^=)
  2歳の頃から、保育園で一緒に大きくなった幼馴染達・・・

息子のアルバムを、みなさんで見ながら、当時の思い出に花が咲く。
  立派になった26歳の幼馴染達! みんな、おじさんのように悲しい思いを
ご両親にさせないように・・・ と老婆心ながら、話すのを神妙に聞いてくれた。


2006年11月6日

落葉

かさこそと
音がする
誰かが外に
いるような

かさこそかさと
音がする
誰かが訪ねて
来たような


木蓮
水木の葉ーーー

別れを
つげに
来たような・・・


2006年11月7日

今日は立冬。。。(−−;) それにしても、急に寒くなってきた・・・
  北海道では、竜巻による犠牲者が9名出たとか・・・ 異常気象も本格的に
なってきたのか? 地球規模での対策が必要ではないのだろうか・・・

日中は20℃を越える暖かさで、最低気温は1〜5℃  体調もおかしくなるのは
  無理も無い事か? 健康な人でもこんな天候では体調管理が難しい。

まして、癌闘病者の仲間は、より一層に気を付けなければならない。
  帯状疱疹は下火になってきたが、気を緩めないようにしよう・・・

   気温が下がってきたので、干し柿も順調に乾燥してきた。 (=^・^=)

2006年11月8日

エリーゼのために

小学生だった娘は
私が買ってやった
オルゴールを
じっと一人で
聞いていた
悲しみは
自分で耐えなければ
ならないということを
知る年頃になっていた

少しの歳月が過ぎ
妹のような従妹に
譲ったと聞いた
娘は少し成長し
従妹も耐えることを
知る年頃になっていた


2006年11月9日

白の鳥

白く輝く鳥の
飛んで行く方向に
私も行ってみよう
心を広げられるように
希望を持てるように
生きる喜びを
感じられるように
生まれてきた事に
感謝できるように


2006年11月10日

仏教では、人が受胎した瞬間を「生有(しょうう)」、生きている間を「本有(ほんう)」、
  死の瞬間を「死有(しう)」と呼び、亡くなって次の世界に生まれるまでの四十九日間を
中陰(ちゅういん)」とか「中有(ちゅうう)」と呼んでいます。

この四十九日の間に来世の行き先が決まる、とされています。
 来世とは、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天の六道のことです。

仏教には輪廻転生(りんねてんしょう)という考え方があり、
  日本ではこの中陰の考え方は仏教習俗として定着しました。

中陰の四十九日間は、遺骨、遺影、白木の位牌を安置し、花や灯明、
 香炉を置く中陰壇(後飾り壇)を設け、故人が浄土に行けるよう家族でおまいりします。
この期間は中陰壇の前にできるだけ座りお線香をあげ、手を合わせおまいりします。

今夜は、5・7日(三十五日) 重要な審判の日です。
特に閻魔大王の裁きを受けるという三十五日は、丁寧に法要を営むことが多いです。


2006年11月11日

小さな祈り

微かな羽音に
ふと目を向けると
葡萄だなの端のほうに
遠慮がちに
山鳩の番が
一心不乱の巣作り・・・

ピラカンサの枯れ枝や
ビニール紐の切れ端や
針金などばかりの
居心地悪そうな愛の巣

思わず私は
稲藁をひと握り
巣の真下に
分かり易くそっと置く
無事の出産と
巣立ちを祈って


2006年11月12日

昨夜は、娘に乗せてもらって、知人宅ですっかりご馳走になった。
  調子に乗って、日本酒を飲みすぎて・・・σ(^_^;)アセアセ... 

いつ帰ったのか? 気が付いたら、朝。。。(−−;) しかも娘の車の中で・・・
  「全然起きないし・・・(`m´#)メッ! 」 シッカリ怒られました。

今日も、幼馴染達が揃って、息子に線香をあげに来て頂いた。
  毎週欠かさずに、お参り頂いて本当に有難く感謝しています。

もう、時効だからと・・・ 息子の思い出話を聞かして頂く。
  親とは言え、全然知らなかった息子の違う一面に驚いたり・・・
彼女の事・喧嘩やいたずら・大食いなどetc

納骨する23日(49日)には、幼馴染8人衆が揃って来て頂ける。
 息子も感謝しながらニコニコしているだろう・・・


2006年11月13日

今日は所用で、久しぶりの四国は讃岐へ・・・ (=^・^=)
  お昼は、絶対にうどんをと、勇んで製麺所に!

