その12          


2006年2月19日

今日から、闘病日記も「その12」を迎えました。多くの皆様から、応援や励ましを頂き、本当にありがとうございます。

  そして、2005年6月3日に設置したアクセスカウンターが、本日、20万回を越えました。
お見事にHITした方は、難病と闘いながらもいつも希望を失わずに、感謝の心で毎日を暮らしておられる「sara」さん。
  去年の3月、ちゃとらんの「いつも笑顔で」と言うHPで、知り合った、ちゃとらん・いねむり・sara・サク etc ・・・
もうすぐ、1年が過ぎようとしています。それぞれ病気は違うけど、頑張って「焦らず・諦めず」 闘病しましょう!

    「まあるい心で、生きていきたい」

足跡

降ったばかりの
雪の上
チッチチ跳ねる
小鳥たち
小花模様の
足跡が
スタンプみたいに
続きます

風がさあっと
吹いてきて
小鳥がどこかへ
帰ります
私も家へ
帰ります
私も足跡
つけながら


2006年2月20日

旧勝山町に住まいする、80歳の伯母がガンで他界した。昨年9月に胃がんの摘出手術を終えて、年末には退院できて
  ご家族お揃いで、楽しい正月を迎えたばかりの、1月末、食べたものを吐いて緊急入院。
良く調べると、腹腔内(腸からの)に末期ガンが・・・ 胃がんの時の検査で見過ごしてしまったのか?
  もしも、分かっていたなら、ダメージの大きな胃の摘出手術は控えて、緩和治療に専念できたと思うが・・・

やはり、がん治療は大きな病院(経験豊富な)で、体全体の総合検査を行ってもらい、判断して(インフォームドコンセント)
  相談しながら、時にはセカンドオピニオンを聞き、患者の利益に繋がる方法を模索するのが、大前提だ。
「すべて、お医者様任せ」では、時には、考えられないような、失敗もあるだろう。

患者本人の「必ず良くなるように治すんだ」 という気持ちと、高齢な患者さんや子供達なら、ご家族のサポートも勉強も
  必要不可欠になってくる。
高齢な患者さんや、小児ガンの子供達が、亡くなったと聞くと、本当に悲しい。最良の方法が取れたのだろうかと・・・

ぼくと、同じ、同病の桜達が一人でも多く、ガンから奇跡の生還が出来る事を、願ってやまない。
  「戦友」のご逝去を聞くたびに、心がしめつけられる。とにかく、我が事のように悲しい。

どうか、同病の皆様、最後の最後まで、「焦らず・諦めず」 に 笑顔で賢く戦い抜こうではありませんか!


2006年2月21日

今日で、第7クールが終了した。 相変わらず咳き込みが夜に酷いが・・・ ご飯も控えめに、回数を分けて食べている。
  息苦しさと咳は、変わらないが、それ以外は重篤な副作用もない。

今日は、定期通院日。胃カメラや超音波・CT・血液検査など予約がびっしり入っている。朝早く出かけて7時には病院へ・・・
  高速は、雪や凍結も無く、スムーズに・・・   採血は7時半からだから、ここは一服しようと喫煙ルームに・・・

(゜o゜)ゲッ!!    Nさんだ!  再入院されていた。  副作用のキツい抗がん剤治療のための入院らしい。
  相変わらず穏やかな笑顔で・・・  (o^_^o)ニコニコ されていた。 ガンが全身転移されているのに、頑張っておられる。
僕も、あやかろう!  「焦らず・諦めず」 に・・・

「いつか」

夕方の空を
見ています

少しづつ
暗くなってゆく
木々の向こうに

まだ明るい
あたたかい色の
夕方の空

今は苦しくても
あれもこれも心配でも
いつか 心が
魂が
帰ってゆくところが
あるような
夕方の空


2006年2月22日

昨日の胃カメラ検査で、痛み止めの注射が効きすぎて・・・  9時に開始して、3時間くらい寝っぱなし。。。(−−;)
  今まで、麻酔や痛み止めが、効かない事は度々会ったが、効きすぎとは・・・ σ(^_^;)アセアセ... 

