その19          


2006年9月19日

今日は、定期通院日。胸部造影CT・腹部・骨盤部ダイナミックCTや内視鏡・血液検査などがあり朝早く出発。
  結果は、SCCマーカーは先月同様基準値を越えているが、それ以外は顕著な病変を認めず。

念のため、FDG−PET/CT検査を受ける事になった。ここ川崎医大病院ではまだ、機械が無いため
  近くの倉敷中央病院に予約を入れて下さり紹介状を頂いた。

PETとは?  クーやクロではありません。。。(−−;)


PET(ペット)は、がんの検査方法の一つです。


「陽電子放射断層撮影」という意味で、ポジトロン・エミッション・トモグラフィー(Positron Emission Tomography)の略です。

がんは、実際に腫瘍(できもの)ができたり、体に変化が起きてから見つかることが多く、がん細胞の成長がある程度進んでからでないと発見できませんでした。

しかし、がん細胞自身が光って自分の位置を知らせれば、もっと早い段階で見つけることが可能です。「がん細胞に目印をつける」というのがPET検査の特徴です。

PET検査は、がん細胞が正常細胞に比べて3〜8倍のブドウ糖を取り込む、という性質を利用します。ブドウ糖に似た物質に目印をつけて(FDG)体内に注射し、しばらくしてから全身をPETで撮影します。するとFDGが多く集まるところがわかり、がんを発見する手がかりとなります。

従来のレントゲン(X線)やCT、MRIなどの検査は形からがんを見つけますが、PETはこのように細胞の性質を調べてがんを探しだします。

がんの成長過程と早期発見


従来の検査にくらべPET検査では、さらに早期のがん発見が可能です。

PETメモ

欧米では「がんが疑われたらまずはPETを(PETFirst)」という言葉があるほど、定着しています。PETの結果をみて、治療方針を決めるのが普通になっているのです。

日本は保健医療として認可されず、まだ一般的に広まっていませんが、その検査の質の高さに、近年急速に普及しつつあります。

と、良い事だらけのようだが・・・

@ 一部のガン患者と虚血性心疾患・部分てんかんの患者さん以外は、保険適用外。12万〜15万くらい掛かる。
A 検出しやすいガンと検出しにくいガンがある。胃がん・大腸がん・腎癌・膀胱癌・前立腺癌・原発性肝癌は
   検出が難しい。
B 1cm未満の微小な腫瘍の検出は小さければ小さいほど検出は困難。1cm以上でも検出されない場合もある。
C 腫瘍以外の炎症などの病変にも反応する。また、良性か悪性かの判断がつかない場合もある。
D 糖尿病の場合、病変が検出しにくい。

などと、松本先生が言われていた、「PETの精度は70%くらい」と言う言葉通りだ。
まあ、キャンサーキャリアの僕だから、保険適用すれば3〜4万円で検査出来るようだ。

倉敷中央病院は、川崎医大から5分くらいの所にある。本当は絶食しているから今日が良いのだけど、
  いくら川崎医大からの紹介でも急には検査は出来ない。来週の月曜日(25日)に予約が取れた。


2006年9月20日

ことば

何気なく
言った ことばが
人を どれほど
傷つけていたか
後になって
気がつくことがある

そんな時
私はいそいで
その人の
心のなかを訪ね
ごめんなさい
と 言いながら
消しゴムと
エンピツで
ことばを修正してゆく


2006年9月21日

雨が上がった空に
虹がかかった
幸せな気持ちになった

虹の七色は
赤橙黄緑青藍紫
セキトウオウリョク
セイランシ
と覚えた

メールがきた
虹の橋を
渡ってきたのか
嬉しい知らせだった


2006年9月22日

20日から、所用で山口県下関市まで泊まり込みで出掛けました。
  長い事留守をしまして、皆様からご心配を頂き、恐縮しております。

出掛ける前に、書き込んでおけば良かったのですが・・・ これほど長くなるとは
  思わなかったので・・・(_ _(--;(_ _(--; ペコペコ

片道400kmの高速道路を2t車で快適にドライブ〜〜
  目の前は、門司港がはっきり見える、本州の最西部。海のそば。

何とか目的を達成して、帰路につく。(;´・`)> ふぅ
  本当に自分でも、自分がガン患者かと疑うような毎日だ。 (*..)ヾ ポリポリ 

あの橋を渡れば、九州は福岡県。退院後九州に旅行に行ってから、もう1年半が過ぎたんだぁ〜〜
  職場復帰して1年経ったら、来年の春4月、もう一度元気で行きたいものだ!


