ここは私の秘密の部屋です。
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男性諸君へ 台所の仕事、掃除、洗濯、子守り、なにをされても構いませんが 物干し場で、 奥さんの下着を干すのだけは止めましょう。 この部屋は、皆さんが期待をしているような処では有りません (スケベエの紳士、淑女の方には申し分け有りませんが・・・ 女性が50歳頃から女で無くなるように、おじさんもすでに???なので、その関係の話は致しません) おじさんが、汗臭いこの部屋で山行きの計画をしたり、日当たりの良い山や、田んぼのあぜ道に寝転んで、 思ったことを素直に書いて、ストレスの発散の場所にしたいと思います。 |
高田大師匠のこの考え方に賛同いたしまして、思ったことを素直に書いて、ストレスの発散の場所にしたいと思います。
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(NO.1) 2005.6.15・・・・・・AM10.00
自分の後姿は見えませんが・・・・・
「棺を蓋いて事定まる」などと申しますが、ほんとに短い間、生きているだけですから、少し横道にそれた
生き方をしても、そんなに難しく言わないで下さい。
立派に生きて、あの人は素晴らしい人だったと、言われるのはどんな生き方をした人なんでしようか?
生き方は、人それぞれ違うから、こんなふざけたことを言うと、叱られそうですが・・・・・
お釈迦さんは、乞食になってはじめて幸福になったのかも知れません・・・
山の中に一人で暮らせればいいが、下界の生活は金が懸かりすぎるから、全て欲を捨てたら大変かも知れなが、
質素な生活に馴れ、必要最小限度の金儲けをすれば、無駄な時間と仲良く過ごせるのでは、ないでしょうか・・・・・
欲の行きつく先は「倉りん実ちて礼節を知り、衣食足りて栄辱を知る」であり、
富を追い求め、ある程度達成されても、何か空しさが残るのであろう・・・・・・・・
二通りの人がいいると思うが、いかがでしょうか?。
1、不思議と自然体で幸せな人・・・・・・・・・・・出来るだけ欲を捨てて、他人の事を気にせず、自然と共に生きている人
(自分では、案外気がつかず、深く考えていない場合が多い)
2、頑張って幸せ?をもぎ取っている人・・・・・・色々の方法で幸せを掴もうともだえ、ある程度自己満足している人もいる。
(金や宗教などを使って欲望を満たし、一時的に幸せであると、錯覚している)
<1>の人はこれからもどんどん幸せになるかも知れないが、<2>の人は今の自分に似合った幸せで我慢すれば
良いのだが、まだまだ多くの幸せ?を求めエスカレートして、膨張して、何時かパンクしてしまう危険性がある。
理屈っぽくいえば、本当の幸せとは、どうゆう状態をいうのだろうか・・・・・・・
(私の幸せ感は非常に単純で、次の三点である)
1、朝起きたとき、楽しい今日が来たと思える人
2、死んだように、よく眠れる人
3、飯がうまく、うんこが良く出る人
以上3つの幸せ感は、色々な環境、条件の上に成り立つが、欲を追求すれば得られないのは確かである。
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(NO.2) 2005.6.16・・・・・・PM10.00
私が住んでいる(岡山県・落合町)はいいところです。今は3月30日で「真庭市」となりましたが・・・
こちらの山から、向こうの山まで、旭川が我が物顔で流れていますから、平地はほとんどありません
山から川の間にわずかな田んぼがあって、家は山の麓に寄り添うようにあります
旭川に、備中川が合流しているから、落ち合う・・落合になったそうです
この川の源流は、大山道(だいせんみち)と平行するように遡った蒜山の三平山の麓です
町には、これといった産業も特産物もありませんが、「静かな街」が唯一の自慢でしょうか
「醍醐桜」という古い桜がありますが・・これが最近テレビなどで紹介され一躍有名になりました
後醍醐天皇が北条高時に追われて隠岐島に流される途中(元弘3年・1332年)にこの桜を賞したとありますが・・
嘘か誠か・・疑わしいところです
最近はNHK放送の大型ドラマらで、「武蔵」の撮影をしたそうです
武蔵が生まれたとされる少し東の町では大騒ぎだそうで、ローカルニュースでも毎日武蔵の話題を取り上げています
ちょっとしたことにあやかって、村おこし・・こんなことが流行るこの頃です
http://www.town.ochiai.okayama.jp/indexie.html ちゃんと、落合町ではなくて、真庭市落合地域(支局)となってます。
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(NO.3) 2005.7.11・・・・・・PM1.00
女性にはなぜオッパイがあるんだろう?