おかげで、松本先生の診察を受けるのは、受けたが・・・  何を聞いたのか?記憶に無い。
  血液検査結果や、胃カメラの写真は、しっかり貰っているし、マークも自分の字で書きこんでいる。
まあ、変化無しという事にしよう! (#^.^#) ニョホ

胃カメラの写真を見ると、食道摘出後の、喉の縫合部は、綺麗に付いている。  開口部はゆうに直径2cm以上はある。
  狭窄になっているはずだけど・・・  小さい人は、5〜6mmくらいしかなくて、ブジー拡張を受けなければならないが・・・
それに、縫合部が綺麗だ。 縫合部材が露出したり、変形に縫われたりしていない。

さすが、松本先生だ!  あらためて、先生の手術の腕前を見せつけられた感じだ。 感謝感謝!  (o^_^o)ニコニコ   

血液検査は、7時半から採血し、超音波検査は8時半から・・・  9時から胃カメラと、朝早くから手際が良い。
  大学病院なのに、「医療は患者様のためにある」 と言うスローガンを掲げて実践している。
有難い有難い! (=^・^=)   田舎のどこかの総合病院とは、大きな違いだ!


2006年2月23日

昨年の11月2日に植えた玉葱の苗。 今日は追肥を施す。マルチシートの穴からは、生命力の強い雑草がびっしり・・・
  草取りもしながら、土のぬくもりを感じる。 (o^_^o)ニコニコ   
植えた苗の根元を、なぜか切って回る根きり虫。害虫だけど、無農薬のため、手で取るしか方法が無い。
  750本植えた苗だけど、1割は被害に遭っている。。。(−−;)
春の彼岸が過ぎたら、着実に大きくなるだろう!サラダ用に赤玉も少し混ぜて植えている。(#^.^#) ニョホ

   今年は大雪が2〜3回積もったけど、頑張っている玉葱の苗。 6月には収穫できるぞ! (#^.^#)

   お雑煮には、欠かせないホウレン草や、おひたしに使うベンリ菜。 大雪にも負けずに大きくなってきた。(#^.^#)

2006年2月24日

白鳥

あなたの心は冬
張り詰めた湖を
秘めている
白く まるく
膨らんでしまった
かなしみが白鳥の
ように舞い降りる

いつか空を飛ぶ日を
風を切り裂く日を

冷たい風に
しなやかな首を
撓めながら
そのかなしみは
待っている


2006年2月25日

自分に

ぽたぽたと
蛇口から落ちる涙は
止まらない

どんなに辛く
悲しいことがあっても
いつまでも
くよくよしていては
だめ

思いきり
蛇口をひねって
一気に涙を
流してしまうの

さあ 新しいカップで
コーヒーをのみましょう


2006年2月26日

南米の真夏を彩るブラジル・リオデジャネイロのカーニバルが24日、始まった。
28日までの期間中、国内外から70万人の観光客が押し寄せる見込みで、街全体がサンバの熱気に包まれる。

 24日は市民から選ばれた「カーニバルの王様」に、リオ市長の権限を象徴する大きな鍵が渡される式典で開幕。
市中心部のメーン会場で、子供たちのサンバチームがパレードを繰り広げた。

 リオ市内では連日のように最高気温が35度を超す中、二週間ほど前から大小の街頭パレードが各地で行われてきた。
26、27日夜にはメーン会場で14の有名チームが徹夜でパレード。
 音楽や山車、衣装の華麗さを競い、祭りは最高潮に達する。

日系2世の、中村姉妹やアマウリ・シルビアなど、僕の職場で働いて、今はブラジルへ帰った仲間達。
  地球の裏側で、今は猛暑の中、カーニバルを楽しんでいる事だろう!
「室川さん〜〜 遊びに来てください〜〜」 と、アマウリから、メールが来たが・・・  とても行く事が出来る距離ではない。
  飛行機を3回も乗り換えて、時間が30時間は掛かるとか・・・ σ(^_^;)アセアセ... 