2006年9月23日

今日は珍しく寝坊して・・・σ(^_^;)アセアセ... 
 しかし、休みでもじっとしていられない性格。
庭の草取り・植木の刈り込み・など、軽四トラックに一杯になるほどの枝や草が・・・

親戚の山に処分しに行く。今どきは勝手に焼いたり廃棄は出来ない。
 堆肥にするには、場所と時間が掛かるし・・・
何とか良い方法は、無いものか?。。。(−−;)

ピオーネの根本には、藁や葦をを刈って干して細かく刻んで入れなくては。
 来週も連休なので、頑張るぞぉ〜〜 \(^o^)/


2006年9月24日

秋の彼岸をまたまた1日遅れて・・・今日、お墓参りに行く。
 ご先祖様! ごめんちゃいm( __ __ )m

菩提寺の庭には、珍しい白い彼岸花が咲いていた。
 正式名称は「白花曼珠沙華」と言うそうです。

赤い毒々しい彼岸花のイメージが・・・  白い花だと全然違う印象を受ける。
  ひっそりと数本の「白花曼珠沙華」  何だか心が落ち着いてくる。

      ーー南無大師遍照金剛ーー


2006年9月25日

行って来ました! (=^・^=)  倉敷中央病院へ。PET検査に・・・
  準備・待機・検査・予後と・・・以外と時間が掛かるもんだなぁ〜〜〜

元、倉敷紡績(クラボウ)の病院? 伝統ある立派な病院だが・・・
  「企業は人なり」 幾ら建物が立派でも・・・ 病院も企業も同じだと痛感した。

「検査結果は、紹介元の川崎医大の主治医様にご連絡申し上げます」 との事でした。



  いきなり、驚く。 制服姿の案内係さん? 4〜5名が全ての患者様のお出迎え。

  どこかの、ホテルのフロント? ロビーのようだ!  病院の受付とは思えない豪華な作りだ。

   中央広場の風景。朝早かったので、人が少ないが、帰る頃には大勢の患者様がくつろいでいた。

  中央カフェテラス風景。歴史と伝統を感じさせるレンガブロックの作りだ。

2006年9月26日

2004年12月… 食道ガンを自分で疑いほぼ確定していた。目の前が真っ暗に。
            (あと幾ら生きられるのだろう?半年?1年?)

2005年 1月… 入院・手術・放射線・化学療法を行う。
            (退院できる日が来るだろうか? QOLはどこまで回復するのか?)

2005年 4月… 29日退院。嬉しさと、あとどれくらい生きられるのか?不安と半分半分
            (休職期間1年を目標にしよう!1年は何が何でも!生きるぞぉ〜〜〜)

2005年 5月… 自分で運転して九州まで旅行に出掛ける。抗がん剤の副作用も軽い方か?
            (余命について考えないことに… 生かされて… 1日1日を大切に生きる)

2005年12月… 発病から1年。中の娘の結婚が急に決まる。
            (孫を見なくては!更に目標を延長して・・・)

2006年 1月… 手術から1年。 花嫁の父になる。 不思議と涙より嬉しさが… 安堵感に酔う。
            (50歳の誕生日くらいには孫が見えるかも?)

2006年 4月… 退院後1年。復職の期限が来た。職場復帰をする。体調には不安が残る。
            (目標は復職して半年は頑張ろう!)