昔はグラマーという言葉が流行ったが、その他にもボインちゃん(これも古い)、デカパイ(ちょっと古い)、
巨乳など、胸が大きいことを表現する言葉はいくつもある。
ともすれば、カブりつきたくなる胸のふくらみだが、他の動物たちの間にはあまり見受けることがない。
では、なんで女性の胸は膨らんでいるのだろうか?
乙女の夢見るココロが、胸を大きくするのよ...というのでは、雑学にはならない(^^ゞ
実は立派にふくらんでいるオッパイを持っているのは、人間とウシだけ。ただし、乳牛は人工交配でできているので、
ふくらんでいるのであって、本来のウシにはオッパイがない。
この話は、サルの時代にさかのぼる。サルの頃は、人間のように2足歩行ではなく、よつんばい。
サルのオスは、メスのオシリの奥――性器が充血しているのを見ることで、メスが発情しているかどうかを知っていた。
ところが2足歩行では、性器を見せることができなくなってしまった。見せようとして、よつんぱいになれば、
男性の目に入らない。こうなると大変だ。なんせ、いつ発情してのかわからないのだから、オスは悶々。非常にツライ。
そこで、人間は目の届く範囲に「オシリ」に近い「オッパイ」を登場させたのだ。
では、性器は? フフフフ。実は、人間にはもう一つ面白い特徴がある。それは「唇」である。
我々が「唇」と言っている赤い部分は、実は口の内側がめくれ上がってできている。しかも、これは人間だけの特徴なのだ。
そう! 唇は、男性が見たときに、女性の性器をイメージさせるためにめくれあがっているわけ。
こうして、女性は男性を四六時中、発情させることに成功(性交?)し、子孫を繁栄させることが出来た...。
ほら、今夜も発情したオスが、渋谷で...。(最近のコギャルは、唇を白く塗っているので注意しましょう)
唇を真っ赤に口紅で塗るのも、男性を誘惑するため...かもしれません
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(NO.4) 2005.7.20・・・・・・PM1.00
産経抄より
世界は六十年前と何も変わっちゃいない、と言ったら悲観的過ぎるだろうか。
米国は国連安全保障理事会の常任理事国入りをめざす日独など四カ国グループ(G4)の決議案に
反対するよう各国に呼びかけた。
▼政府は「米国は日本の常任理事国入りは支持してくれている」と強がっているが、敗色濃厚になりつつある。
既得権益を持つ米国が簡単に賛成してくれるとでも思ったのか、甘いと言われても仕方がない。
日本の常任理事国入り阻止に躍起になっている中国の妨害工作も執拗(しつよう)で、
米中が手を握ったG4包囲網は強力だ。
▼こうなれば仕方がない。戦前の松岡洋右外相なら席を蹴(け)って退席しただろうが、
日本には「分相応」という言葉がある。
G4案が否決となれば「日本は国連で責任ある立場につくな」ということと同然なわけだから、
「日本はこれから国連分担金を常任理事国の中国やロシア以上には払わない」と宣言してはどうか。
▼国連は、各国の経済力に応じて分担金納入を求めており、日本の分担率は米国(22%)に次ぐ19・5%にのぼる。
今年の通常経費分は約三百八十五億円。このほか、国連平和維持活動(PKO)経費などに、
昨年は約八百五十億円を国連に供出している。
▼年間の負担は都合千二百億円を軽く超える。ちなみに中国の分担率は2%、ロシアに至っては1・1%に過ぎない。
日本も中露並みにしてもらえば、年間千億円以上も国民の負担が減る。
▼常任理事国どころか、日本、ドイツを対象とした国連憲章の旧敵国条項は、戦後六十年たっても削除されていない。
戦勝五カ国でこれからも好きにやりたければどうぞ、ご自由に。
その代わりおカネは出さないよ、と小泉さん、一度、たんかを切ってはどうですか。
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(NO.5) 2005.7.28・・・・・・PM11.00