2006年2月27日

http://kk.kyodo.co.jp/iryo/news/0111shimechijin.html

ガンの闘病仲間達必見です。 
特に大腸がんの手術後の方!  試して見る価値は充分あります! 保険適用ですから安価です。

胃薬ががん転移を抑制 シメチジンに意外な効果 大腸がんの生存率アップ

長年使用されてきた胃薬に、がんの転移を防ぐ作用があるらしいことが分かってきた。
シメチジンという胃潰瘍(かいよう)や胃炎などの治療薬だ。
 その仕組み解明に取り組んでいる藤田保健衛生大坂文種(ばんぶんたね)報徳会病院(名古屋市)の
松本純夫院長(外科学)は「大腸がんで転移抑制効果があることが分かってきたが、
他のがんでも転移を抑制している可能性がある」と指摘している。

僕のサイトに訪れていただいた方からの情報です! (_ _(--;(_ _(--; ペコペコ
大腸がんのみならず、他のガンでも転移を抑制している可能性大!

僕も、早速、主治医の松本英男先生にメールで相談しましたら、快諾して戴きました。(#^.^#) ニョホ
 なんと、奇遇にも同じ「松本先生」だぁ〜〜〜  。.:♪*:・'(*⌒―⌒*))) スペシャルスマイル


2006年2月28日

歴史と伝統の都。京都大原の三千院。  しばしの散策・・・

 今日は、懸賞に当たった例の、京都日帰りツアーに参加した。今にも泣き出しそうな空模様だったが、
何とか雨は降らず、三千院と平安神宮にお参り出来た。

 
        静寂の中に、時間が止まったような感じがする。  もう一度ゆっくりと訪れたい空間だ。

  凄いスケールの平安神宮の本殿。

朝、7時にJR久世駅を出発して、帰りは夜の8時になった。  さすがに強行軍で疲れたが・・・
  バスツアーもそれなりに楽しいものだ。 時間に制約があり、ゆっくりとは出来ないが・・・


2006年3月1日

今日は、県立高校で一斉に卒業式が行われた。 (o^_^o)ニコニコ   
 本人は、もとより保護者の皆様、おめでとうございます。
進学に、就職にとそれぞれの希望を胸に、羽ばたいていかれる事を切望します。
「自分ひとりで生きてきたんじゃない。恩師やご家族や友人・知人の多くの皆様のおかげで、今日が有るのです。

いつも喜んでいなさい

絶えず祈りなさい

すべての事に

感謝しなさい
                      〜聖書より〜

「あおげば尊(とうと)し」

http://www.biwa.ne.jp/~kebuta/MIDI/MIDI-htm/AogebaTotoshi.htm


2006年3月2日

ひな祭り

子らを
包む
笑みが
春を呼ぶ

すこやかに と

母の
ひと針
ももの花

しんこ餅
甘酒
ふるまって

心に
雪洞ともる
春の宴

上の娘が生まれて、親元から届いたお雛様。  早く仕舞わないと、婚期が遅れると言う昔からの言い伝え。
  忠実に守って、早く出して3月3日には片付けていた。 
それでかどうか? 分からないが、早く嫁いでしまった。。。(−−;)

今年は、思いっきり遅く出して端午の節句まで、仕舞わずにおこう。 (#^.^#) ニョホ
   下の娘は、30前まで独身で良いだろう!

http://www.biwa.ne.jp/~kebuta/MIDI/MIDI-htm/UreshiiHinamatsuri.htm

   明かりをつけましょ、ぼんぼりにぃ〜〜〜♪   (o^_^o)ニコニコ   

2006年3月3日

去年の今日、3月3日から、放射線治療と科学療法(抗がん剤)が始まる。
3週継続1週休み(1クール)を2クール
ドセタキセル(Docetaxel)40mg/body TS−1 90mg/body
RT(放射線) 1.8Gy/day   T字照射 最終日4月20日

衝撃的な経験だった。。。(−−;)  腸をひっくり返されたような、激しい下痢。ムカつきも半端じゃない。
  とにかく、トイレから出られなかった・・・ σ(^_^;)アセアセ... 