2006年 5月… 1年飲み続けた抗がん剤の服用を中止するように主治医に申し出る。
            (体力を回復させるには、抗がん剤より美味しい物を沢山食べる)

2006年 7月… 50歳の誕生日を迎えることが出来た。孫も生まれた。
            (手術から1年半を生きられた。職場復帰して3ヶ月が過ぎ体力も安定する)

2006年 9月… 暑い夏と、仕事復帰と家族の病気など… 自分もプチ入院が数回。
            (目標延長。職場復帰1年! 下の娘が大学を卒業する日までは…)

マラソンランナーも、いきなり42・195kmを完走するイメージじゃなくて、あの角を曲がるまで。とか
 あのビルを過ぎるまで。とか目の前の目標をクリアし続けて、結果、ゴールを迎えるそうだ。

僕たちガン患者も、「余命」 と言う事を、漠然と考えるより、1日1日を大切に生きましょう!
 結果、半年・1年・2年…と完治に向けて行くことが出来ます。

「焦らず・諦めず」 に 「余命」 ではなくて 「与命」 です! 与えられた命を大切に!

      「生かせ・いのち」  


2006年9月27日

天命

せっかくこの世に生を授かっても
真剣に生ききる尊さをいつの間にか忘れ
結局はこの世を生きていない人もいる

たとえいつかこの世を去っても
みんなの心の中で魂を揺さぶりながら
ずっと生き続けていられる

そんな輝いた人生を創造している人もいる


2006年9月28日

2〜3日前から、風邪の症状か? 関節痛や胸が(肺)痛い。
  今年の4月。職場復帰目前に数日肺炎になり入院した。あの時と同じ症状だ。

熱は今の所、微熱だが・・・ 寒気もするし上がっていくようだ。。。(−−;)
  地元のK病院でお世話になる。女医のK先生は、明かな肺炎の症状を認めず。

抗生剤入りの点滴と服用で様子を見る事に・・・ これが結構、面倒だ。
  時間が掛かるし、通わなくてはいけない。 仕事も休むわけにはいかないし・・・

今週はK病院から、会社通勤とするか。。。(−−;)
  ちなみに、K女医先生は、どこか菜々子先生に似ている。  (o^_^o)ニコニコ   


2006年9月29日

いかに免疫力が、他のガン患者さんと比較して高くても・・・
  やはり、基礎体力というか、今までの自分とは全然違う。

ある一線を越えたら、無理をした自覚が無くても、極端に疲労する。
  4月の時もそうだが、今回も急にガクンと関節にきた。

どこまでが、セーフでどこからが、アウトか? 自分で掴まないとダメだ。
 やらなければいけない事は、沢山あるのに・・・?(ー'`ー;)う〜ん・・・

夜、救急処置室で点滴を受けていると・・・ 何やら騒がしくなった。
 「60代・女性。脳梗塞疾患で入院歴あり。救急搬送します」 消防からの連絡のようだ。

病院中に響き渡るような声で、「痛い。何とかしろ!痛み止めをくれ!・・・etc」
  つらいのは充分理解できるけど、それほど騒がなくても・・・ε-( ̄ヘ ̄)┌ ダミダコリャ…

主治医らしき男性の先生は、慣れたもので、「大丈夫です。痛み止めをしたから帰って良いですよ」
 と、本人は入院を希望だが、とりあわず。 結局、本人もケロッとして、自分の足で歩いて
娘さんの車に・・・  何ともお騒がせな患者さんだった。

「人の振り見て我が身を正そう」っと・・・  今日もまたひとつ良い勉強をした。 (o^_^o)ニコニコ     


2006年9月30日

ブロッコリーの花

うっかり摘み忘れた
畑のブロッコリーに
うす黄色の小さな花が
数えきれず咲いた

「摘み忘れてくれて
つぼみから
お花になれたの
種にだってなれる
ありがとう」

あの日の朝食で
サラダになっていたら
花のことも
種が
また  命に戻ることも
見ずじまいだった


2006年10月1日

ドタバタしていて、メールのチェックが出来ていなかった・・・ σ(^_^;)アセアセ... 
  川崎医大の主治医の松本医長から検査結果のメールが来てました。(=^・^=)

「検査結果ですが、FAXしか来てなくて画像は見ていません。
 ですが、向こうの放射線科の診断では明かな再発の兆候は見られない。
という結果でした。
とりあえず、私もほっと胸を撫で下ろしました。」・・・以下省略

大学病院のイメージ(白い巨塔)とは、かけ離れた、人間味あふれた素晴らしいドクターです。
  患者の目線で、患者を診る。血の通った医療をされる立派な教授です。

「運命」 松本医長と出逢えたのも、まさに運命。 チャンスをものにするのは自分。
  食道ガンのステージWで、5年生存したら・・・  奇跡か、松本先生の実力か?