産経抄より
投手に内角高めいっぱいを投げられ、打者がのけぞるシーンが野球にはよくある。
次に外角低めがくるはずと予測がついても、これが打てない。
内角のイメージが体に残っているから、うまくバットが出ないのだ。
▼北朝鮮はこの“幻惑投法”をたくみに使う。
いったん、内角高めの強硬策で驚かせ、次いで日米韓が外角低めに手を出すように誘う。
核の脅しによって日米韓から食料や石油をせしめるパターンである。
とくに、北に甘い韓国の盧武鉉政権は、すぐつり球に反応するから要注意だ。
▼北朝鮮は今回もうまい手を考えた。この二月に「核保有」を宣言したから、いまや米国と同じ核保有国なのだそうだ。
同じ立場なら、六カ国協議では軍縮会議をやろうぜと持ちかける。
五カ国は「また幻惑投法か」と思いつつも、一年も協議を開けなかったからそこで手を打つ。
▼盧政権はさっそく、「北が核放棄なら電力を供給する」と応じた。
すると北は、「日本は協議の再開に寄与したことがない」などとうそぶく。
拉致被害者を人質にする卑劣な国に、なんで寄与などするものか。協議再開は交渉の始まりに過ぎない。
▼問題は北が軟化のフリをすると、韓国で統一への期待が高まること。
しかし、北朝鮮の一人当たりの所得が韓国のわずか8%しかない現状では、とても支えられない。
そこで、まず日本と国交回復させ、日本の援助で経済力が上がるのを待って統一するとの説を、風の便りに聞いた。
▼悪いが盧さん、お国が「反日」ではその話に乗れない。
まして、自慢の大型輸送艦に、日本の竹島の韓国名「独島」などと名づけるようでは御免こうむる。
それより北の内角球は、命取りの「危険球」と紙一重であることを申し添えたい。
ぼくは、戦後生まれ。昭和31年生まれだから、戦争なんてまったく知らない世代だ。
日教組全盛で民主教育花盛り・・・ 朝日新聞を無理やり読まされ、NHK報道に真実を見よと教えられた・・・
自称、中道のぼくだが・・・ 右寄りでも左寄りでもないつもりだが・・・
最近の中国・韓国・北朝鮮には、腹立たしさを通り越えてあきれるばかりだ。。。(−−;)
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(NO.6) 2005.8.6・・・・・・AM11.00
産経抄より
大泥棒は神前であろうと処刑場であろうと、畏(おそ)れを知らずに盗みを働く。
北朝鮮の金桂寛外務次官の発言は、神仏の前の誰かのようだ。北京の六カ国協議で、
「罪も犯していないのに、なぜ平和的核活動ができないのか」とは驚いた。
▼日本の善男善女を拉致し、韓国の閣僚を爆殺し、他国を「火の海にする」と脅したのは誰だ。
北に核放棄を求める十日間の交渉で、代表団が消費したコーヒーが二千杯、ペットボトルは五千本が
空になったという。それほど口角泡を飛ばしても、北は核をあきらめない。
▼察するところ、金外務次官は「核放棄せず、食糧だけ分捕れ」と厳命されているに違いない。
かの金正日総書記に、そんな幻想を抱かせた韓中露が悪い。韓国は民族共助だから、
北の核は飛んでこないと考える。中国とロシアは「一国支配を許さず」と米国にすごんだばかりだ。
▼しかし金さん、そうはいかない。クリントン米政権の時代に、プルトニウム型を念頭に「核開発は凍結」とだましたよな。
その裏でこっそり高濃縮ウラン型をつくってた。ここは「すべての核放棄」でなければ手を打てない。
「悪い合意」なら結ばない方がましだ。
▼といって、金次官は席をけることはできないらしい。
十五日は祖国解放記念日、十月に朝鮮労働党創建六十周年なのに先立つものがない。
わが公安筋によれば、北の台所事情はすこぶる悪い。配給制度は崩れ、組織的に強盗を働く軍部隊まであるという。
▼それで、中韓は援助をやめると北が崩壊すると恐れる。しかし、ペストが発生したからとネズミを買い上げれば、