それにしても優しい看護婦さんだった・・・川崎さん〜どうしておられるのかなぁ〜〜〜 (=^・^=)
  どうしても、「看護師」と言う呼び方には、馴染めない。  白衣の天使はやっぱり、「看護婦さん」だぁ〜〜〜

 去年の3月末で、九州に帰られた川崎さん。 今も看護婦さんとして頑張っておられるだろう! (=^・^=)
 

2006年3月4日

散る桜
残る桜も
散る桜


2006年3月5日

今日は、、目の回るような1日だった。 σ(^_^;)アセアセ... 
  朝、8時前から、町内一斉の大掃除。 環境美化の一環で、空き缶やゴミ拾いに・・・  寒かったぁ〜〜

済んだら、お見舞いに2軒伺う。  その後、お祝いに1軒。  お昼は娘と近くのホテルに・・・(バイキングの)
  2時までの制限時間だったが・・・  お葬式(ご近所)があったので、12時半には、バイキングを切り上げて・・・(ノ_・。)クスン
まだまだ、食べられたのに・・・ : :・。・゜゜・(≧◯≦)・゜゜・。・え〜〜〜〜〜〜〜〜ん!!!  ケーキやデザートは食べ放題だった・・・

  お葬式を済ませたら、またまたお祝いに・・・(ご結婚の)  ?(ー'`ー;)う〜ん・・・  気持ちを切り替えて・・・
そのあと、またお見舞いに・・・  σ(^_^;)アセアセ... 

まあ、忙しいと言う事は、良い事だ! (=^・^=)  闘病中でも、こうして動けるのは、元気な証拠。  (#^.^#) ニョホ
 「焦らず・諦めず」に、└(´▽`*)┘ガンバルゾー!!

夜は、久しぶりに「あつや」君が、遊びに来た! 。.:♪*:・'(*⌒―⌒*))) スペシャルスマイル
  「ワンワン」 や 「ちゃーちゃん」 と言えるようになった。 (=^・^=)


2006年3月6日

■啓蟄(けいちつ)
暦の二十四節気のひとつで、雨水後15日めの3月6日頃に当たります。 “啓”は『ひらく』、“蟄”は『土中で冬ごもりしている虫』の意で、 文字通り地中で冬ごもりしていた虫が春の到来を感じ、草木が芽吹く と同時に地上へ這い出してくるという意味です。この時期、北国では 福寿草が咲き、東京では紋白蝶が見られます。

『啓蟄や蚯蚓の紅の透きとほる』(山口青邨)
参考:二十四節気(にじゅうしせっき)とは?

太陽年をその黄経に従って24等分して、季節を表すのに用いる中国 古来の語。等分点はそれぞれ立春・雨水・啓蟄・春分・清明・穀雨・ 立夏・小満・芒種・夏至・小暑・大暑・立秋・処暑・白露・秋分・寒 露・霜降・立冬・小雪・大雪・冬至・小寒・大寒と名付けられていま す。



今日は啓蟄。 福寿草が咲きほころび春の訪れを待つ。 朝から雨だが、僕もゴソゴソ動き出す。。。( ̄-  ̄ )


2006年3月7日

啓蟄だからと言うわけではないが・・・ 冬の間仕舞っていた単車を出した。
  知人からお借りしている、オフロードの250ccだ。(#^.^#) ニョホ

今日は、近くのお寺まで出かけた。20代の頃、裸祭りに良く参加していた。
 真冬の2月。褌1本の裸で県内外の男衆が、数百人でぶつかり合う。
  福男(宝木と言う陰陽2本の福を争奪するお祭り)に3回なった!

当時は、良くお参りしていたお寺だが・・・  改めて静かに参拝すると・・・
  凄い彫刻の拝殿だ。

しなやかでありたい

傷ついた心という意味で
暗愁という
もう死語となった
言葉があるそうだ

人は暗愁と共に生き
傷ついた心を重ねて
それを乗り越え
しなやかに強く
なってゆく

兼六園でも
しなやかな木々は
雪つりはしないのだ

春には木々が
重い雪を跳ねのけ
青空に伸びてゆく


2006年3月8日

3ヶ月、冬眠していたホンダのオフロード車250ccのXR
 やはり、バッテリーが弱っていて掛からない。 仕方ないのでキックで掛けようと・・・
?(゚_。)?(。_゚)? ン?   アレレ??? キックレバーが見当たらない。 (・.・ )( ・.・)キョロキョロ...