先生のご恩に報いるためにも、「驕らず・慢心せず」 に 「焦らず・諦めず」 に生きよう!


2006年10月2日

朝を開く

新しい本のような
朝を開く
はじめてのことば
できごとが
綴られている本

新しいノートのような
朝を開く
書き記せるのは私だけ
光のボールペンで
輝く文字を書けるのも
私だけ


2006年10月3日

今夜は、秋の人事異動に伴う、職場の「歓送迎会」だ!  (o^_^o)ニコニコ   
  来る人・去る人・移動の人・・・  それぞれだが・・・

寿退社の女性もいる。(=^・^=)  14年前に新卒で入社した彼女がやっと嫁ぐ。
  心配していたが、何とか貰い手があった。σ(^_^;)アセアセ... 

娘のような彼女だから、本当に気になっていたが、これで一安心だ!
  「我慢しなくて良い。耐えられなかったらいつでも帰って来い!」
しかし、我侭はだめだ!努力は必要。頑張れ! しかし、我慢はだめだ。
  父親の気持ちで餞の言葉を送ったが・・・  どこまで気持ちが伝わっただろうか?

田舎の中華料理店だが、今夜の料理とお酒は、事の他、美味しかった。(=^・^=)


2006年10月4日

今日は、一日、鳥取県まで出掛けて、疲れて家路に着く。ε( ̄。 ̄ε ヒョコヒョコ
  汗になったので、シャワーを浴びていると・・・ 誰かお客さんが・・・

急いで上がって見てみると・・・ 「ゆうあ」が里帰りで来ていた。(=^・^=)
  「たけぼちゃん」と、呼ばれていた50年前の僕。 何処か似ているような・・・ σ(^_^;)アセアセ... 


兄に抱かれている、「たけぼちゃん」。 時代を感じる貴重な写真だ!


2006年10月5日

手のひら

小さな子と
手をつなぐと
ふうわりと
無防備で
もっと自然に
生きられないの?


たしなめられて
いるような
きがする


2006年10月6日

50年生きて来て、最高の驚きと悲しみに包まれる。
  
今日は、昨日に引き続き組内の不幸で仕事を休んでお葬式のお手伝いに・・・
  朝9時の集合だから、準備してこれから家を出ようとした時、携帯がなる。

「息子さんが事故で・・・ 全力は尽くしますが、非常に厳しい状態です。
   覚悟をなされて、病院まで至急、お越し下さい」 と、ドクターから、直接の電話。

どんな、? 交通事故か? それとも???  何も分からないまま、もしや
  高速道路での事故なら、重大事故か? 玉突き事故に巻き込まれた???

色々と、良くない想像をしながら、山口県防府市まで車で駆けつける。
  これほど長く時間が掛かることが、イライラを増長させる。

12時半に4時間かけて、やっと病院に到着する。 早速主治医と面会するが・・・
  「事故の内容は、こちらでは分かりません。 息子さんは頭部に激しい衝撃を受け
大変危険な状態です。9時から11時まで2時間かけて、開頭手術して、出血や血腫を
 取り出しましたが、残念ですが、回復するような状態ではなく、数時間か、長くて数日しか
もちそうにありません。残念ですが・・・」 と、信じられない説明に愕然とする。