今度はネズミを飼育して商売する者が現れる。
いっそ、北の核、ミサイルいっさいを買い上げてしまえば別の話になる。
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(NO.7) 2005.10.18・・・・・・PM11.00
産経新聞18日付社説
■【主張】首相靖国参拝 例大祭にしたのは適切だ
秋の例大祭初日に小泉純一郎首相は靖国神社を参拝した。首相就任以降、五回目の靖国参拝だ。
例大祭は、戊辰戦争以来、国のために死んだ二百四十六万六千余柱の霊を追悼する儀式である。終戦記念日の八月十五日は、参拝者が先の大戦での戦死者を慰霊する日とされる。小泉首相が例大祭の日に参拝したのは、平成十四年四月に続いて二度目だが、ある意味では、すべての国事殉難者を対象とする例大祭が最も適切な参拝日といえる。
小泉首相は今回、初めて一般参拝者と同様、スーツ姿で社頭参拝した。これまでのようにモーニング姿で「内閣総理大臣」と記帳しての昇殿参拝ではなかった。ポケットから小銭を出して賽銭(さいせん)箱に入れ、一拝して黙祷(もくとう)した。公人でなく私人としての参拝であることを強調したようだ。
先月末、大阪高裁が傍論の中で首相の靖国参拝を違憲とする判断を示した影響とみられるが、大勢では首相の靖国参拝を認める司法判断が定着している。小泉首相は堂々と今まで通りの昇殿参拝を続けてほしかった。
とはいえ、小泉首相が国民と約束した年一度の靖国参拝を継続したことを素直に評価したい。
中国と韓国はこれまでも首相の靖国参拝に反対し、今回の参拝にも、ことさらのように強く抗議した。いずれも不当な内政干渉である。二十三日から北京で予定されていた日中外相会談は不透明になり、韓国も年末の日韓首脳会談の延期を示唆した。
ほかにも、年内にAPEC(アジア太平洋経済協力会議)首脳会議などが予定されている。これらの外交日程への影響を懸念する声もあるが、首相の靖国参拝は外交的配慮により左右されるべき問題ではない。
中曽根康弘元首相は昭和六十年八月十五日、靖国神社を公式参拝したものの、中国が反対したため、翌年の公式参拝を断念した。小泉首相は何よりも国民との約束を重視したのである。
小泉首相は「今日は例大祭だし、一年に一回参拝するのはいいことだ。本来、心の問題で、外国政府がいけないとかいう問題ではない」と語った。
来年、小泉首相の後継者として、誰が次期首相に選ばれても、靖国参拝を継承してもらいたい。
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(NO.8)・・・・・・・・「内裏雛」・・・・・・・2006.3.2・・・・・・PM11.00
明日は「ひなまつり」そして、6日は「啓蟄」、いよいよ春らしくなってきました。
春の陽気に誘われて・・節分草をはじめ、早春の草花たちが顔を出してきました。
雪割草っていい名前ですね・・雪深き山路の雪解けを感じます。
小さな我が家の庭先でも黄梅が恥ずかしそうに咲きだし、しだれ梅もいっぱい蕾をつけています。
虫たちも地面から這い出してくるから「啓蟄」といわれるそうですが、二十四節季の中でこの表現が一番好きです。
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(NO.9) 2006.5.25・・・・・・PM10.00
アカシア(本当の名はニセアカシア)、ユリノキは大きな贅沢な日陰を作ってくれる。
寝転んで見ると、いずれも高いところに花が見られる。
ユリノキは背の高い木で、上向きにチューリップの形の花が咲くので、「チューリップツリー」とも言われる。
高い木なので
注意して見ないと花は見落としてしまう。
ニセアカシアは広く植えられ、初夏、やわらかな緑の葉の合間に真っ白な蝶形花の房をたらし、よい香りをただよわせてくれる。