どうしても、見つからず、バッテリーを外して、充電しに、修理屋さんに・・・
  最近のオートバイには、キックは、無いらしい・・・ σ(^_^;)アセアセ... 
知らなかったぁ〜〜〜  また一つ、おりこうさんになった。(#^.^#) ニョホ



いつのころか
石は
そこにあった
幾十年という年月
父祖が守り続けてきた
土地とともに
石は
そこにあった
白粉をふいているような
不思議な色あい
野イバラが
添い寝しているように
石とともにたたずみ
長く生き続けてきた
人の生涯のように
歴史をつくり
物語がうまれそうな
石が ひとつ


2006年3月9日

昨日から、抗がん剤服用の第8クールが始まった。去年の入院中に始めた抗がん治療が、ちょうど1年を過ぎる。
  このクールは4月4日で終了して、2週間の休薬。 3月の検査結果が良ければ、職場復帰を・・・
残り2クール(12週間)を残しての、仕事に復帰が少し心配だけど・・・
  まあ、何とかなるさ! (=^・^=)  しなやかに苦難を跳ね除けて、前進あるのみ!

大雪や、寒波で、凍結した野菜達。ダイコン・人参・白菜・キャベツ・・・etc
  「凍傷」した所を、自分でしっかり治して甘い野菜になっていく。
それに比べると、飛行機やロケットを飛ばしても、船や自動車に乗りまわしても・・・
  人間は、壊疽した細胞一つ、自分では治せない。どんどん、腐っていくだけ。

根性大根や根性人参が、とても甘くて美味しい。鍋物を楽しませてくれる。(=^・^=)
  あきらめていたキャベツが、猛烈に根性を見せて頑張っている! 甘い春キャベツになって、
サラダで美味しく頂こう!  自然に感謝! 感謝! m(__)m


2006年3月10日



十八になるまで
櫛を持たなかった
僕の髪を風はやさしく
すいてくれたものだ
まるで祖母のように

外国へ行った事がない
僕の部屋へ風は訪れて
カーテンをオーロラに
変えたものだ
まるで手品師みたいに

風に負けじと
僕は知恵をしぼり
朝な夕な詩をつくって
それでもって
人々に希望を贈ろう
まるで日月のように


2006年3月11日

電話

今朝 起きてまもなく
優しい人からの
電話があった

そして 思う
そのために
今日1日を
心穏やかにいて
得たものの
何と豊かだったか

そして また思う
もし怒りつつ
すごすなら
そのために
失なうものの
どれほどか


2006年3月12日

先月の19日にガンで亡くなった義伯母のご主人(伯父)が、義伯母の葬儀を済ませた21日に、
  体調不良で入院した。検査の結果は、腹部の臓器は殆ど全てにガンが転移していた。。。(−−;)
食事が出来なくなり、点滴で何とか葬儀を済ませたが、その夜に即入院して全身検査したら、
主治医の説明では、もってもあと2〜3週間とか・・・
  嚥下困難で、マイタケエキスも水すらも飲めず、点滴と痛み止め(モルヒネ)だけ。

日に日に弱る姿は、見るに偲びないが、昼夜を問わずお見舞いに伺う。何とか痛みを我慢しなくて
  良いように、楽にさせてあげたい。
「ありがとう」 とか 「早く退院したい」と、話しが出来るし、意識はしっかりしているだけに、余計に切ない。

伯母もそうだっかが、伯父も伯母の入院中に同じ病院で、検査していたがやはり、見落とし?
  なぜ、もっと早く、ガンを発見できなかったのか? 悔やまれてならないし悔しい!