一緒に行っていた仲間は「大盛」を注文する。。。(−−;)
  讃岐うどんは「大」=3玉 「中」=2玉 「小」=1玉 と言う事を知らない。

僕は「中」を注文する。 案の定、出てきたうどんを見て、仲間は驚く。σ(^_^;)アセアセ... 
  当分、うどんは見たくない。。。と仲間は言う。 ┐('〜`;)┌

夕方も、岡山に帰る前に、「うどんを食べて帰ろうか?」 と言うと、「食べる!」
  と言うことになり、またまたうどん屋に・・・ (=^・^=)

僕は普通盛り。仲間は中盛り。。。(−−;) 何だ・・・ うどんが好きなんだ・・・

  善通寺に近い所だったので、しっかりお参りして帰った。m(_ _)m


2006年11月14日

今、ここに

窓を開けて
深呼吸をする

アッ 今ここに
自分がある
この体を借りて・・・

不思議より奇跡
この事だけで
うれしいこと

この事に気付いたのは
1ヶ月前

今 私は五十歳


2006年11月15日

拳と掌(こぶしとたなごころ)

赤ちゃんの
こぶしの中の
青い鳥

お年寄りの
こぶしの中の
シルバー鳥

いいえ
やはり
青い鳥

こぶしを開くと
温かーい
たなごころ


2006年11月16日

米上院でロッキード事件が明るみに出てから、今年で丸三十年になる。
この日は、吉良上野介を討ち取った大石内蔵助ら赤穂義士が、幕府の命により切腹した日でもある。

四十七士のうち寺坂吉右衛門を除く四十六人はお預けになっていた四つの藩邸でそれぞれ切腹したが、
  その一つが麻布日ケ窪の長府藩邸だった。

それから百数十年後、その藩邸で無人(なきと)という男の子が生まれた。
  藩邸には幕末のこのころでも義士たちが寝起きした部屋や切腹場が残っていた。

泣き虫だった無人少年は、母から義士伝を聞き、
  忠臣蔵にまつわる錦絵や絵本を見るのが何よりの喜びだったという。
無人少年は長じて乃木希典(まれすけ)となる。

といってもピンとこない若者がいるかもしれない。
  日露戦争で旅順攻撃の指揮をとり、子息を含むおびただしい戦死者を出しながらも
勝利後は敵の将兵を厚く遇し、世界の称賛を浴びた。

明治天皇崩御に際して妻と自刃した「乃木物語」は大多数の教科書から無視され、忘れられようとしている。
 乃木将軍が産声をあげてから百数十年後、長府藩邸は消え、跡地には六本木ヒルズがそびえ立っている。

敷地内の毛利庭園と名付けられた小庭園の掲示板には、辛うじて赤穂義士の文字はあったが、
  ヒルズのどこを探しても乃木の痕跡はない。

「日本には、有能な人間はたくさんいる。ただ、いないのは乃木のような人物だ」と慨嘆する。
  哲学なき戦後教育がヒルズ族の堀江貴文容疑者を生んだ。

赤穂義士や乃木希典が生きた同じ地で商売をしている「歴史認識」が、ヒルズ族にあるだろうか。
戦後教育がこの国の歴史認識を断絶させてしまった罪は大きい 。


2006年11月17日

神無月

神様が留守でも
羽目を外しては
いけません

神様が人を最も
信頼している月
神様は自然の中に
ご自身を表す

澄み渡った空
裏切る事は
出来ないはず

心地よいさわやかさ
思い過ごしや勘違いに
気付くはず

芒も萩も葎も
神様の留守で
侘しく枯れる

枯芝に座ると神様の
心のように柔らかい


2006年11月18日

青空

私の中で
「私の」
がぐらついている
「私の」
がぐらついて
なんだか心が
軽い

ふわふわと
まるで宙に
浮いているみたい
いっそのこと
「私の」
を全て放り出そうか
そうすれば
もっともっと心は
軽くなって
私も青空になる


                                    

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