マメ科の落葉高木で日本には明治のはじめに伝ったが、枝葉がエンジュに似ていてとげがあるので,ハリエンジュとも呼ばれる。
成長がはやくたくましいので、パイオニア・ツリーといわれているが、
アメリカの西部開拓時代に、新しい町が生まれると必ずといってよいほど、この木が植えられたことによる。
アカシアは、おなじマメ科だが熱帯の産で、オーストラリア、アメリカ南部、インド、東南アジア、アフリカなどに分布し、日本には温室だけにある。
ニセアカシアは成長が非常に早いし、土地を選ばないし、耐寒性が強く乾燥地でも成育するため、治山や街路樹などとして用いらる。
しかし,先駆的な樹種なので,森林を長期間安定した状態で維持することができない。
ニセアカシア林を皆伐して、スギやケヤキなどの森林に転換しようとしても、ニセアカシアの萌芽が旺盛に成長して、植栽した苗木を被圧してしまう。
北原白秋の『この道』は,白秋が札幌を訪れた際に郷里柳川のニセアカシアを思い出して作ったらしい。
西田佐知子のヒット曲『アカシアの雨がやむとき』、石原裕次郎のヒット曲『赤いハンカチ』に歌われるもすべてニセアカシアである。
ニセアカシアの花に群がるミツバチの養蜂地であり、夜になると葉を閉じる。
花は酢漬けや天ぷらにして食するところもある。
実は平たく5センチほどの鞘に包まれた4〜5個の豆ができる。
幹は年輪が不明瞭で、かなり重く、硬く粘りがあり加工しにくい。
耐久性が高いためかつては線路の枕木、木釘、木炭、船材、スキー板などに使われた。
樹皮には毒性があり、樹皮を食べた馬が中毒症状を起こしたことがあるそうだ。
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(NO.10) 2006.6.19・・・・・・PM10.00
21日は夏至です。
いいですねえ・・昼がなが〜くて、夜が短いのは・・。
「夢は夜開く・・」な〜んて言った人がいたけれど・・夜は悪い奴らの活躍する世界のような気がします。
悪徳代官や悪徳商人が「そちも悪よのぅ・・」なんて、酒を酌み交わしながらニヤニヤしているみたいですね。
でもね・・奴らはまだ可愛いい方で、本当の悪は皆さんの心の中に住んでいるようにも思います。
小悪、中悪、大悪・・色々な悪人がいるみたいです。
こんなことを言うと・・ワタシャそんなことござんせんよ・・と、言わはりまっしゃろう。
ちょっと話は古いですが・・
世の紳士・淑女は「マデイソン郡の橋」をよだれを垂らし、涙して観、読んだことでしょう。
不倫・・誰もが罪悪感がありますよねぇ・・。
その罪悪感を大人の純愛が打ち負かしてくれたことに、多くの人が拍手したのではないでしょうか・・。
よかざんすねぇ・・素敵です。
皆さんのその小さな心の中に・・悪徳商人や悪徳政治家以上の悪が住んでいるとしたら、そりゃあ、凄いことです。
毎日、毎日繰り返され、報道されている悪事より、僕や私の方が悪人であると思いたいのです。
でなきゃあ・・この、小さな心がはじけ飛んでしまうような気がするのです。
「わしゃぁ・・大悪人じゃぞ・・」そのように、大声で叫びとうおます。
虫も殺せない子悪人が・・大罪人と思うことが素晴らしいのです。
谷間に夏が来ました。
ネムノキの下の小川を挟んでエゴノキがありますが、今年は花が咲きませんでした。
ネムノキに絡んでいたカズラやクズを春先に取ってやったので、元気いっぱいたくさんの蕾をつけています。
その向こうに桑の木がありますが、赤い実や黒ずんだ実がいっぱぶら下がって食べごろです。
「やあま〜の〜〜〜畑えでぇ〜〜〜桑のぉ実うぉ〜〜〜・・・・」よか歌でおます。
杉の植林の中にはマタタビの葉っぱが白くなり、花が咲いています。
小さな谷間に、たくさんの命が生きています・・小悪人の心臓も恥ずかしそうに鼓動しています。
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(NO.11) 2006.9.14・・・・・・PM10.00