13日早朝の雪を見て、「月田は凄い雪だろうな」 と話した伯父が、13日の昼過ぎに
  静かに息を引き取った。 俗名 土井亘 行年83歳。ー南無大師遍照金剛ー

また一人、、偉大な人生の大先輩を失った。しかも、僕と同じ「ガン」と言う病魔で・・・   


2006年3月13日

雪が降る

雪が降っている
やわらかい雪が
降っている

過ぎ去った日々の
思い出カンバスに
雪が降っている

雪はピュアホワイト
古い絵具箱に
使いかけのチューブが
転がったままだ

やさしくあたたかく
雪が降っている
いま私の手に
せめて1本の
新しい絵筆を下さい



2006年3月14日

春待月

ジョギングを
追いかけて来た
饅頭のような雲が
公園で降らせた
たった三十分の吹雪

それから
泣き止まなかった
三歳児が
けろっと見せる
笑顔のように
拡がった青空

季節もまだ
第一反抗期


2006年3月15日

昨日と打って変わって暖かい今日。伯父の葬儀は、春の陽気に包まれた申し分のない晴天。
  
伯父夫婦が、3週間の違いで逝去された。80歳と83歳の仲の良かったご夫妻。
  病気まで同じ手遅れの末期がんとは・・・  妻の死を追うように・・・

高齢だが、最近まで全くお元気だっただけに、検診で早期発見していたら・・・
  同じ病気で闘病中の僕には、悔しさがあふれて止まらない。

唯一、救われたのは、お子達やお孫さん達、曾孫達が心から悲しんでおられて
  しかも、心のこもった葬儀で、逆に暖かい気持ちになる事が出来た。

  ぼくのXデーも、近い将来、必ず来るだろうが、こうゆう雰囲気の葬儀を願いたいものだ。
          ー南無大師遍照金剛ー m(__)m


2006年3月16日

本能

もう
飛びたくないと
思っている鳥が
いるかもしれない

泳ぐことに疲れたと
思っている魚が
いるかもしれない

でも
飛ぶ 飛ぶ
泳ぐ 泳ぐ
昨日を生きた
今を生きる
明日を生きようと

飛ぶ 飛ぶ
泳ぐ 泳ぐ


2006年3月17日

去年の今日。川崎医大のベッドの上からちゃとらんの「いつも笑顔で」と言うHPに生まれて初めて書きこむ。
HNは、「48歳食道ガン闘病中男」だったっけ。(=^・^=)

 早速の返信は、管理人じゃなくて「いねむり」さんだった。 最初はてっきり、男性とばかり思っていた。
ヾ(^-^;) ゴメンゴメン     不思議な縁で、今日で丸1年が経った。 (o^_^o)ニコニコ   

以来ずっと、僕の私設応援団長! (=^・^=) 有難い事である。m(__)m m(__)m m(__)m
  そこから拡がってきた「友達の輪」 食道ガン患者本人やご家族。また場所は違えど同じガン患者や
そのご家族など・・・ メールや電話でつぎつぎと・・・

僕が元気に闘病できるのは、この大きな輪が出来たおかげです。(_ _(--;(_ _(--; ペコペコ
  当時は、幾ら抗がん剤の副作用が落ち着いてきたとは言え、まさか術後、1年も生きられるとは
自分でも思ってもいませんでした。 σ(^_^;)アセアセ... 

来週は川崎医大に行って、2リットルの下剤を貰い、28日の腸カメラの準備。 再発が確認できなかったら
  思い切って職場復帰を決断しよう! 
来年の今頃は、職場復帰後1年を迎えられる事を祈ろう! p(^ ^)q ガンバ!

どうも、7月末か8月の頭には、世間で言う「孫」 が出来るらしい。。。(−−;)
  50歳の誕生日を迎えた直後の衝撃的な?出来事だ! ?(ー'`ー;)う〜ん・・・
楽しみと言うより、不思議な気持ちだ。


2006年3月18日

余裕の朝

目覚めは早い 四時半
柔軟体操をして
体をほぐす

コーヒーを点てる
部屋いっぱいに
香りが漂う
今日も
いいことありそうだ

ポトリと
新聞の入る音
雨の日も 風の日も
本当にご苦労さま

スイッチを入れる
七時丁度 茶の間で
世界が動く


                                    

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