会社からも、社長・専務・常務などをはじめ、次々と上司や社員が駆けつけて頂き・・・
  情報が錯綜して、色々と掴めにくいが、大体整理すると・・・

高速道路で、SA休憩後、本線に戻る最、間違えて、反対方向に逆走して対向車と
  正面衝突。お互いの車が100kmくらいでぶつかったらしい。 何とも言えない。

やっと、ICUの中に案内されるが・・・   変わり果てた息子の姿に、呆然となる。
  僕自身も、術後、経験した、あの苦しい人工呼吸器を取り付けられて・・・
頭蓋骨は、大きく切り取られたままで・・・ 大量の点滴などで、何とか血圧を
 高く上げるようにしているが・・・ がんじがらめの状態で、ベッドに横たわる息子。

お盆に帰省して以来の、変わり果てた姿を、まだ現実の事と受け止められず・・・


2006年10月7日

昨日は岡山から、息子の友人たちも7〜8名、駆けつけて頂き、一緒に容態を見守る。
 「疲れるから、交代で仮眠して。」と提案するが、誰一人横になろうとしない。

保育園からの幼友達や、中学からや高校からの友人たち。 有難いことだ。
  山口営業所のスタッフも、みなさん帰られない。 交代で帰って休んでくださいと、
言っても、「心配で眠れない」 と、20名くらいが、ICUの外の、ロビーや待合の椅子で
 待機しておられる。  「今日も明日もお休みだから、大丈夫です」 と・・・

いくら、点滴で血圧の上昇をはかっても、次第に下がり続けて、上が50・下が30まで下がる。
  昨日は、あれほど沢山の尿がカテーテルから出ていたが・・・ 今日はわずかに。

「血圧の低下で、腎臓もやられたようです。尿が出なくなると1日が限界でしょう。」と
  主治医の説明。 事故の衝撃でパンパンに腫れた、顔が今度は浮腫んで来た。

昨日は、まだ事態が受け入れられず、ただ呆然とした状態で、時間だけが空回りしていた。
  「回復される可能性は、残念ながらゼロです。」 と現状を説明された。

それなら、こんな苦しい延命治療は、息子は望んでいるだろうか? 1分でも1秒でも早く
  楽にして家に連れて帰ってやりたい。

ドナー登録しているので、先生にその由を伝えるが、息子の場合はもう無理だそうだ。
  内臓不全で使えるものが無くなっている。 それに脳死判定自体が難しい。

この世に生を受け、26年間生きてきた息子。 これから社会貢献して少しでも恩返しを
  していかなければならないのに・・・  移植しか治る見込みの無い患者さんたちに
少しでも役立てばと、考えたが、それも難しいようだ。   何とかならないものだろうか?


2006年10月8日

朝方から、血圧は下がり続け、上が20台に・・・  もう息を引き取るのが近いのか?
  
友人たちは、「どうしても持たないのなら、遺体を一緒に連れて帰りたい」 と・・・
  今日で3日目だから、一足早く帰って、休んでくれるようにお願いしたが、聞き入れてくれない。

お昼まで粘っていたが、「これでは皆さんが病気になったり、帰り道に事故でも起こしたら
  お家の方に申し訳がない」 と無理やりに岡山まで、帰っていただいた。

午後4時過ぎから、脈拍数が低下を続けて、40台に・・・   主治医が「近いでしょう」 と・・・
  ICU に詰め、様子を見守っていたら、友人たちから、「今、岡山に無事に到着しました」 と
連絡が入る。 本当に良かった。と安心したら、息子もそれを待っていたように、静かに息をひきとる。

 2006年10月8日午後5時35分。26年間の短い生涯を終えた、息子を連れて岡山の自宅まで
帰る準備をする。  一応、警察の方の検視を待つことになる。

検視が済み、係りの警察の方から、詳しい事故の状況を始めて伺った。
 信じられないような、うっかりミスで、重大な事故を引き起こした息子。
相手の車には3人の方が、乗っておられたが、不幸中の幸いで、どなたも命に危険はないそうだ。

一日も早く、回復されることを一心に願い、夜の9時前に病院を後にした。


2006年10月9日

昨夜と言うより、今朝1時半過ぎに、やっと自宅に息子を連れて帰る。
  当然、大勢の親戚の皆さんが待っていたが、その中に、会社の社長・専務・常務の
方々が、深夜にもかかわらずに揃って息子の帰宅を待っておられた。 本当に有難い。