小泉純一郎首相の所信表明演説(平成13年5月13日)で有名になった、米百俵の故事について紹介します。
米百俵の故事の舞台は新潟県長岡市なのです。魚雷や機雷とは直接関係ありませんが、
県立長岡高等学校や山本五十六元帥について語る時には、米百俵の話を避けて通れません。
なぜなら、もし米百俵がなければ、県立長岡高等学校や連合艦隊司令長官山本五十六元帥は存在しなかったからです。
米百俵の概略
江戸時代、長岡は牧野家という譜代大名が統治していました。
戊辰戦争の際、会津藩討伐のために侵攻して来た西軍(新政府軍)に対して、
長岡藩は国際法にのっとり中立を主張しました。しかし、これは薩長に全く聞き入れられず、
やむなく会津藩と共に東軍(奥羽越列藩同盟)として戦わざるを得ませんでした。
残念ながら戦さに破れ、長岡の城下町は焦土と化し、長岡藩は7万4千石から2万4千石に減封されました。
(「官軍」とか「賊軍」という不適切な用語を用いている書物もありますが、長岡ではそのような用語は使いません。「西軍」「東軍」という語が正解です。)
戦後の藩士の生活は窮乏を極めたため、支藩三根山藩から米百俵がお見舞いとして送られました。
当時、藩政を担っていた大参事小林虎三郎は、将来のために教育の充実が第一であると考えていました。
そして、彼はこの米百俵を藩士に分配せずに売却することを計画しました。その資金で学校を設立し、
将来の長岡や日本を背負う人材を育成しようと考えたのです。
当然自分達に分配されると思っていた長岡藩士達は断固反対しましたが、
彼はこれをようやく説得して国漢学校を設立しました。そして、藩士の子弟のみならず、
町民や農民の子弟も入学させて、後の長岡の教育の礎を築きました。
山本五十六元帥の母校である旧制長岡中学(後の県立長岡高等学校)はこの国漢学校の流れを汲んでいます。
つまり、長岡藩士とその家族が米百俵を鱈腹食べていたら、山本五十六元帥も県立長岡高等学校もなかったかもしれません。
小泉首相の勘違い
先の小泉首相の演説以来、構造改革には「痛みを伴う」とされ、米百俵の故事が引合いに出されます。
今の苦しみや痛みに耐えて明日の日本を築かなければならないということです。
でも、これは大きな勘違いです。ちょっと脱線しますが、このことについてお話します。
昔の藩士は、身分制度や封建制度上、既得権保持者でした。
だから、三根山藩から米百俵が送られてきた際も、困窮する町民や農民のことは考慮せずに、
当然の既得権としてこの米にありつけると思ったのです。
その藩士達を説得して既得権を放棄させて教育の充実を図った大参事小林虎三郎の
リーダーシップと見識はもちろん尊敬に値します。
でも、それよりも、大参事の説得を聞き入れ既得権を放棄した長岡藩士の高潔さに私は感銘します。
米百俵が語るもの
米百俵が語るものはふたつあります。ひとつは将来に備えた教育の重要性です。そしてもうひとつは、
既得権保持者こそ潔く既得権を放棄して今の苦しみや痛みに耐えなければならないというのことなのです。
明日の日本のために今日我慢するべきは誰でしょうか。戊辰戦争後の長岡藩士の立場の人間は誰でしょうか。
私は既得権を決して手放そうとしない役人や天下り官僚、族議員達、
バブルに踊った経営者達こそ痛みに耐える立場の人間であると思います。
まず、そういった連中が既得権を放棄して初めて構造改革が成功するのです。
でも、残念ながらその連中は昔の長岡藩士のような高潔さを持ち合わせていないようです。
小泉首相は、国民は痛みに耐えなければならないと米百俵の故事を持ち出しましたが、
先程紹介したように、これは大きな勘違いです。
この米百俵の故事は、不況やリストラや失業に苦しむ国民に向かって話すべきことではありません。
既得権にかじり付いている連中を説得する際に用いる故事なのです。 小泉さん、わかりましたか?