北枕で、ゆっくり息子を休ませて、灯明と香を炊く。 「26年間育った我が家に帰ったぞ!」
 「痛かったろうな」  「無念だろうな」 万感の思いがこみ上げ、涙が止まらない。

朝から、組内の皆さんが駆けつけてくれて、葬儀・告別式の打ち合わせに奔走される。
  頭の中は、呆然とした状態だが、自分がしっかりしないと、息子を送ってやれない。

明日の10日は、友引のために葬儀は出来ず、11日の10時半に葬儀開始。12時に出棺と
  決定する。今日は祝日のため皆さんお休みでしたが、手際よく一切の準備をしていただいた。


2006年10月10日

自宅が狭くて、家では、葬儀が出せない。 葬祭場は家から遠い。 どうしようかと迷い、
  菩提寺の善福寺ご住職と相談の上、お寺をお借りしての葬儀・告別式になった。

「てっちゃんの成仏を一心に願い、全面的に協力を惜しまない」との、有難いお言葉に
甘える事にした。 お通夜も今夜の7時から始まる。

夕方、5時過ぎに祭壇も出来、息子の遺体を納棺し、お寺まで移動する。
祭壇は、葬祭場のものではなくて、生花(菊)で飾り付けて頂いた。

賑やかなお祭り騒ぎが、大好きだった息子。 もう、結婚式もお祭りもなにもない。
 それなら、最後の送りくらい、華やかに・・・  と 親バカぶりを発揮する。

19時からのお通夜には、組内の皆様・ご近所の皆様・会社の役員の皆様・
社員の皆様・同級生の皆様。そのほか本当に多くの方のご弔意を頂く。

19時から、ご住職の先達で仏前勤行次第をお勤めする。約30分で済んだが、
  境内を見ると、まだ焼香を待っておられる方々が、100数十名おられ
20時40分過ぎに、やっと一段落つく。 同級生の多くは「今夜は朝まで起きて
  線香を絶やさない」と、頑張って頂いた。

親戚の皆も感謝する。 しかし明日の葬儀もあるので、日付も変わった1時過ぎに
 やっと皆様にお帰り頂いた。 僕も2時間ほど交代で仮眠する。


2006年10月11日

昨日までの秋晴れの晴天が嘘のような、今にも雨が落ちそうな曇天の朝。
 まるで、天上界が悲しみに包まれているような・・・

しかし、悲しんでばかりは居られない。息子の成仏を願い、今日は1日、しっかりして
 最後まで頑張って送ってやろう!

    −−−南無大師遍照金剛ーーー

葬儀には、本当に多くの皆様に遠路はるばるご会葬を頂きまして、
     衷心より厚く御礼を申し上げます。
  また、組内の皆様には、6日の事故発生以来、本当にご心配やご迷惑をお掛けし、
本日の葬儀・告別式の準備に奔走していただき、誠にありがとうございました。

遠くの方々から、心のこもった弔電も多数頂き、感涙に咽んでおります。息子も
 きっと有難く、皆様に感謝致しながら、あの世に旅立って行った事と、確信致しております。


2006年10月12日

6日以来、本当に分刻みで、慌しく、しかし、何も出来ないまま、むなしく時間だけが
  空回りした。 昨日は、自分でも予想外の大勢の会葬者の皆様から、心のこもった
弔意を頂きました。 不手際の数々は、息子の成仏を願い、平にお詫び申し上げます。

祭りの後の、ぽっかり空いた、虚脱感を味わう暇もなく、昨夜は死んだように眠りについた。
 今朝は、後片付けに追われる。 挨拶まわりもしなくてはいけないが、明日が初七日なので
その準備もしなくては・・・ 時間だけがむなしく過ぎていく。 頑張ろう!

49日まで自宅で、お祭りをする、小さい祭壇を準備した。明日の初七日に、何とか間に合う。

もうしばらく、バタバタしますが、落ち着きましたら、必ずご挨拶に伺いますので、
  よろしくお願い申し上げます。


2006年10月13日

今夜は、哲男の初七日。 菩提寺の善福寺ご住職の有難い読経が我が家に響く。
  事実として、また半分は信じがたい出来事として受け入れられない・・・

組内の皆様・親族の皆様・告別式に間に合わなかった学校の先生・友人・知人
  多くの方々から、今夜もご焼香を頂き、本当に息子は果報者だ。

「晃正院青山明哲居士」 「こうしょういんせいざんめいてつこじ」という息子の法名。
  これからは、「めいてつ」という戒名で呼ぶように、ご住職から教えて頂いた。

「明哲」 これからは、仏門に入りしっかり修行して極楽浄土に行くように・・・
  決してわがままを言わずに、弟子として立派に修行しなさい。


2006年10月14日

一連の、葬儀に関する後片付けに奔走する。
  市役所や銀行などの手続きは平日でないと受け付けてもらえないので
それ以外の、支払いやら、文字通りの片付けに追われる。

明日と明後日くらいいで、手続きや挨拶回りを済ませて、そろそろ会社にも
  出なくてはいけない。 また、息子のアパートの片付けにも行かなくては・・・
事故の相手の被害者の方にもお見舞いやご挨拶にも伺わなくてはいけない。

しなくてはいけないことが、山積だが焦らずに一つづつ整理していこう。
  多くの皆様から、僕の身体の事をご心配頂いており、感謝しております。
幸いに、今の所、気も張っており、何ともありませんが、慢心せずに自己管理致します。

盆休みに帰省した息子と、入れ違いで産後の休息から嫁ぎ先に帰った「ゆうあ」
  抱かれる事もなく、一瞬しか見てもらえなかった。
「ジージ」 ? と一緒に入るお風呂は、いくら泣いていても、この通り。


2006年10月15日

今日も、葬儀を済ませた最初の日曜日とあって、朝から次々と弔問が続いた。
  学校の先生・同級生の方・友人・親族etc 訃報を聞くのが遅くて間に合わなかった
と、涙ながらに残念がられる。 大丈夫です。息子はちゃんと、見ていますから・・・

遥かな道

子供を深く胸に抱いて
泣きやんだとき
体まかせられて
安らかな寝顔見るとき

遠い遠い心を思う
深い海のようでもあり
大きな岩のようでもあり
太い樹々たちの心をも思う

ああ  ものたちはみな
この安らぎを
得るために
遥かな道を
来たのだと思う


2006年10月16日

今日は、地元の氏神様の秋祭り。 華やかに飾り付けられただんじりが多数くりだす。
  僕は、今年は忌中なので、顔は出さずに、明日からの職場復帰に向けて用事を済まそう!

「ゆうあ」も帰り、ついに今日は下の娘と二人で・・・
  49日の満中院の準備もする。 塗り位牌の発注や、お墓の戒名板への彫りこみ。
仏具の不足している細々とした物を揃える。

ろうそくは、あの世への道中の足元を照らす照明。 香は、仏様の食事になる。だから
  出来るだけ、香りの良い物を焚くように・・・ と、ご住職から伺った。

「質より量」で、高級寿司より、お腹一杯になる「回転寿司」がお気に入りだった息子。
 平気で25皿は、平らげていたっけ・・・  でも今夜は秋祭りの夜だし、
  たまには高価な食事をと・・・ 30gで2000円のこの店では一番高い香を買い、今夜は眠るまで
焚いてあげた。 多分お腹一杯にしてくれたと思う。 (o^_^o)


2006年10月17日

時の音

時は流れていく
まるで川が
流れているかのように
もう少し
ゆっくり
流れればいいのに
もう少し
休みながら
流れればいいのに
目をつぶると
時の流れる音がする


2006年10月18日



「その前は?」
「その前は?」
と尋ねた事があった

「猿だよ」
と教えられたが
それでも
「その前は?」
と尋ねた事があった

今もその前は
不思議なことだが
はっきりしているのは
そのずっと前から
一本の鎖が
私につながって
来ていること


                                    

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